第3話 古い友達
全員の自己紹介が終わってクラスの委員を選ぶ間、『私は空気、私は空気』と胸の内で唱え続けたおかげで、委員会の仕事を押し付けられずに済んだ。
後は帰宅するだけなので、玄関へと向かいながら、傲岸王子に話し掛けるチャンスをうかがった。
別に、恋愛的な意味合いで仲良くなりたい訳ではない。
見た目は良いけれど、私とでは身長が釣り合わないし、何より性格が最悪だ。
その上、肩に赤鬼を乗せている男子なんて、恋愛対象にはなるはずもない。
初めて出会った、私以外の『見える』人として興味があるのだ。
鬼と共生しているらしい傲岸王子と、ただ『見える』だけの私を同列に並べられないだろうが、妖かしの対処法とかを聞いてみたい。
廊下に出ても学校の中では人目があるので、校外に出てから声を掛けることにした。
登校時間に谷中銀座商店街を通ったのだから。おそらく帰る方向は一緒だろう。
校門を出た傲岸王子と赤鬼は、
二十メートルほど後から距離を開けないように歩いているが、傲岸王子は振り向く素振りもなく、声を掛けるタイミングが掴めない。
一方、肩の上の赤鬼はチラチラと視線を向けて来るが、傲岸王子が足を止めるようにアシストする気は無いようだ。
声を掛ける切っ掛けに窮していると、団子坂上の信号で足を止めた傲岸王子に年配の女性が声を掛けた。
片手にメモを持っている様子からして、道を尋ねられたのだろう。
傲岸王子は笑顔を浮かべて女性の話に耳を傾けていたが、不意に顔を上げて私に鋭い視線向け、早く来いとばかりに顎しゃくってみせた。
まったく、何て失礼な男なんだろう。
それでも折角のチャンスを逃す訳にはいかないので、足を速めて近づいた。
「こちらのご婦人が知り合いのお宅を探していらっしゃるのだけど、僕は引っ越してきたばかりで、この辺りに詳しくないので手を貸していただけますか」
うわっ、誰だこいつ。
むしろ外見には相応しい話し方だけど、これまでの態度と違いすぎてドン引きだよ。
「勿論、喜んでお手伝いいたしますわ。どちらへ向かわれますか?」
私も殊更に丁寧な口調で応じると、傲岸王子の笑顔が引き攣ったのが良く分かった。
「すみませんね。こちらのお宅に行きたいの……」
年配の女性が持っていたメモには、住所と簡単な地図が描かれていたけど、これだけでは少し分かりにくい。
「たぶん、あちらの方向だと思いますけど、念のために調べますね」
スマホのアシスタント機能で音声入力して住所を調べると、目的地は不忍通りの反対側だった。
おそらく、千駄木駅を出てから通りを渡らず、逆方向に進んでしまったのだろう。
スマホを見ながら方向を示すと、道に迷っていた女性だけでなく、傲岸王子までが画面を覗き込んでいた。
私に見られていると気付いて慌てて視線を外したが、思いっきり挙動不審だ。
「こいつは熊野の山猿だからな、今どきのカラクリには丸っきり疎いぞ」
まさかと思ったが、傲岸王子はスマホが使えないらしい。
ニヤニヤと笑う赤鬼に、傲岸王子は小さく舌打ちをしていた。
詳しい事情は分からないが、世間ずれした人物であるのは間違いないらしい。
女性を目的地まで案内し終えると、さっさと立ち去ろうとする傲岸王子に、今度こそ話し掛けた。
「ちょっと待って。話を聞かせてくれない?」
「お前に話すことなんか何もない。余計な詮索はするな……」
足を止めてチラリと振り向いた傲岸王子は、ボソっと言い捨てると再び歩き出した。
「待って。その肩の上の存在がどうとか、あんたの生い立ちがどうとかいう話じゃないの。本当に困ってるの……お願い」
前に回り込んで拝み倒すと、傲岸王子は頭をガリガリと搔きながら大きな溜め息をついた。
「はぁ……ちょっとだけだぞ」
「ありがとう」
仏頂面の傲岸王子を初音の森の防災広場に引っ張って行き、ベンチに腰を下ろした。
「それで、話って?」
「どうすれば、妖かしに追い掛けられなくなるの?」
幼い頃から妖かしが『見えて』しまい、私に『見られている』と気付いた妖かしによって生活に支障をきたしていることを包み隠さず話した。
だが、傲岸王子の返事は
「知らん」
「えっ?」
「だから、知らん。俺は妖かしじゃない。妖かしが寄って来る理由なんか知らん」
「えっ、だって……」
だって鬼を連れているじゃないと言いかけて、何のために鬼を連れているのか、どういう経緯で鬼を連れて歩くようになったのか、全く知らないことに気が付いた。
そして、それを尋ねるのは、詮索をしないという約束に反する。
自分と同じく『見える』人に尋ねれば、妖かしに生活を乱されない方法が分かると勝手に思い込んでいただけで、知らないと言われてしまえばそれまでだ。
次の言葉が見つけられなくて、黙り込んでしまった。
「他に用が無いなら……」
「簡単だぜ、嬢ちゃん」
腰を浮かせかけた傲岸王子の肩の上から、赤鬼が語り掛けて来た。
「おい、余計なことを……」
「強い妖かしを側に置くか、土地神様から加護を授かればいい」
言葉を遮ろうとする傲岸王子に構わず、赤鬼が教えてくれた。
「土地神様の加護って……御守りとか御札とか?」
「ぐふふふ、あんなものは金儲けの道具だ。直々に土地の神様から授かる加護だ」
「直々にって……神様本人から貰うってこと?」
普通に考えれば、ありえない話なのだが、赤鬼はニヤリと笑って頷いた。
「もう、いいな。俺はこれで……」
「ちょっと待ちなさいよ。あんた知ってたんじゃない!」
「別に、童子の口から聞いたんだ、構わないだろう」
「構わなくないわよ。何で教えてくれないの? あたしは本気で困ってるのに」
せっかく『見える』人に出会えたと思ったのに、この人ならば私の苦労を理解してくれると思ったのに、あまりの仕打ちに腹が立った。
少し声を荒げてしまったが、傲岸王子は顔色一つ変えていない。
「教えたら、お前は自分で解決できたのか?」
「えっ、どういう意味?」
「強い妖かしを側に置いたり、土地神様の加護を手に入れられたのか?」
「それは……」
「出来ないことを教えたところで、意味なんて無いだろう」
言葉に詰まった私に、傲岸王子は冷たく言い捨てたが、肩の上の赤鬼はニヤニヤと笑っている。
その笑顔を見た瞬間に閃いた。
「知ってるんでしょ? 強い妖かしを従える方法とか、土地神様から加護を授かる方法とか」
傲岸王子は小さく舌打ちすると、自分の肩の上を一瞥した。
「余計なことを教えるから……」
「ぐふふふ、諦めろ真輝。土地神様のお導きってやつだ」
「何で俺が、会ったばかりのこんな暗い女の世話を焼かなきゃいけないんだ」
「ちょっと、暗い、暗いって、朝から何度も失礼よ」
「そんなに鬱陶しく前髪を伸ばして、背中丸めて、暗いという言葉を体現しているような女が何を言うか」
「ま、前髪はそろそろ切ろうかと思っていたわよ。そんなことよりも、どうすれば土地神様の加護が得られるのよ。どこに行けば会えるの?」
私の質問を聞き、傲岸王子は心底面倒そうに顔を顰めました。
この表情からして、間違いなく土地神様に会う方法を知っているはずです。
「諦めろ、真輝。今朝の出会いからして、土地神様に仕組まれているんだよ」
赤鬼が言う通り、今朝からの一連の出来ことは、出来すぎているという印象が否めない。
「何で俺が……」
「うちの豆大福、一ヶ月分でどう?」
「ま、豆大福一ヶ月分だと……?」
今どき大福なんて……と言われるかと思いきや、傲岸王子は目を輝かせて食いついてきた。
今までの面倒そうな表情が嘘のように目を輝かせている。
「美味いのか?」
「当たり前でしょ。うちは江戸時代から続く老舗の餅菓子屋なんだからね。餅米も、小豆も、赤えんどう豆も、厳選したものを使った逸品よ」
「一ヶ月、毎日食えるんだな?」
「て、定休日は除く……あぁ、その分は翌月に回してあげるわよ」
「いいだろう。土地神様に引き合わせてやる」
傲岸王子が思わぬ形で折れたのに、今度は赤鬼が頭を抱えている。
「はぁ……大福に釣られるとは、これが由緒正しき鬼使いの末裔か……」
「鬼使い?」
詮索しないと約束していたのに、耳慣れない言葉に思わず反応してしまった。
「こいつは平安の昔から続く鬼使いの末裔だから、おにつか……なんだぜ」
鬼使いとは何なのか、詳しい話を聞いてみたいと思ったけれど、傲岸王子の詮索するなオーラに押されて言葉が継げなかった。
「それで、土地神様には、どうやったら会えるの」
「明後日の土曜日、土地神様のところへ連れて行ってやる」
「土地神様って、どこにいらっしゃるの」
「
「えっ、お諏訪さまじゃないの?」
谷中の土地神様というならば、諏訪神社におわすのかと思ったら、どうやら違うらしい。
「諏訪神社か……根津に行けと言われた」
傲岸王子の口ぶりでは、まるで諏訪神社の神様と会って話をしたかのようだ。
鬼を連れているぐらいだから本当に会ったのかもしれないし、何やら事情がありそうだが今は肝心な話を進める。
「根津神社なら何度もお参りに行ってるけど、土地神様に会ったことなんて無いわよ」
「当たり前だ。十円、百円チャリンと投げ込むだけで、土地神様に会えるはずないだろう。そもそも、賽銭や玉串料は神職の稼ぎでしかないぞ」
「確かにそうかもしれないけど、それを言ったら身も蓋も無いんじゃない?」
「まぁな……とにかく、明後日の五時、根津神社の裏門、駐車場の所に来い」
「五時って、朝の五時?」
「そうだ、人目に付く時間だと面倒だからな」
「なるほど……何か用意していく物とかは?」
「清潔でキチンとした服装で来ること、良い酒を買ってくること、安物なんか買ってくるなよ。味にうるさい人への贈答品だと酒屋に言って選んでもらえ。それと、その鬱陶しい前髪は切って来い」
「服装と、お酒と、前髪……分かったわよ」
実際、この前髪は自分でも鬱陶しいと思うことがあるが、この髪のおかげで妖かしに『見える』と悟られずに済んだこともあるのだ。
切りたいけれど、切るのは不安にも感じる。
「ねぇ、土地神様にお願いすれば、加護を授けてくれるの?」
「さぁな、それは土地神様の気分次第だな」
「もし駄目だったら? 他に妖かしが寄り付かなくなる方法は無いの?」
「あるぞ」
待ってましたとばかりに答えたのは赤鬼だ。
「土地神様の加護以外の方法なのよね?」
「そうだぜ」
「それを手に入れるのは大変?」
「なぁに、簡単だ。真輝と夫婦になって四六時中一緒に過ごせば、儂も近くにいるから妖かしなんぞ寄って来ないぞ」
「なるほど……って、ばっかじゃないの! あたし達は、まだ高校生よ」
額に手を当て、頭痛を堪えるように小さく首を振った傲岸王子の肩の上で、赤鬼は楽しげに笑っている。
「十五、十六で嫁に行くなど、昔は珍しくもなかったぞ。それこそ親同士の選んだ者のところへ嫁ぐのが当たり前の時代もあった」
「今は、そんな時代じゃないの。それに、今日会ったばかりなのに結婚とかありえない」
「それならば、これから互いを良く知れば良いではないか」
「結婚はそんな単純な話じゃ……」
「その辺にしとけ。童子の姿も言葉も、普通の者には見えも聞えもしないのを忘れてるぞ」
仏頂面で頬杖を突く傲岸王子に言われハっとして周囲を見回すと、少し離れた所で観光客っぽい中年女性のグループが、こちらを眺めてひそひそ話をしていた。
結婚云々の話を赤鬼ではなく、傲岸王子としていると思われているとしたら……顔から火が出るかと思った。
「大福」
「えっ?」
「今日の分の大福をよこせ」
「そ、そうね。いいわよ、うちまで来て。さぁ、行くわよ」
観光客らしき中年女性達の生暖かい視線から逃れるように、傲岸王子を連れて自宅に向かう。
岡倉天心記念公園の前を通り過ぎ、観光客の多い夕焼けだんだんではなく七面坂を上がった少し先、右手にある餅菓子屋、清心堂が私の家だ。
私がまだ小学生だった頃は、学校から帰って来る時間には店の前はお客さんで賑わっていたが、今はすっかり寂れてしまっている。
普段は裏手から家に入るのだが、今日は傲岸王子が一緒なので店の表に案内した。
「ここがうちの……って、どうかしたの?」
傲岸王子は少し離れた場所で足を止めて、じっと店を眺めていた。
肩の上で赤鬼も腕組みをして店を見詰めている。
「いるな」
「こんな街中に珍しいが……」
この二人には、私にも『見えていない』ものが『見える』のだろうか。
「ちょっと、何の話よ」
「最近、売り上げが落ちているだろう」
「えっ、どうして分かったの?」
傲岸王子は質問には答えず、私の顔をじっと見ている。
「何よ、あたしの顔が売り上げに影響しているとでも言いたいの?」
「お前、昔から『見えて』いたんだよな?」
「そうよ。だから悩んでるって言ったでしょ」
「売り上げが下がったのは、お前が悩み始めた頃からじゃないのか?」
「えっ……?」
自分の厄介な体質と、実家の売り上げに関係があるなんて考えたこともなかった。
だけど良く考えてみると、店の売り上げが落ち込み始めたのは、私が前髪を伸ばし始めた小学生の終わりから中学生に上がる頃だった気がする。
「言われてみれば、そんな気もするけど、何で私の体質と店の売り上げが関係するのよ」
「たぶん、お前に遊んでもらえなくなって、臍を曲げてるんだろう」
「えっ、何の話よ」
傲岸王子は私の問い掛けには答えず、店の前まで歩み寄ると、すっと胸の前で両手を合わせた後で左右に大きく開いた。
パ――ン!
傲岸王子が音高く
例えるならば、雲間から太陽が顔を覗かせた時のように、急に明るくなって清浄な風が吹き抜けたように感じる。
『見える』体質の私だけなのかと思いきや、周りに居た通行人もキョロキョロと辺りを見回したり、空を眺めたりしていた。
空は雲一つない晴天で、もちろん日食など起こってもいない。
「大福は、明日必ず学校に持って来い。それから、友達とちゃんと遊んでやれ」
「えっ、どういうことよ。ちょっと!」
傲岸王子は、呼び止める私の声を無視して、日暮里駅の方へと歩み去っていく。
「もう、何なのよ……」
自分勝手な傲岸王子を見送っていると、周囲の声で異変が続いているのに気付かされた。
「ねぇ、ここ美味しそうじゃない?」
「あたし、お団子食べたい」
「あっ、桜餅あるわよ」
そんな声に振り返ると、店の前に人だかりが出来始めている。
ここ何年か見ることの無かった風景を眺めていたら、カチリと頭の中の鍵が開いた気がした。
「なんで……どうして忘れてたの?」
小走りに家の裏手へ回り、玄関の引き戸を開けると、絣の着物姿でおかっぱ頭の女の子が立っていた。
「ふーちゃん! ふーちゃん、ふーちゃ……」
ボロボロと涙が溢れて、女の子の姿が滲む。
小学生の頃の私は、学校から帰って来ると、毎日ふーちゃんと遊んでいた。
毎日、私を出迎えて、夕ご飯の頃になると、ふっと姿を消す。
ふーちゃんは、親戚か、近所の女の子だと思い込んでいた。
いつもニコニコと笑っているだけで、一言も喋らないけど、心が通じ合っているみたいで、一緒にゲームをしたり、トランプをしたり、仲良く遊んでいたものだ。
ふーちゃんとの関係が変わったのは、妹の一言からだった気がする。
「ふーちゃんなんて居ない! お姉ちゃんは一人で遊んでばっかりで、一緒に遊んでくれない、意地悪……」
妹には、目の前に居るふーちゃんの姿が見えていなかった。
兄にも、母にも、父にも、ふーちゃんの姿は見えず、妹と遊ぶように両親から厳しく怒られた。
その頃、祖父が癌を患って入院していて、両親も心労が重なっていたのだろう。
祖父は、そのまま帰らぬ人となってしまい、店の売り上げが落ちたのは、代替わりして味が落ちたからではないかと父は随分悩んでいたようだ。
そんな時に、ふっと祖母が呟いたことがあった。
「座敷わらしのお福様が、どちらかへ行かれてしまわれたのかもしれないねぇ……」
曽祖父の一人娘として、この家で育った祖母は、幼い頃に白い人影が家の中をスーっと通り過ぎるのを何度も見たらしい。
清心堂には座敷わらしが住むと噂になったこともあったと聞いたが、まだ幼かった私は、それがふーちゃんだとは気付かなかった。
「そうだよね。ふーちゃんは初めて会った時、お福って名前を教えてくれたんだものね」
久しぶりに会ったふーちゃんは、ニコニコ笑いながら頷いた。
「お福だから、ふーちゃん。あたしが言ったのに忘れてたよ。ずっと遊んであげられなくて、ごめんね」
あの頃、同じぐらいの目線だったふーちゃんは、今では私の腰ぐらいしかない。
それだけ私が育ってしまったのだ。
「よし、今日は何して遊ぼうか。いっぱい遊んじゃおう!」
妹は、この春中学生になる。
もうお姉ちゃんに遊んでもらえないと、駄々を捏ねることもないだろう。
この日、私はふーちゃんと一緒に、時間も忘れて懐かしい遊びに興じた。
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