ホラ一話 売ります

うめもも さくら

第0話 行き止まりの道にある小料理屋

 俺はかずばずの小説家になってしまった。

 もう時代が何を求めているのか、俺自身が何を書きたいのか何を伝えたかったのかもわからなくなってしまった。

 それなのにいまだに小説家なんて職業にこだわってしまっている。

 うにも困っているというのに。

 小説家にこだわらなければ他にいくらでも仕事はあるという人もいる。

 でも今更、何をすればいいのか何になればいいのかもわからない。

 この生き方しかしたことなくて、この生き方でずっと生きていけると疑いもしてなかったから。

 こんな風に、小説家人生の急激きゅうげきな坂道を転げ落ちることになるなんて、思いもしてなかったから。

 こんな、地べたにいつくばってまで小説家でいる意味さえも、もう思い出せもしないというのに。

 俺は今、俺に残された小説家としての最後の仕事になら、この魂、悪魔に売ってもいいとさえ思っている。


「これが最後のチャンス……か」


 俺の担当がいろんな人に頭を下げて、無理を言って持って来てくれたこの仕事。

 有名な雑誌の最後の数ページに掲載けいさいされる程度の短編小説が、小説家としての最後の仕事となる。

 有名な雑誌なのはきっと、最後くらい華々しく散らせようという優しさとあわれみ。

 担当をはじめ、たくさんの人々にこれが最後のチャンスだとふくめられた。

 数ページでどうつかめというのかわからない。

 最後のチャンスは残酷な現実を突きつけてくる。

 それは実質小説家の終わり、つまりクビ宣告せんこくだ。


 たくさんの新人たちが現れる。

 たくさんの小説家が売れていく。

 たくさんの小説家が落ちていく。

 たくさんの本たちが忘れられていく。

 俺もまた、その中の一人として、流れの只中ただなかに立っていて、そして、その中の一人として、終わっていこうとしている。


「はぁ……」


 俺の口かられたひとごととため息は、目の前の風にさえされてしまう……と思った。

 その時。


「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」


 突然耳に飛び込んできた女性の声に、俺はしんみりとひたっていた自分の世界から一気に、現実に引き戻された。

 現状が把握はあくできていない自分の前には、落ち着いた色の着物に身を包んだ美しい女性が、こちらに微笑みながら立っている。

 俺は彼女が身にまとっている着物に目をめた。

 俺自身、女性の着物には詳しいわけではなかったが、小説を書く際に知識を得ようと少し調べたことがあった。

 その時に見た旅館で働いている仲居姿なかいすがたとも、和食レストランのユニフォームとも、どこか違う。

 それはテレビの中でしか見たことのない、そう、時代劇によく出てくる屋敷の女中じょちゅうさんの着ている着物そのものだった。

 まるで江戸時代にでも突然タイムスリップした心地になり、思わず目の前の美しく、そして珍しい着物をみつめた。

 しかしすぐに現実を思い出し、女性をまじまじと見るのは失礼だと思い慌てて目をそらした。

 目をそらした先、小さな建物の前に立つ和装姿の彼女の奥に見えたのは、並べられたいくつかの木でできたテーブルと椅子、そしてカウンターだろう空間にはたくさんの酒瓶と白い煙をあげた鍋。

 鼻孔びこうをくすぐり腹を刺激するのは、和食特有の酢飯や刺身や煮物の香りだ。

 出汁だしの匂いの破壊力に、別段とてつもなくかせたわけでもないというのに小腹が主張する。

 そして彼女のすぐそばで吊るされた赤提灯あかちょうちん

 それらすべてが、彼女の後ろにあるのは営業中の小料理屋だと俺に教えていた。

 どうやら俺は考え事をしている間に曲がり道を間違え、見知らぬ小料理屋の前まで来てしまっていたようだ。

 この先の道は行き止まりのようで、ここの道まで来るのは、この小料理屋に用のある人間くらいのものだろう。

 彼女は、俺を客だと勘違いをしている小料理屋の従業員ということだ。


「あ、はい。一人です」


 そう答えると女性はにっこりとした笑みをさらに強くして、どうぞと店内へ誘う。

 勘違いをさせてしまった自分の気まずさと、勘違いだと訂正する申し訳なさと、良い匂いに刺激され、今か今かとうるさく騒ぎ立ててくる自分の胃に背を押され、小料理屋の中に入っていく。

 どうかリーズナブルであってくれと内心冷や汗を吹き出しながら。


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