第13話 優二と隆道
新年度初日、丸山優二は新しいクラス分けを見て絶望的な気分に陥っていた。
一年生の頃に、優二を使い走りにして虐めていた、梶山、沼田、古川の三人と、また同じクラスになってしまったのだ。
クラス分けが貼り出された掲示板の前で、優二はたっぷり五分以上は放心していたはずだ。
また一年間、あんな嫌な思いが続くのかと思うと、学校を辞めたくなった。
優二が教室に足を運ぶと、案の定三人が寄って来た。
「よぉ丸、また同じクラスだな」
「良かったなぁ、また一年よろしく頼むよ」
「おい、こら……何とか言えよ」
「ど、どうも……」
古川に頭を平手打ちされたが、優二はヘラヘラと笑ってみせるしか出来なかった。
タイマンでも敵わないし、まして三対一では敵うはずがない。
ヘラヘラと笑って、機嫌を損ねないようにするしかない。
新年度の初日は、始業式とロングホームルームで終わりだ。
ホームルームの後、優二は急いで学校を出て、逃げるようにして家に帰った。
半日も、奴らのおもちゃにされるなんて真っ平御免だった。
新年度二日目、学校に行く前から胃が痛くて、優二はやっとの思いで朝食を食べ終えた。
正直、学校に行きたくなかったけど、教育熱心な両親がズル休みを許してくれるはずがない。
教室に行けば三人から、何で逃げるように帰ったのか責められるはずだ。
学校ではやらないが校外に連れ出され、腹を殴られたり、金を脅し取られるだろう。
優二が始業のチャイムぎりぎりで教室に入ると、梶山達がガンを飛ばしてきた。
「てめぇ、今日は勝手に帰るんじゃねぇぞ……」
入学式のために体育館に移動した時も、古川から念を押された。
入学式と部活動の紹介が行われている間、どうやって三人から逃げ出そうか、優二はそればかりを考えていたが良いアイデアは浮かばなかった。
今日逃げられたとしても、また週明けからは学校があるのだ。
体育館から教室に戻った時は、優二の胃は激しく痛み吐きそうだった。
また同じだ。またクラスのみんなは見て見ぬ振りを続け、また一年間、自分一人が嫌な思いをさせられるのだと優二は思っていた。
「おぅ、丸……いくぞ」
「昨日逃げたんだ、今日は分かってるよな」
「おい、喋れよ。手前の口は飾りか……」
「ど、どうも……」
もう優二は、何て答えれば良いのかも分からなくなっていた。
三人に教室から連れ出されそうになった時、突然肩を叩かれた。
「なぁ、行きたくなければ、断わっても良いんだぞ」
「えっ……?」
優二の肩に手を置いて、ニカっと笑って見せたのは、お寺の息子だと自己紹介していた編入生だった。
「手前には関係ないんだから、すっこんでろ!」
沼田が喚き散らしたが、編入生は動じるどころか前に出て、優二を背後に庇った。
「いいや、クラスメイトとして見逃せないな」
「んだと、お前も痛い目に遭いたいのか?」
「俺はドMの変態じゃないから、痛い思いはしたくないぞ。ただし、友達を守るためならば、我慢するしかないだろうな」
「へぇ、覚悟は出来てるってか?」
「お前達は、どうなんだ? 俺は一方的に殴られてるつもりはないからな」
梶山達三人も体格は良い方だが、編入生は格が違う感じだ。
「お前ら、何やってるんだ? 用の無い者は、さっさと帰れよ」
通り掛かった先生に注意され、梶山達三人は舌打ちしながら教室を出て行った。
今日は助かったが、明日からのことを考えると、優二はまた胃の痛みを覚えた。
そんな優二に編入生は、もう一度ニカっと笑って話し掛けてきた。
「丸山で良いんだよな? 俺は引っ越してきたばかりで友達がいなくて困ってるんだ。友達になってくれよ」
「えっ、ぼ、僕と……?」
「大丈夫だぞ。金貸せとか、鞄持てとか、ジュース買って来いなんて言わない。お釈迦様に誓っても良いぞ。あぁ、でも授業のノートとかは見せてくれ。坊主は朝が早いから、退屈な授業とかは寝ちまうからさ」
我慢など出来るはずもなく、優二の瞳から涙がボロボロ零れ落ちた。
「うぅぅ……ありがとう、ありがとう……」
「礼なんか要らないぞ。俺達は、もう友達だからな」
その日の帰り道、優二は長倉に去年一年間の出来事を話した。
恥かしいと思いつつも、途中で何度も何度も泣いてしまった。
長倉は辛抱強く優二の話を聞き、翌日からは登下校も一緒にしようと言った。
「あの手の連中はしつこいが、こっちが根負けしなけりゃ大丈夫だ。それとも、俺なんかと毎日面を合わせるのは嫌か?」
「とんでもない……よろしくお願いします」
「おいおい、友達なんだ、そんな堅苦しい言い方は無しにしよう。頼むの一言でいいぞ」
「うん……た、頼むね」
「おう、任された! それと俺のことは、隆道って呼んでくれ」
「分かった、じゃあ僕も、優二で」
冗談ではなく優二は、隆道を神様……いやお釈迦様なのかと思ったほどだ。
週末、土曜日も日曜日も、隆道は優二を遊びに誘ってきた。
東京に引っ越してきたばかりだから、近所を案内してくれと言われ、谷中の商店街を見て回ったり、上野のアメ横にも足を伸ばした。
隆道は基本的に良い人だが、時々おかしなことを始める。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! 喝っ!」
九字を切ると言って、陰の気を払い、その場を浄化するらしいのだが、道端で人目も憚らず大声を出すので、一緒にいる優二は結構恥かしい思いをした。
週明けの月曜日、優二と一緒に登校する時も、隆道は防災公園の深井戸に向かって九字を切り始めた。
優二はふと思い立って、見よう見真似で一緒にやってみた。
どうせ恥かしいのであれば、いっそ参加した方が楽しそうに思えてきたからだ。
「おぅ、鬼塚と清宮さんだ」
隆道が手を振る先に、二人の同級生がいた。
鬼塚も確か編入生だったと思うが、金髪なんて派手な容姿なのに妙に印象が薄い。
清宮とは一年生の時にも同じクラスだったが、背が高いけど地味な印象しか無かったのだが、今朝はガラリと印象が変わっていた。
「おい、優二。清宮さんはたぶん失恋したんだと思うから、気を使えよ」
「えっ、あっ、そうか……オッケー、分かった」
結論から言えば、隆道の予想は外れていた。
清宮さんが髪形を変えたのは、単にイメージチェンジをしたかったからだそうだ。
実際、長かった髪をバッサリと切って、溌剌とした感じがする。
並んで話をしている隆道も、何だか意識しているように優二には感じられた。
清宮は、優二が虐められていたのに、見ない振りしていたことを謝った。
優二の胸の中で色々な感情が渦巻いたが、自分の落ち度を認めて謝るのは勇気が要るという隆道の言葉を聞いて清宮を許した。
ところが鬼塚に、まるで清宮に謝罪を強制しているみたいな言い方をされた。
自分がどれだけ苦しんでいたのかも知らないくせに、正論を使って非難する鬼塚に優二は本気で腹を立てた。
梶山達のように嫌がらせをする奴らを除けば、優二は基本的に自分から人を嫌らわないようにしていたが、鬼塚だけは例外で仲良くなれれる気が全くしなかった。
昼休み、優二は教室で隆道と一緒に弁当を食べたのだが、鬼塚と清宮の周りはちょっとした騒ぎになっていた。
「何か、すげぇな……鬼塚」
「あんな奴、見た目だけじゃないの?」
「そうなのかなぁ……」
「あんな奴より、隆道の方がいい男だよ」
「マジか? 俺をおだてても何も出ないぞ」
隆道は冗談だと思ったらしいが、優二は大真面目だった。
その後も、隆道は鬼塚の回りに集まった女子を見て、すげぇ、すげぇと言っていた。
だが視線の先は、鬼塚ではなく清宮に向けられているように優二は感じていた。
放課後、清宮は鬼塚と連れ立つようにして教室を出て行った。
その様子をジッと見守っていた隆道が、優二の目には寂しげに見えてしまった。
帰り道、優二は思い切って隆道に確かめてみた。
「ねぇ、隆道は清宮さんが好きなの?」
「ばっ……な、何言ってんだよ。俺は転入してきたばかりで……」
「ばかりで?」
「いや、止めよう。嘘をつくのは好きじゃない。確かに、清宮さんに惹かれてるけど……駄目そうだよな」
「隆道……」
隆道は身体も大きく、顔もゴツいので、基本初対面の女子には怖がられるらしい。
ところが清宮は、初対面に近い隆道とも普通に会話をしてくれたそうだ。
「父親が俺みたいにガタイの良い人らしくて、慣れだとか言ってけど、それでも新鮮っていうか、ぶっちゃけ可愛いよな」
「うん、髪形変わって、かなりイメージ変わった」
優二は一年生の頃の清宮に根暗なイメージしか持っていなかったので、今朝は本当に驚いた。
「あー……あのイメチェンも、鬼塚のためなんだろうな……いや、一目惚れとか俺らしくないんだが……鬼塚も引っ越してきたばっかりなはずだし……はぁ、上手くいかないな」
優二も女の子と付き合った経験などないし、恋愛とか良く分からなかったが、鬼塚が選ばれて隆道が選ばれないのは間違っていると感じていた。
「隆道は、諦めるの?」
「えっ、だって……」
「まだ、あの二人が付き合ってるって決まった訳じゃないよね」
「それは、そうだが……」
「隆道は、清宮さんと付き合いたくないの?」
「それは……付き合う以前に、本気で惚れたことがないから、良く分かんねぇんだよな」
「だったら、自分がどうしたいのかハッキリさせて、それでも清宮さんが好きなら、ちゃんと確かめた方がいいよ」
「そうか……そうだな。ちゃんと考えてみるよ」
ニカっと笑みを浮かべると、いつもの隆道に戻った。
翌朝、優二は初音の森の防災広場で隆道と一緒に九字を切り終えると、通りを歩いていく鬼塚の姿を見つけた。
「今日は清宮さん一緒じゃないみたいだね」
「そうだな、何かあったのかな? おーい、鬼塚!」
隆道が手を振りながら呼び掛けたのに、鬼塚はチラリと視線を向けたきりで、足を止める素振りすら見せない。
それでも隆道は、小走りで近付いて話し掛けた。
「おはよう、鬼塚。今朝は清宮さんは一緒じゃないのか?」
「見れば分かるだろう」
鬼塚は、挨拶も返さず、足を止めようともしない。
その不遜な態度に、優二はかっとなって余計なことを口走った。
「ふーん……振られたのか」
隆道が驚いた顔をしていたが、優二は言いたいことを言ってやると決めていた。
「ふっ……」
鬼塚は、チラリと優二に視線を向け、鼻でせせら笑うと背中を向けて歩きだした。
最初から相手にしていないかのような、見下すような鬼塚の態度に、自分から煽っておきながら優二は怒りをこらえられなくなってしまった。
「お前、何だよその笑い……おいっ! まだ僕が話してるのに、無視するな!」
鬼塚は優二など眼中にないとばかりに、怒鳴り声にも耳を貸さず、足を止める気配も見せなかった。
「よせ、優二。今のは、お前の言い方も良くないぞ」
「隆道……でも」
「いいから、俺達も学校に向かおう」
「……分かった」
モヤモヤとした気分を抱えて、優二は隆道と学校に向かう。
十メートルほど前を歩いている鬼塚は、こちらを振り向こうともしない。
後から蹴っ飛ばしてやろうかと思っていたら、不意に鬼塚が立ち止まって振り返った。
だが、視線は僕らではなく、もっと後に向けられていると気付いたと同時に、人影が追い付いて来た。
「おはよう、長倉君、丸山君」
「おぅ、おはよう!」
「お、おはよう……」
だが、清宮は足を止めることなく、鬼塚の下へと駆け寄って行き、何やら親密そうに話し始めた。
隆道は苦笑いを浮かべている。
優二は、隆道に掛けてやる言葉が思い浮かばなかった。
前を行く二人の会話からは、「火事」とか、「放課後」「調べる」「昼休み」といった言葉が断片的に聞えて来る。
隆道は、空を見上げて溜め息をついていた。
昼休み、鬼塚と清宮が、弁当をもって教室を出て行った。
「隆道、追い掛けよう」
「いや、もういいよ、優二」
「いや、何か変だ、あの二人」
優二が尻込みする隆道を引っ張って尾行すると、二人は靴を履き替えて校舎の外へ出て行った。
行き先は人気の少ない校舎裏の花壇で、二人は並んで弁当を食べ始めた。
「ほら、もう気が済んだろう……やっぱり付き合ってるんだよ」
「いや、そうなのかなぁ……」
二人が弁当を食べる姿は、一緒に食べたいと思わせるほど幸福そうで、そう思ってしまった優二は自分に腹が立てた。
「俺らも飯食っちまおうぜ」
「うん……」
二人からは少し離れた場所で、優二は隆道と弁当を広げる。
男二人は無言でもそもそと食べ終え、何となく立ち上がる気力がわかずに座り込んでいたら、嫌な奴らが通るのが見えた。
梶山、沼田、古川の三人組は、辺りをキョロキョロと見回しながら、鬼塚と清宮が居る方向へと歩いて行ったようだ。
たぶん、タバコを吸う場所を探しているのだろう。
「どうする……?」
「何言ってんだよ隆道。何かあったら助けなきゃ」
「でも、清宮さんに後を付けて覗いてたってバレないか?」
「そんなことより、見に行こう……」
梶山達は、予想通りに鬼塚と清宮さんに絡んでいた。
飛び出して行こうとする隆道を引き止める。
「何で止めるんだよ」
「まだだよ。ヒーローはギリギリのタイミングで現れるんだよ」
鬼塚が梶山達にボコられて、清宮に毒牙が迫った瞬間こそが隆道の出番だと優二は考えた。
ところが、鬼塚はボコられるどころか、梶山達を叩きのめしてしまった。
三対一の状況なのに、まるで臆した様子を見せていない。
清宮さんが、少し頬を赤らめて鬼塚を見ている。
隆道の出番は来なかった。
放課後、またしても鬼塚と清宮が連れ立って教室を出て行った。
優二が追い掛けようと言っても、隆道は首を縦に振らなかった。
なぜあんなに横柄な鬼塚が選ばれて、どうして隆道のような良い奴が選ばれないのか優二は納得がいかないかった。
鬼塚さえ居なければ……とか、清宮には男を見る目が無いとか……優二自身にも少しヤバいと感じる思いが、胸の底に溜まっていくような気がした。
「何だろうな……この苦しいというか、切ないというか、これが人を好きになるってことなんだな」
「隆道……モスバ寄って行こう。今日はおごるからさ」
「マジか! 行くか!」
「うん!」
隆道は優二を地獄みたいな泥沼から救い出した、今度は自分が手を差し伸べる番だと優二は心に決めた。
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