第27話 躑躅の花
「きゅっ! きゅーきゅーきゅー!」
日曜日の早朝、くーちゃんに起こされた。
昨日は、店の手伝いをして忙しく動き回っていたせいで、昼間は気を紛らわせることが出来たが、布団に入ってからはなかなか寝付けなかった。
寝不足気味だからか、少し頭痛もする。
「きゅきゅっ!」
「きゅーきゅきゅっ!」
「えっ? くーちゃんが増えた?」
寝ぼけ眼を擦りながら起き上がった私の前には、二匹のくーちゃんがいた。
「きゅーきゅきゅー!」
「えっと、くーちゃんはこっちで?」
「きゅーきゅーきゅきゅっ!」
「もしかして、土地神様のお使い?」
「きゅーきゅー」
その通りだと頷いた管狐が見上げた先には、パリっとクリーニングされた制服が掛けられてあった。
「もしかして、土地神様のお呼び出し?」
「きゅーきゅー」
良く考えてみれば、禍者を退治したものの、土地神様に報告をしていない。
でも、行けば何か怖いことが起こりそうな気がして、正直ちょっと行きたくない。
「きゅっ!きゅきゅっ!」
「くーちゃんが守ってくれるの?」
「きゅーきゅー」
「本当かなぁ……だって、くーちゃんは土地神様に仕えてるんだよね」
「きゅーきゅきゅうきゅーきゅー!」
「はいはい、分かりました。疑ってごめんなさい」
時計を見ると、まだ六時前だった。
サラリーマンの家庭だと、日曜日のこんな時間にはまだ眠っているのだろうが、うちの一階では仕込みの作業が始まっている。
階下から昇ってくる餅米を蒸す匂いや、石臼で餅がつかれる音に包まれながら身支度を整えて、書置きをしてそっと家を出た。
いつもの通学路を歩くと、管狐を二匹も連れているのが珍しいのか、妖かしたちが足を止めて視線を向けて来る。
ほんの一週間ほど前までは、妖かしに『見える』ことを気取られないように、ビクビクしながら暮らしていたが、今は視線を返す余裕がある。
とは言っても、全部土地神様の加護、管狐のくーちゃんのおかげだ。
「くーちゃんが居なくなったらどうしよう? 真輝と結婚するしかないのかな?」
「きゅう?」
自分で口にしておきならが顔を赤らめている私に、くーちゃんも呆れているみたいだ。
初音の森の防災広場が見えてきたところで、思わず足が止まってしまった。
日曜日のこんな時間に、長倉君も丸山君も居るはずがないのに、まだ心の整理がついていないから足が進まなくなる。
「きゅう!」
「うん、分かってる……」
くーちゃんに急かされて、深呼吸をしてから歩き出す。
防災広場には、ラジオ体操に集まっている年配の方々の姿しかなかった。
ほっと胸を撫で下ろして歩みを進める。
ジョギングや散歩を楽しむ人をたまに見かけるぐらいで、まだ街は眠っているようだ。
不忍通りに出ても、車の量は平日の半分どころか十分の一以下だ。
根津神社に向かって歩きながら、考えてしまうのは丸山君への説明ばかりだ。
正直に言うと、明日は少し早起きをして、店の前で真輝が来るのを待とうと思っている。
ちょっとズルいとは思うけど、私一人で丸山君と向き合う自信が無いのだ。
「きゅう!」
「そうだね。くーちゃんも一緒に居てくれるよね」
「きゅーきゅー!」
しまった、思わずくーちゃんに返事をしてしまったら、前からジョギングしてきた人が怪訝な表情を浮かべていた。
幻覚に向かってお喋りする、残念な子だと思われてしまっただろうか。
根津神社に着くと、裏の参道にまで屋台が置かれている。
まだ、囲いをされたままだが、あと数時間もすると準備が始められるのだろう。
この時期、根津神社では恒例のつつじ祭りが開催される。
すでに早咲きの
根津神社の社殿ではなく、乙女稲荷神社の鳥居へと足を向ける。
真輝を真似て、四礼四拍手すべきか迷っていると、そのまま進めとお使い役の管狐に促された。
一つ深呼吸をして気持ちを静め、一礼して鳥居を潜ると景色が一変する。
小高い丘の上へと続く、千本はあろうかという朱塗りの鳥居のトンネル。
参道脇には、色とりどりの躑躅が咲き誇り、甘い香りを漂わせている。
金や紅白の鱗が美しい錦鯉が、すーっと滑るように宙を泳いで横切っていった。
一度来ているが、やはり常識外れな光景に目を奪われてしまう。
朱塗りの鳥居の手前には、今日も二匹の狐が出迎えてくれた。
鳥居のトンネルは一本道のはずだが、迷子になったら戻れなくなるかもしれないと真輝に言われているので、素直に案内にしたがって階段を上る。
階段を上りきるまでの十分ほどの間に、夕暮れや星空へと周囲の景色は様変わりした。
これは土地神様が演出してくれているのか、このように作られているのか、いずれにしても、幕張にあるアミューズメントパークでも真似の出来ない光景だ。
階段を上りきり、手水舎で口と手をすすいで振り返ると、二人の巫女さんが控えていた。
しまった、案内役の狐が化けているのか、確かめるのを忘れてしまった。
「宇迦様がお待ちでございます」
「ご案内いたします」
白絹朱袴の巫女装束に狐耳と尻尾、おまけに美女となれば、秋葉原に行ったら、あっと言う間にオタク達に囲まれるだろう。
真っ白な玉砂利の参道を進み、朱塗りの豪奢な社殿へ上がると、金糸銀糸の刺繍の施された朱の着物をまとった倉稲魂命様がゆったりと腰を下ろしていらした。
「倉稲魂命様におかれましては、ご機嫌麗しく、恐悦至極に存じます」
磨き上げられた板敷に正座をして、真輝を真似して挨拶すると、倉稲魂命様は着物が霞んで見えるほど艶やかな笑みを浮かべてみせた。
「よう参った姫華。ささ、もっと近う寄れ……」
「はい……失礼いたします」
倉稲魂命様にヒラヒラと手招きされると、フラフラと引き寄せられてしまいそうになる。
ふくよかな乳房が零れ落ちそうに胸元を開き、九尾の狐のコスプレを思わせる姿なのに、不思議と欠片も嫌らしさを感じない。
この辺りが、神様たる所以なのだろうか。
手が届きそうな位置に座らされると、倉稲魂命様は笑みを浮かべて労いの言葉を掛けてくれた。
「此度の働き、真に大儀であった。どうじゃ、真輝との妖かし捜しは楽しかったか?」
「はい、楽しくもありましたが、苦しくもありました」
「ほほぅ、もう少し詳しく聞かせてたもれ」
「はい、私は妖かしとの付き合い方に悩んで以来、人との触れ合いも避けて生きてまいりました……」
倉稲魂命様に問われるままに、自分と同じく光景を『見える』真輝と力を合わせて、困難を乗り越える喜びを感じた一方で、無力感や罪悪感に苛まれていることを話した。
「姫華よ、わらわを恨んでおるか?」
「とんでもないです。くーちゃ……じゃなくて、加護を授けて下ったおかげで、私はもう一度広い世界を見られるようになりました。倉稲魂命様には大変感謝しております」
「じゃが、もう少し手を貸してくれれば……とも思っておるのではないか?」
「それは……はい、その通りでございます」
怒られるかと思いましたが、倉稲魂命様は二度、三度と頷いてから、理由を教えてくれました。
「姫華よ、神ならば全てを思い通りにできると思うか?」
「それは……出来るような、出来ないような」
「その通りじゃ」
「えっ……その通りですか?」
「わらわは、この世を思う通りに動かせる」
「それじゃあ……」
もっと手助けが出来たのか訊ねようとしたら、すっと手を翳されて止められてしまった。
「まぁ急くな。わらわは思う通りに世の中を操れるが、神は一人ではない」
「あっ……他の神様が嫌だと思ったら、元に戻されてしまうのですか?」
「うむ、それもあるが……この世の因果には均衡があるのじゃ」
「因果の均衡……ですか?」
「簡単に言うならば、良い事ばかり続けると、後々凶事がまとめて降りかかって来るという感じじゃな。その因果の均衡は、地球という大きな単位で保たれている」
倉稲魂命様は、谷中、根津、千駄木界隈を、好き勝手に作り替えることも出来るらしい。
ただし、神様が手出しをすることは因果を狂わせることであり、その皺寄せは少しずつ、少しずつ蓄積してゆき、やがて大きな災い引き起こすそうだ。
「大きな地震、台風などによる水害などは、そうした因果の揺り戻しじゃ。神の手出しは星の因果を狂わすが、人の働きは星の因果までは影響を及ぼさぬ。ならば、人の世のことは、人に働いて解決してもらうしかないということじゃ」
つまり倉稲魂命様は、手出し出来る最小の範囲で、最大の効果を得る手助けを行ったということなのだろう。
私の胸の内を察したのか、倉稲魂命様は大きく頷いてみせた。
なるほどと納得する一方で、疑問が残っていない訳ではない。
例えば、くーちゃんが弓に姿を変えたが、私だけでなく真輝にも使えるようにすれば良かったのではなかろうか。
そうすれば、神気の受け渡しをする必要も無かった気がする。
視線を落として考えてから、ふっと視線を戻すと、倉稲魂命様は悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「少しは、わらわが楽しめる演出があっても良いであろう?」
「なっ……それじゃあ、あれは!」
「なんじゃ、姫華とて満更ではなかったであろう? それとも、身の毛もよだつほどの嫌悪感を抱いておったとでも申すつもりか?」
たぶん、真輝と唇と重ねていた時の私の気持ちまでお見通しなのだろう。
気持ち良いとか、うっとりしていたのまで知られているのかと思うと、顔が熱くなるのを止められなかった。
「うぅぅ……初めてだったんですからねぇ」
「くっくっくっ、姫華は初心いのぉ……」
結局、私は倉稲魂命様のオモチャにされるために呼び出されたようだ。
「姫華、丸山優二への説明は、昨日のうちに真輝にやらせておいた。明日は何の憂いも持たずに登校するが良い」
「えっ……だって、神様は手出ししないんじゃ……」
「わらわのために働いてくれた者に報いぬほど、わらわは冷酷な神ではないぞ」
「あ、ありがとうございます」
「礼など無用じゃ。ふむ、此度は姫華は良く働いてくれた、こちらが礼をせねばなるまいな」
倉稲魂命様は、手振りで私に立つように指示すると、ふーっと吐息を吹きかけてきた。
「えぇぇぇ……」
「制服は部屋に届けておくから心配要らぬぞ。着付けは祖母にでも習うがいい」
学校の制服が、一瞬にして着物に変わっていた。
青地にピンクの躑躅が咲き誇る着物に、薄紫に橙の躑躅模様の帯、一体どれほどの値段がするものなのか見当も付かない。
「なぁに、道案内をした婦人に、もらって欲しいと頼まれたとでも言っておけば大丈夫じゃ。それでも気が収まらぬ時には、そうじゃな、良い酒を頼むとしよう」
倉稲魂命様の意思を感じ、姿勢を改めてお礼を述べてから、社殿から下がった。
「きゅー、きゅきゅっ!」
「ちょっと、くーちゃん、くすぐったいよ」
倉稲魂命様が下さった着物は居心地が良いのか、くーちゃんは袂や襟元に潜り込んで来て、気持ち良いけどくすぐったいし、着崩れてしまわないか心配になる。
朱塗りの鳥居のトンネルも、慣れない着物、足袋、草履なので、上って来た時よりも下りる方が時間が掛かった。
参道を下りきった先、石の鳥居の向こうには、遥か彼方まで雲海が広がっている。
鳥居を潜れば、元の世界に戻ると分かっていても、雲の上へと踏み出すのは少々勇気が必要だ。
「きゅう、きゅう!」
「分かってる、くーちゃんが居れば大丈夫なんだよね。あっ、そうだ、着物を脱ぐ前に真輝に見せてって……あーん、スマホが無い。制服の中だよ。はぁ……」
一つ溜息をついてから、気を取り直して鳥居を潜ると真輝が立っていた。
息が止まるかと思うほど驚いたが、真輝も普段とは違う私に驚いたようだ。
少しだけど神気が漏れ出しているのは、この前の修祓の影響なのだろうか。
「真輝、神気が漏れてるけど、大丈夫?」
「えっ! あぁ、うん! だ、大丈夫だ」
体調が戻っていないのに、倉稲魂命様に呼び出されたのだろうか。
少し顔が赤いようにも見える。
「真輝、本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。心配ない……」
「ぐふふふ、嬢ちゃんがあんまり艶っぽい恰好で、美味そうに見えたんじゃないか」
「ば、馬鹿。何言ってんだ……」
これって、もしかして真輝は、私の着物姿に見惚れたってことなの?
真輝は大きく息を吐いた後で、表情を引き締めて訊ねてきた。
「土地神様に呼び出されたのか?」
「うん、この着物はお礼としていただいたの」
「そうか、厄介事は押し付けられなかったか?」
「大丈夫。あっ……真輝、ありがとう。丸山君に説明してくれたんだって?」
「あぁ、人使いの荒い神様がいらっしゃるもんでな」
「それでも、ありがとう。正直、どんな顔して会えば良いのか悩んでたから」
「姫華が負い目を感じることなんて何も無いからな。堂々と胸を張っていろ。猫背はもう卒業だぞ」
「うん、そうだね。くーちゃんに注意されちゃうもんね」
「きゅう!」
倉稲魂命様の神域には、思っていたよりも長い時間留まっていたようで、根津神社の境内では屋台が店を広げ、参拝客で賑わい始めていた。
「そう言えば、真崎も呼び出されたんじゃないの?」
「ここまで来させるのが目的だったんじゃないか、案内役の管狐が居なくなってるからな」
「じゃあ、一緒に屋台……あぁ、お財布も制服の中だよ」
「きゅう!」
軍資金無しでは屋台巡りは出来ないと諦めかけていたら、躑躅模様の財布を咥えたくーちゃんが、袂から顔をのぞかせた。
「どうする? 真輝」
「後が怖いが、受け取らなくても結果は一緒だろう」
「じゃあ、一緒に屋台巡りしようよ」
「屋台か……」
「チョコバナナとか、りんご飴とか、お好み焼きとか……って、真輝、神気漏れてるから!」
「お、おぅ……すー……、はー……、だ、大丈夫だ。って、何むくれてるんだ?」
「何でもない……」
くぅ、私の着物姿はチョコバナナ以下か……。
「ぐふふふ、お子ちゃまの真輝には、まだ大人の味は早いみたいだな」
ふんだ、見てなさい、今に私の魅力で神気ダダ漏れにさせてあげるんだから。
谷根千あやかし小路 - 鬼使いの王子様 - 篠浦 知螺 @shinoura-chira
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