第7話 土地神様の社
控えめに言っても眠たい。
普通に言うならば、猛烈に眠たくて、今にも瞼が落ちそうだ。
座敷わらしのふーちゃんと、昨夜も遅くまで遊んでいたのだ。
実質の睡眠時間は、四時間を切っているはずだ。
いくら現役JKでも、睡眠不足は美容の天敵だ。
「お前なぁ……前髪は切って来いって言ったよな」
「仕方ないでしょ。美容院の予約が取れなかったんだから」
なんて言い訳をしたけれど、実際には美容院に行くタイミングを逸してしまったのだ。
美優の入学祝いにお寿司屋さんに行った後、ふーちゃんと夕食の時間まで遊び呆けてしまった。
進物のお酒は、閉店間際の酒屋さんに頼み込んで選んでもらったのだが、今月のお小遣いが吹っ飛んだ。
味にうるさい方へ贈るので、良い物を……なんて頼まなければ良かった。
と言うか、このお酒も仕組まれているような気もする。
「土地神様の所へ案内する前に注意しておくぞ、俺達に合わせて分かりやすい姿形をしているけれど相手は神様だ、間違ってもタメ口なんか利くんじゃないぞ」
「分かってるわよ。あたしだって、ちゃんとする時はちゃんとするんだから」
「はぁ、大丈夫かなぁ……」
一昨日会ったばかりなのに、この信用の無さは何なのだろう。
私からすれば、むしろ本当に土地神様に紹介してくれるのか不安なくらいだ。
根津神社の裏手から入り、本殿の脇を抜けて正面に回り込むのかと思いきや、傲岸王子が向かったのは境内に入ってすぐの右手、乙女稲荷神社の鳥居だった。
「えっ、こっち? 向こうじゃないの?」
「あっちは留守らしい」
「えっ、留守って……居ないの?」
「今は……だ。神様も色々あるらしい」
「そうなんだ……」
傲岸王子が鳥居の前に立つと、不意に赤鬼が肩から下りた。
「ぐふふふ、儂は立ち入り禁止だ。嬢ちゃん、真輝が色ボケな土地神様に吸い尽されないように見張っていてくれよ」
「えぇぇ、私が? 無理無理、無理だって……」
「喧しいな。静かにしてろ……」
傲岸王子は、鳥居に向かって四回拝礼した後で、四回拍手を打った。
一度拍手を打つごとに、周囲の空気が磨き清められていくようで、無意識のうちに背筋を伸ばしていた。
「行くぞ……」
四度目の拍手を終えると、傲岸王子が左手を差し出して来た。
ちょっとだけ怖いと感じてしまったが、意を決して右手を差し出す。
身長は私よりも低いけど、傲岸王子の手は逞しく、ガッシリとしている。
そのまま手を引かれて鳥居を潜ると、突然目の前の景色が一変した。
「えぇぇぇ……ど、ど、どうなってるの?」
「うろたえるな。神域に入っただけだ」
「だけって……」
私の知る乙女稲荷神社は、石の鳥居を潜ると苔むした土の上に敷き石が十メートルほど続き、その先には二十メートル程の緩やかな階段に、朱塗りの鳥居がいくつも並んでいる。
それなのに、目の前には、三十メートルほどの石敷きが続き、その先には小高い丘の上へと蛇のようにクネクネと参道が続きに、それこそ千本ぐらい朱塗りの鳥居が並んでいる。
参道の脇には、色とりどりの躑躅の花が咲き乱れ、辺りは甘い香気で満たされていた。
そして、色とりどりの錦鯉が泳いでいる。
池や川の中ではない、空中を泳いでいるのだ。
まるで自分が透明度の高い水に潜ったかのように、目の前をユラリユラリと泳いでいく。
幻覚を見ているのかと思い、そっと手を伸ばすと、スベスベした鱗の感触を残し、ツイっと鯉は身を翻した。
「ねぇ、本当にどうなっての?」
「ここはもう神域だ、深く考えずに受け入れろ」
潜ったばかりの石の鳥居を振り返ると、その先に根津神社の本堂は見えず、見渡す限りの雲海が広がっていたる。
突然、雲を突き破ってクジラがジャンプして、盛大に雲の飛沫を上げて潜っていった。
「行くぞ……」
「う、うん、えっと、手は繋いだままじゃないと駄目なの?」
「神域で迷子になったら戻れなくなるかもしれないけど、それでも良いのか?」
「ううん、このままで、お願いします」
男の子と手を繋ぐなんて、それこそ中学校の体育祭でフォークダンスを踊った時以来……いや、あの時は男子役だったから女子としか手を繋いでいないか。
それこそ、小学校の頃以来だと意識してしまったら、妙にドキドキしてしまった。
周囲は夢のような世界で、手を繋いでいるのは王子様のような男の子。
これで性格が良くて、もう少し身長があれば言うこと無いのだが、特に性格が問題外だ。
まるでトンネルのように続く朱塗りの鳥居の手前には、ちょこんと二匹の狐が座っていて、私達が近付くと案内するように先に立って歩き始めた。
参道を歩き始めた時、空は明るかったのに、五分と歩かないうちに茜色の日が差し込み、夜が訪れて参道脇の灯篭に火が点る。
蛍が舞い、紫陽花が色付く一角を抜けると、真っ赤な彼岸花が咲き乱れ、虫の音が響いていた。
時間の経過も、季節の移ろいも現実にはあり得ない光景だが、不思議な調和を感じる。
実際に参道を登っていたのは、十分ほどの時間だったと思うが、何年も掛けて上って来たように感じてしまった。
参道を登りきり最後の鳥居を潜ると、昼間の青空が広がっていた。
右手に手水舎があり、手と口を濯いて振り向くと、二人の巫女さんが立っていた。
白衣に緋袴の普通の巫女装束なのだが、身に付けている二十歳ぐらいの女性の髪は黄金色で、頭の上には三角の耳、腰の後ろでは太い尻尾が揺れている。
狐巫女のコスプレかと思ったが、耳も尻尾も本物のようだ。
「
「ご案内いたします」
もしかして、この二人は、さっきまで私達の前を歩いていた狐なのだろうか。
広い参道には真っ白な玉砂利が敷き詰められていて、その先に朱塗りの豪壮な社が建っている。
現実世界の社とは違って賽銭箱は置かれておらず、靴を脱いだ正面から真っ直ぐに階段を上がった。
階段を上がった先は、磨き上げられた板敷きの間で、正面の祭壇には丸い鏡が祀られている。
向かって左側は襖が開け放たれ、苔庭の向こうには樹齢数百年以上と思われる巨木の森が広がっていた。
目を転じると正面の鏡の下に女性が一人、五枚重ねた大座布団に、ゆったりと腰を下ろしていた。
光沢のある黒地の着物には金糸、銀糸、朱色の糸で華やかな刺繍が施されていて、まるで時代劇に出て来る
プラチナブロンドの長い髪、抜けるような白い肌、豊満な胸は着崩された着物から零れ出そうだ。
ピンと尖った三角の耳、背後から複数のぞいて見える尻尾は、おそらく九本なのだろう。
板の間に上がったところで、傲岸王子が正座して姿勢を正す。
その隣に並んで正座して、一緒に頭を下げた。
「
「ふむ……真輝よ。そのような堅苦しい挨拶は不要じゃ、構わぬ、近くへ参れ」
倉稲魂命と呼ばれた女性は、白足袋の爪先で板間を示し、傲岸王子を手招きする。
緋色の襦袢の裾からのぞく白い脚に、女の私もドキリとさせられてしまった。
傲岸王子と一緒に歩み寄って行くと、倉稲魂命にジッと見詰められ、二メートルほど手前で止まるように目で指示された。
傲岸王子は倉稲魂命の足元へ座らされ、少し離れたまま私も座らされた。
「真輝から、わらわを訪ねて来てくれるとは、嬉しいのぉ……して、今日は何用じゃ?」
「はい、お願いがございます」
「願いとな?」
傲岸王子が目で促したので、用意してきたお酒を差し出す。
「ほぅ、真澄の大吟醸山花か……」
倉稲魂命が、ふっと笑みを浮かべると酒瓶は姿を消し、代わりに蒔絵の酒器が現れた。
杯を手にした倉稲魂命は、傲岸王子に目線で酌を命じる。
銚子から酒が注がれると、ふわっと華やいだ酒の香りが広がった。
倉稲魂命は艶めかしい唇に杯を寄せると、くっと一息に飲み干した。
こくりと小さく鳴った白い喉元に、視線を釘付けにさせられてしまった。
「ふぅ、良き酒じゃ……して、願いとは何じゃ?」
「はい、そちらの者に、倉稲魂命様の加護といただきたく存じます」
「ふむ……これ、そなた名は何と申す?」
「はい、清宮姫華と申します」
爛々と光る瞳で見詰められると、心の内まで丸裸にされているようだ。
倉稲魂命は、傲岸王子に酌をさせながら、重ねて問うて来た。
「何故、わらわの加護を求めるのじゃ?」
「はい、私は物心付いた頃から、妖かしの姿を見ることが出来ました……」
たぶん、倉稲魂命は全部お見通しなのだろうが、『見える』ことで生じる周囲との軋轢や、妖かしによるトラブルの数々を話しました。
「姫華と申したな」
「はい」
「苦労したのぉ……」
「は、はい……」
何気ない言葉なのに、私の思いを理解してくれていると感じ、気付かぬうちに涙を流していた。
涙を拭った後で、加護を与えて欲しいと頼もうと、両手を床に着いた時だった。
「きゅう?」
「えっ……?」
床に置いた両手の間に、手の平サイズの狐が現れ、小首を傾げて私を見ていた。
「わらわの管狐じゃ、常人の目には見えぬが、妖かし共は加護を感じ取って悪さは出来ぬはずじゃ。側に置くが良い」
「ありがとうございます」
「きゅーきゅー」
管狐は私の肩に駆け上り、頬を擦り付けてきた。
ヤバい、ちょーふわふわなんですけど。
「加護は与えるが、結界のように妖かしとの接触を完全に断つものではないぞ」
倉稲魂命の厳しい声音に、表情を引き締めて視線を戻した。
「妖かしとても、わらわにとっては土地に暮らす者に変わりはない。故に、結界で弾き、傷つけるようなことはせぬ。管狐を連れていようとも、壁や床を通りぬけてくるような妖かしと、出会い頭でぶつかることはあるじゃろう。そのような時には、虫でも飛んで来た振りをせよ」
「はい、分かりました」
「これよりは、妖かしに悩まされることも無くなり、視線を気にする必要も無くなる。その猫背は直せ。そなたの背が丸くなった時には、管狐に注意させる、良いな」
「はい、気を付けます」
「それと、その髪じゃが……鬱陶しいから、わらわが整えてやろう」
「えっ……へっ?」
パラパラっと前髪が目の前を通って落ちていき、途中で虚空に消えていった。
慌てて手で触って確かめると、眉毛の辺りでバッサリと切られている。
肩に掛かっていた髪も、バッサリと切られ、たぶんショートボブになっている気がする。
「ふふっ……良いではないか」
「は、はぁ……ありがとうございます」
似合っているのかいないのか、鏡が無いので確かめようがない。
何となく、座敷わらしのふーちゃんとお揃いみたいになっているような気がする。
というか、傲岸王子が目を見開いてるんですけど、そんなに酷いの?
「さて、真輝よ。これで良いかの?」
「はい、ありがとうござい……んぐ」
倉稲魂命は、頭を下げようとした傲岸王子の顎をクイっと持ち上げて、唇を重ねた。
「なっ!」
思わず驚きの声を洩らした私に視線を投げ掛けながらも大人なキスを続け、倉稲魂命が唇を離したのは一分ぐらい経ってからだ。
長いキスから解放された傲岸王子は、トローンとした焦点の合わない目をして、そのまま倒れ込むように倉稲魂命の胸の谷間に顔を埋めた。
「いかんいかん、少々吸いすぎたかのぉ?」
大人の色香に惑わされるなんてイヤらしいと思いきや、倉稲魂命の一言で赤鬼に頼まれたことを思い出した。
「それって、神気を吸いすぎたってことですよね? 大丈夫なんですか?」
「なぁに、この程度は心配無用じゃ、それに、ほれ、こんなに心地良いクッションで休んでおるのだ。すぐに元気になるじゃろう」
というか、それでは違うところが元気になりそうな気がするけど、そこは言わずにおいた方が良いよね。
真輝は五分ほど倉稲魂命の乳枕で休息すると、辛うじて復活したが顔色は真っ青だ。
長居は無用とアイコンタクトを交わして、社殿から出ようとすると、倉稲魂命に引き止められた。
「真輝からは神気で手間賃を支払ってもらったが、姫華からはまだじゃったのぉ」
「まさか、私も神気を……?」
「何じゃ期待しておるのか?」
「いいえ、そんな……滅相もございません」
「ふふっ、初心いのぉ……」
倉稲魂命の妖艶な笑みに、ゾクっとさせられてしまった。
ぱっと見は、精巧な九尾の狐のコスプレだが、やはり人とは次元の異なる存在だと思い知らされる。
「姫華には、火付けを捕らえてもらおうか」
「火付け……でございますか?」
「うむ、今風に言うならば放火魔というやつじゃ」
「放火魔……」
唐突に放火魔を捕まえろと言われても、ただの女子高生に出来るとは思えない。
「期限は切らぬが、のんびりしてもいられぬ。真輝の手も借りて、早急に捕らえてもらいたい」
こんな頼みを請け負って良いものか悩んでいると、真輝が渋い表情で頷いた。
あまり乗り気ではないが、断わる訳にもいかないといった感じなのだろう。
「かしこまりました。とにかく全力で探してみます」
「そうかそうか、では頼んだぞよ」
真輝の神気をたっぷりと吸ったからか、妙に艶々している倉稲魂命に許されて、社殿を退出した。
参道を下ろうとしたら、また二匹の狐が姿を現し、私達を先導して歩いていく。
まだ少しふらついている真輝に手を引かれ、ゆっくりと参道を下った。
「ねぇ、放火魔捜しなんて引き受けて良かったの?」
「何を言ってる、引き受けたのはお前だろう」
「それは、そうだけどさぁ、手伝ってくれるんでしょう?」
「拒否したところで、巻き込まれるのは確定だろうしな」
諦め顔の真輝に手を引かれて参道を下りきると、二匹の狐は鳥居の根元に座り、こちらを見送っていた。
真輝は何の躊躇もせずに、石鳥居の先の雲海へ足を踏み出す。
「ちょっ……待って!」
そのまま、傲岸王子に手を引かれる形で根津神社の境内へと戻った。
「一言ぐらい説明してよね。あのまま落ちるかと思ったじゃないのよ」
「問題なく戻って来られたし、加護も貰えたんだから贅沢言うな」
「きゅっ!」
「そうだった。ごめん、どうもありがとう」
軽く頭を下げながら、握った手に力を加えると、真輝は薄く笑ってみせた。
「何だよ嬢ちゃん、吸われ放題じゃねぇかよ。真輝が干乾びちまうぜ」
真輝の憔悴振りに、赤鬼の童子からクレームを付けられた。
「うっ……ごめんなさい。でも、神様に文句を付けるなんて無理だよ」
「仕方ねぇな……嬢ちゃんの神気を真輝に吹き込んでやってくれよ」
「えっ、あたしの神気を吹き込むって……」
それって、真輝とキスしろってこと?
思わず真輝の唇に視線が引き寄せられると同時に、顔が熱くなってくる。
「馬鹿、冗談に決まってるだろう。鬼の言葉を本気にするな」
「うっ、だよね……」
「ぐははは、神気は補充出来なくても、元気は出るんじゃないのか?」
「面倒事が増えるだけだ」
真輝は、私とのキスにはまるで興味が無いようで、それはそれで、ちょっとムっとしてしまう。
「疲れたから帰る……」
用事は済んだとばかりに真輝は、さっさと家路に着こうとする。
こちらに戻って来た途端、あっさりと離した手をもう一度握ってやろうかと思ったけど、それだと私が気があるように思われかねないの止めておいた。
というが、フラフラしている真輝の肩には、赤鬼が座っている。
妖かしだから重量とかは関係ないのだろうが、今日ぐらいは下りて歩いてやれば良いのに。
「きゅー、きゅー、きゅー!」
「えっ、何? どうしたの?」
背中を向けたまま真輝が教えてくれた。
「猫背になってるってよ」
「あっ、そうだった」
背筋を伸ばすと、管狐が頬摺りして来る。
暫くの間は頻繁に注意されそう……と言うか、このフワフワを味わえるなら、むしろ注意されたい。
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