白い影

これはある雨の強い日の出来事でございました。

パタパタとビニール傘に落ちる雨の音が耳に強く飛び込んでくる。

私はなるべくはれたくないものだから早く帰ろうと少し小走こばしじりでいつも通る歩道をずんずんと進んでいました。

まだそうは遅くない時刻。

いつもであれば公園帰りの親子やら帰宅を急ぐスーツ姿のサラリーマンやらまだ話したりなそうに足取り緩やかに歩く学生たちのにぎやかな光景がひろがっているものでした。

けれどその日は生憎あいにくの強い雨。

雨のせいで辺りは薄暗く人影は一つも見えなかったのです。

声も強い雨の音にされているのか、傘を打つ雨音しか聞こえませんでした。

自分以外この道を通っていないのか、雨に隠されて見えないだけなのか私にはわかりませんでした。

ほんの少しの心細さを感じながら帰路きろについていると前からこちらに向かって歩いてくる人影をみつけました。

白い服を着ているらしく辺りの薄暗さの中では逆にとても目立って見えました。

ただ雨で辺りはけぶっていて輪郭りんかくだけをどうにかとらえることができる程度しか私からは見えませんでした。

私はその輪郭を必死でとらえようとその人影を見つめていました。

何故そんなことをしたかと問われれば答えは簡単。

心細かった私には一人じゃないことが嬉しかった。

薄暗い道を自分と同じように歩いている人がいる。

その事実だけで安心できたのです。


そのまま私は歩みを進めていく。

白い影とはどんどん距離が近づいていく。

雨の音はパタパタと耳にそしてはじかれたしずくが目にも飛び込んでくる。

ぼやける目をこすり数十メートル前にいる白い影をみつめます。

その時私は、はたりと気づいたのです。

その人影の背がすごく高いことに。

たとえその人影の正体が男性だったとしてもとてもじゃないけれど大きすぎるものでした。

背は高く細身ほそみのその影は腰元こしもとから足先に向かってふわりと広がっていました。

その人影はスカートを穿いているとわかりました。

それもとてもとてもふんわりと広がっているスカートを。


私は少しの違和感いわかんを感じていました。

そしてその少しの違和感がとてもおそろしくもありました。

道は一本道でどこかがれる横道はありません。

逃げなければならないという明確めいかくな理由がないような気さえして結果私はその何かから逃げることできない状況でした。

ただ今歩いている道を進んでいくことしかできなかったのです。

その影はもう目の前にある。

そしてその時その影は烟る雨のベールを抜け出して姿が私の目に鮮明せんめいうつりました。

私は目がこぼれ落ちてしまいそうなほど見開みひらき、息をみました。

呼吸は一瞬止まり、心臓は痛いほどたたいて警鐘けいしょうらし血は一気に冷えていきました。


目の前にいたのは横の電信柱より高い位置に頭がある背の高い女性でした。

白いウェディングドレスを着た女性の姿でした。


白いドレスから生え伸びた手や首や顔は真っ黒でまるですすけているようなくささが私の鼻までただよってきました。

薄暗さの中で真っ黒な顔は目だけが白く目立っていました。

白目をむいているその女性は私の存在など気づいてさえいない様子でそのまま私の横を通り過ぎていきました。

ぎしゃり……ぎしゃり……と枯れ木の枝が崩れ落ちるような音をたてながら。

そのにおいは雨に掻き消されることなく私の鼻に届きその音は雨音に掻き消されることなく私の耳をつらぬき、そして彼女は私の通ってきた道へと消えていきました。


私は無我夢中むがむちゅうで歩き続けていたようです。

気がつけば自分の家の玄関でへたりこんでいました。

どうやって帰ってきたのか覚えてません。

鍵を開けた感触かんしょくさえない。

ただあるのは耳に残ったあの音と鼻を離れてくれない焦げ臭さでした。

私はすぐさま服を洗濯機に投げ入れて、お風呂のドアも開けたままにシャワーで体を流しました。

まるで彼女の痕跡こんせきを消すように、記憶から排除はいじょしようとしているかのように。

けれど私には漠然ばくぜんとした確信かくしんがありました。

きっと私は忘れないだろう。

ほんの1分にもたない経験でありましたが決して私は忘れることなどできないだろう。

あの時感じた息が止まるほどの恐怖と言いしれない不安と何故なぜか胸を締めつけられるほどの強い悲しみを。


もう彼女のことを二度と見ることはないかもしれません。

なぜなら彼女を見たその日からあの姿があの臭いがあの音が恐ろしくて、雨の日に限らずあの道を利用していませんから。

一体彼女に何があったのか。

何故あの日、私に見えてしまったのか。

何故、彼女はあんな姿だったのか。

今でも何も……全くわかりません。

けれど私にはただ一つはっきりとわかっていることがあります。


彼女は今でもいる。


彼女は今でもあの道をあの姿であの臭いであの音で今でも存在している。

それだけは何故かわかるのですよ……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る