第6話 神気

 式典の後、椅子を持って教室に戻り、ショートホームルームをやれば本日の授業は終わりだ。

 午後から、部活動の勧誘やら体験入部などのイベントに参加する者は、お弁当を広げはじめるが、帰宅部の私は自宅に帰ってから食べるつもりだ。


「そうだ、忘れるところだった。はい、昨日の分と今日の分よ」


 プラスチックのパックに入れた豆大福は、鞄から出した途端、私の手の中から消失した。

 抜く手も見せぬ早業で、傲岸王子が奪い去ったのだ。


「あっ! こんな所で大福なんて与えちゃ駄目だぜ、嬢ちゃん」

「何で……って、えぇぇ!」


 パックから取り出した豆大福を口にした途端、傲岸王子が眩しく光り輝き始めた。

 たぶん普通の人からは『見えていない』のだろうが、赤鬼が放つ禍々しい黒い靄を吹き飛ばしてしまった。


 というか、何なの、この可愛らしい生き物。目を閉じて、両手で大事そうに豆大福を持って、もきゅもきゅ咀嚼する姿は、リスかハムスターのようだ。

 思わず見惚れてしまったのは、私だけではなかった。


「やだ、可愛い!」

「えっ、こんな男子、うちのクラスに居たっけ?」

「ヤバい、王子様みたい!」


 キャーキャーと黄色い声が湧き起こり、あっと言う間に、傲岸王子の周囲にクラスの女子が集まって来た。


「ほら見ろ。人の多い場所で、菓子とか珍しい料理とか与えちゃ駄目なんだよ。神気しんきがダダ漏れになっちまってる」


 赤鬼の口振りからして、普段はこの光の放出を自主的に抑えているのだろう。

 それが豆大福に意識を奪われて、歯止めが効かなくなっているようだ。


 陶然とした表情で豆大福を味わっていた傲岸王子だが、一個目を食べ終えたところで目を開き、今更ながらに周囲の状況に気付いたようだ。

 ビクっと身体を震わせたかたと思うと、みるみるうちに顔を真っ赤にして俯いた。


 まったく何なのだろう、この反則級の可愛らしさは。

 私と喋っている時には、あんなにふてぶてしい態度なのに、まるで別人だ。


「ねぇねぇ、鬼塚君だったよね。大福好きなの?」

「えっ、はい、いえ、そういう訳では……」


 だから、お前はどこの誰だ? 何だそのキョドった喋り方は。


「どこの大福? 美味しいの?」

「美味し……う、美味いぞ」

「やだ、かーわーいーいー!」


 いや、こんなに注目されて対処出来なくなってるんだから、二個目に手を出そうとするんじゃないの。どんだけ大福が好きなのよ。


「こいつは山奥で修験者みたいな生活してたからな、女との関わり方とか全く知らないし、婆さんが死んでからは甘いものは山になる柿とかアケビぐらいだったから、目がねぇんだよ」


 結局、傲岸王子は散々迷った挙句に、二個目の大福にも手を出してクラスの女子の目を和ませた。

 これはこの後、集まった女子達から逃れるのは大変だと思っていたら、教室の端の方から大声が響き渡った。


「良い子ぶってんじゃねぇぞ、この野郎!」


 私を含め、傲岸王子ならぬ小動物王子に群がっていた女子達が視線を向けた先では、クラスの男子数人と長倉君が睨み合っていた。

 長倉君が後ろに庇っているのは、一年生の時に同じクラスだった丸山君だ。


 落ち着いた様子の長倉くんと対照的に、丸山君はブルブルと震えている。

 長倉君と対峙しているメンバーにも見覚えがある。

 一年生の頃、丸山君を使い走りにしていた、梶山、沼田、古川の三人だ。


「手前には関係ないんだから、すっこんでろ!」

「いいや、クラスメイトとして見逃せないな」

「んだと、お前も痛い目に遭いたいのか?」

「俺はドMの変態じゃないから、痛い思いはしたくないぞ。ただし、友達を守るためならば、我慢するしかないだろうな」

「へぇ、覚悟はできてるってか?」


 ニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべた三人を前にしても、長倉君は気負った様子も見せずに問い返した。


「お前達は、どうなんだ? 俺は一方的に殴られてるつもりはないからな」


 ボキボキっと指を鳴らしながら握られた長倉君の拳は、陸上の砲丸ぐらいありそうで、殴られたら痛いだけじゃ済まないだろう。

 ぐっと歯を食いしばった長倉君の顎は、バットでぶん殴っても大丈夫そうに見えるし、殴り合ったらどうなるか結果は目に見えている。


「お前ら、何やってるんだ! 用の無い者は、さっさと帰れよ」


 通り掛かったのか、それとも誰かが呼んで来たのか、他のクラスの担任が声を掛けたので、梶山達三人は舌打ちしながら教室を出ていった。

 声を掛けた教師も、長倉君が頭を下げたのを見て、もう一度早く帰れよと言い残して立ち去っていった。


 長倉君に庇ってもらう形で窮地を脱したが、丸山君は浮かない表情を浮かべている。

 たぶん、明日以降の梶山達への対応を考えているのだろう。

 その丸山君に、ニカっと笑顔を浮かべた長倉君が話し掛けた。


「丸山で良いんだよな? 引っ越してきたばかりで友達がいなくて困ってるんだ。俺と友達になってくれよ」

「えっ、ぼ、僕と……?」

「大丈夫だぞ。金貸せとか、鞄持てとか、ジュース買って来いなんて言わない。お釈迦様に誓っても良いぞ。あぁ、でも授業のノートとかは見せてくれ、坊主は朝が早いから、退屈な授業とかは寝ちまうからさ」


 丸山君の顔がクシャっと歪み、両目からボロボロと涙が零れ落ちた。


「うぅぅ……ありがとう、ありがとう……」

「礼なんか要らないぞ。俺達は、もう友達だからな」


 長倉君に肩を叩かれても、丸山君は頷くばかりで、なかなか涙を止められないようだ。

 とても感動的なシーンで、もらい泣きしている女子もいたが、私は涙を流せなかった。


 感動よりも、これほどまでに苦しんでいた丸山君を見て見ぬ振りをして、手を差し伸べようとしなかった罪悪感の方が大きかった。

 いくら背が高くても、男子三人を相手に面と向かって注意するとか無理だと、しようと思えば言い訳は出来る。


 でも、面と向かって注意する以外にも、救いの手を伸ばす方法はあったはずだ。

 同じクラスだった女子の何人かは、私と同じく微妙な表情を浮かべている。


 長倉君と丸山君が連れ立って教室を出て行くのを見送ると、傲岸王子の周りに集まっていた女子達もバラバラに散っていった。

 何で集まっていたのか思い出せないのか、首を捻っている者もいる。


 さっきまで騒動の中心にいた傲岸王子は、二個目の豆大福を食べ終え、赤鬼の黒い靄に包まれていた。


「あんた、結構抜けてるよね?」

「うるさい……土地神様の所に連れていかないぞ」

「もう手付けを腹に仕舞い込んだのだから、ちゃんと案内してもらうわよ」

「ちっ、案内すれば良いんだろ」

「ぐふふふ、嬢ちゃんの方が一枚上手みたいだな」


 赤鬼がニヤニヤと笑うほどに、傲岸王子は不機嫌そうに顔を顰めた。

 うん、仏頂面でもイケメンとか、かなり反則だよね。


「明日の朝五時、根津神社の裏門に良い酒を持ってくる、それと鬱陶しい前髪を切ってくる……忘れるなよ」

「分かってるわよ。五時、お酒、前髪ね」

「キチンとした服装で来い。迷うなら制服にしろ」

「分かった」


 神様に直接会いに行くなんて、普通なら信じられない話だが、目の前に赤鬼が居るのだから、神様が居たって不思議では無いだろう。

 別に誘い合った訳ではないが、傲岸王子と一緒に学校を出ると、消防車のサイレンが聞えてきた。


 視線を向けると、本郷通りを駒込方面から東大の方へと数台が連なって走って行くのが見えた。

 ふと気付くと、傲岸王子が目を見開いて消防車が通った方向を見ていた。


「また来た。凄いな……何台来るんだよ」

「えっ、確か全部で十台以上になるとか聞いたけど」

「嘘だろう? ホントかよ?」

「前にテレビでやってるのを見たよ。ポンプ車数台、はしご車数台、救急車、レスキュー隊、指揮車とかで初動でも十数台になるって話だよ」

「うぉぉ、東京ヤバいな……」

「て言うか、神気だっけ? 洩れ始めてるわよ」

「えっ、ヤベぇ……ふー……はー……」


 消防車に興奮して我を失うなんて、子供か!

 傲岸王子が深呼吸して気持ちを落ち付けると、洩れ始めていた光は収まった。


「てかさ、何なの、その神気って」

「詮索しないんじゃなかったのか?」

「何も影響が無いなら詮索もしないけど、豆大福を食べる度にダダ漏れして、教室で騒ぎとか起こされると困るんですけど」

「ぐふふふ、ワシが代わりに説明してやろう……」


 渋面を浮かべて黙り込んだ傲岸王子の代わりに赤鬼が説明してくれた。

 神気とは、言うなれば人の生命エネルギーのことで、誰もが持ち合わせているらしい。


 傲岸王子は、鬼使いの家系の中でも数代に一人現れるか否かという強大な神気の持ち主なのだそうだ。

 鬼使いは、己の神気を与えることで鬼と契約し、鬼の力によって妖かしや呪いといった超常的なトラブルを解決する者で、古くは朝廷にも仕えていたそうだ。


「つまり、この神気を独占するために契約して、一緒に居るってこと?」

「まぁ、平たく言うなら、そうだ」


 なるべく視線を赤鬼の方に向けないように、傲岸王子を見て話しているのだが、傍から見ると私が一方的に話し掛けてるように見えるかもしれない。


「余計なことをペラペラ喋るな……」

「いいじゃないのよ、ちょっとぐらい……」


 余程自分のことを詮索されるのが嫌なのか、傲岸王子は話が進む程に不機嫌さを増していた。


「悪く思わないでくれ。真輝は、嬢ちゃんを巻き込むことを怖れているだけなんだよ」

「ちっ、だから余計なことを……」

「膨大な神気って奴は、人も、妖かしも、神さえも惹きつける。当然、厄介事も寄って来るもんなんだ」


 確かに、ちょっと漏れ出しただけで、女子がわんさか寄って来たのだ。

 本気で解放すれば、それだけで人を集められる。


 人が集まる所には、お金や物も集まり、その利権を巡って争いになりかねない。


「こんなもの、欲しくて手に入れたものじゃない。俺は普通の暮らしがしたいだけだ」


 吐き出された傲岸王子の望みは、ささやかなものだが、私から見ても叶えるのは難しそうに思えた。

 今日も昨日と同じ道を辿り、七面坂を上がって店の前へと出た。


 昨夜は遅くまで座敷わらしのふーちゃんと遊んだのだから、今日は店の前に行列が出来ているのではと思っていたのだが、一人のお客の姿も見えない。


「はぁ……そんなに上手くいかないか」


 私がまだ小学校に上がったばかりの頃には、店の外にまでお客さんが並び、両親、祖父母が忙しく働いていた。

 またあんな光景が見られると、勝手に思い込んでいたのだが、昨日の今日で売り上げが急に上がるほど商売は甘くないのだろう。


「明日は遅れるなよ」

「分かった、よろしくね」


 何やら意味ありげな笑みを残して去って行く傲岸王子を見送って、少し重たくなった足取りで店の裏手の玄関に向かう。


「ただいまー」


 玄関の戸を開けると、ふーちゃんが満面の笑みで迎えてくれた。

 ふーちゃんの頭を撫でていると、リビングから母が顔を出した。


「お帰り、姫華。制服を脱いで、出掛ける支度をしておいで」

「えっ、出掛けるって、どこへ?」

「美優の入学祝いに、お寿司食べに行くから」

「えっ、夜だって言ってたじゃない。それに、お店はどうするの?」

「それがねぇ……今日仕込んだ分は、ぜーんぶ売れちゃったの」

「えぇぇ! だって、まだお昼過ぎだよ」

「もう、お兄ちゃんとお婆ちゃんがてんてこ舞いだったし、私達も帰って来てから大変だったのよ」


 ふーちゃんが、腰に両手をあてて胸を張っているのを見て、また涙が零れそうになった。

 ヤバい、上手く行かないどころか、上手くいきすぎてる。


 座敷わらし、ハンパないです。

 母がリビングに引っ込んだのを確認して、ふーちゃんを抱き上げて頬ずりした。


「ありがとう、ふーちゃんが応援してくれたんだよね」


 ニッコリ笑って、コクンと頷いたふーちゃんを抱えたまま、二階の自分の部屋へと上がる。

 急いで制服を脱いで、お出掛け用の服へと着替える。


「ふーちゃんも一緒に行くよね?」


 そう尋ねてみると、ふーちゃんは首を横に振った。


「えっ、行かないの? 行きたくないの?」


 ふーちゃんは、ニッコリ笑ってコクンと頷く。

 座敷わらしは、家に憑くという話を聞くけど、本当なのかもしれない。


「じゃあ、帰ってきたら遊ぼうね」


 ふーちゃんは、ニッコリ笑って頷くと、すーっと姿を消した。

 一瞬ふーちゃんが、そのまま消えて二度と会えなくなるのかと不安になったが、姿は見えなくなっても、なぜだか近くに居るような気配がする。


 支度を終えて部屋を出る前に、おはじきを机の上に並べておいた。

 階段を下りる時、部屋からパチンとおはじきが弾ける音が聞えたのは、空耳ではないはずだ。

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