第26話 男たちの談合
土曜日の早朝、優二から電話が掛かって来た。
俺は住職の息子だから休日でも早くから起きているが、優二は昨日から一睡もしていないような気がする。
優二からの電話は、ある場所への同行の依頼だった。
老舗の餅菓子屋清心堂、クラスメイト清宮姫華さんの自宅だ。
一昨日の午後、優二と清宮さんは、ちょっとした仲たがいをした。
俺が言えた義理ではないのだが、思春期の男女には有りがちな話だ。
そして昨日の朝、その件を謝ろう通学路の途中で清宮さんを待っていたのだが、事態は思わぬ方向へと転がっていった。
清宮さんが、優二のお姉さんには危険な妖かしが憑いていると言い出したのだ。
いや、清宮さんだけではない、色々と謎な部分の多いクラスメイト鬼塚も同じ意見というか、鬼塚が主導しているようにも見えた。
面倒な話なのだが、優二と鬼塚は反りが合わないために、ここでも一悶着が起こってしまった。
行かせろ、行かせない、退け、退かない……などと言うと、長い時間揉めていたかのようだが、実際には五分にも満たない時間だった。
加勢した俺は鬼塚に投げ飛ばされ、優二は当て身を食らい、あっさりと突破されてしまった。
だが、問題は投げ飛ばされたことではない。
俺達が足止めされている間に、優二の家の周辺で大規模な火災が起こり、多数の負傷者が出て、優二のお姉さんの行方も分からなくなっている。
優二の家も半焼し、消火活動が行われたために、お姉さんが自主的に家を出たのか、それとも誰かに連れ去られたのかも分からない状態だ。
警察は、一応失踪届けは受理したようだが、すでに成人している女性であるし、幼い子供のように積極的に探す気は無いように見える。
だが、優二の話では、スマホも財布も、家の鍵も部屋に残されていたそうで、普段履いている靴やサンダルさえも残されていたらしい。
失踪には清宮さんと鬼塚が関わっているように感じるが、高校生二人が女子大生を拉致した……なんて話をしたところで、警察が動いてくれるとも思えなかった。
まして、拉致の理由が危険な妖かしに憑かれているから……なんて話せば、正気を疑われるだけだ。
それでも、あの時の清宮さんと鬼塚の表情は真剣そのものだったし、切羽詰まった焦りすら感じられた。
警察が動かないなら自分で動くしかない。
優二からの電話は、俺の予想の範囲内だった。
早朝から押しかけようとする優二を、うちの寺に立ち寄らせて落ち着かせる。
思った通り、昨夜は一睡もしていないそうなので、宥めすかして仮眠を取らせた。
三時間ほど仮眠して、濃い目のお茶を飲むと、ようやく優二も落ち着いたようだ。
正直、うちに来た時には、少し目が逝ってしまっている状態だった。
「落ち着いたか?」
「うん、ありがとう隆道」
「何も連絡が無いのは、清宮さんなりの事情があってのことだと思うし、お店は今日も営業されているはずだ。話が聞けなかったとしても、暴れて迷惑を掛けるようなことは止めよう」
「分かった。でも、自分で自分を抑えられるか自信がないから、暴走した時は止めてもらえるかな?」
「あぁ、任せろ。羽交い絞めにして、引き摺ってでも止めてやる。友達だからな」
「ありがとう、よろしく頼むね」
事情を話して、襖の陰から話を聞いていてもらっていた親父からもOKが出たので、清宮さんの家に向かう。
いつもなら、趣味のオカルト話を引っ切り無しにしてくるのだが、今日の優二は黙ったままで、俺の話にも短く答えるだけだった。
清宮さんが会ってくれるか、会ってくれたとして本当の話をしてくれるか、話してくれない時には、何と言って聞き出そうか、色々考えながら歩いていたら気付くのが遅れた。
岡倉天心記念公園の前に、鬼塚が腕を組んで立っていた。
鬼塚を見た瞬間、優二が掴み掛っていきそうになったので、慌てて引き止めた。
鬼塚はくいっと顎を振って付いてくるように示すと、公園に足を踏み入れていく。
公園の奥で向かい合うと、鬼塚から口を開いた。
「姫華に聞きたいことは、全部俺が答えてやる」
「なんで、お前なんかに聞かなきゃいけないんだよ」
「姫華の心をこれ以上傷つけないためだ」
鬼塚のグリーンの瞳には、絶対に譲らないという強い意志が宿っていた。
「優二、とにかく鬼塚に話を聞こう。それでも納得がいかないなら、その時に考えよう」
「……わかった」
優二は不満げではあったが、鬼塚の申し出を了承した。
「早速で悪いが、優二のお姉さんが何処に居るのか知っているのか?」
鬼塚は、質問した俺と視線を合わせた後、優二と視線を交えながら静かに言った。
「お前の姉は、妖かしに殺された」
「ふざっけ……んな……」
声を荒げかけた優二だったが、真っ直ぐにぶつけられる鬼塚の視線に、気圧されるように言葉を飲んだ。
優二の代わりに俺が訊ねた。
「鬼塚、もう少し詳しく話してくれ」
「いいだろう。事の起こりは、姫華に妖かしに関する相談を……いや違うな、俺が土地神様に挨拶に出向いたのが始まりだ」
鬼塚は鬼と契約を結び、妖かしや呪いを祓う鬼使いの末裔だそうで、紀州熊野からの引っ越しに際し、谷中周辺の土地神様に挨拶に出向いたそうだ。
その折に、ある妖かしの修祓を依頼され、その現場で清宮さんと出会ったそうだ。
修祓を見た清宮さんから妖かし絡みの悩みを相談された鬼塚は、土地神様から加護を授かれるように仲介し、その時に放火を行う妖かしの修祓を依頼されたらしい。
「最初は上野のホームレス、次がブラック企業の社畜、新聞配達員、コンビニでバイトをしていた大学生、そして最後がお前の姉だ」
鬼塚の説明は、土地神様や妖かしといった言葉を除けば理路整然としていて、現実に起こった事件を重ね合わせれば、単なる作り話ではないと確信できた。
鬼塚は、優二のお姉さんの最期の様子や、妖かしが修祓された時の様子も淡々と感情を交えずに語って聞かせた。
「それじゃあ、清宮さんがお姉ちゃんの仇を討ってくれたんだね」
「そうだ。姫華は良くやった。これ以上の責を負わせるな。恨みたければ俺を恨め」
優二は両手の拳を握りしめ、涙で潤んだ瞳で鬼塚を睨み付けていたが、大きく息を吐き出すと体から力を抜いて呟いた。
「どうして……どうして神様は助けてくれなかったんだろう?」
「お前たちは、神様という存在を誤解している」
「誤解……?」
「お前は、赤の他人から面倒な頼みことをされて、十円や百円の報酬で引き受けるか?」
「それは……引き受けないけど、神様なんだから……」
「それが誤解だ。乱暴な言い方をするならば、神様は俺達よりも上位の存在だ。人間が蟻や蚊の思惑など意識しないように、神様にとっては人の思いなど取るに足らないものだ」
「それじゃあ、神様は何もしてくれないのか?」
「基本的にはそうだ。というよりも、災いを起こさないように鎮める存在だと思っておけ。神様とは恐れ敬うものだ」
鬼塚の言葉を聞いて、優二はうつむいて考えに沈んだ。
その間に、俺も聞いておきたかったことを訊ねる。
「なぁ、鬼塚。清宮さんは、土地神様から加護を授かったんだよな?」
「そうだ。管狐が常に一緒にいる」
「その加護を俺も授かることは可能なのか?」
「なんで加護が必要なんだ? お前は妖かしに困らされていないだろう」
「そうなんだが……いつ妖かしに襲われるか分からないじゃないか」
「やめておけ。今回のことで良く分かったが、加護を授かるってことは、神様に目をつけられるってことだ。必ず妖かし絡みのトラブルに巻き込まれるし、それは『見えない』人間では対応できないと思うぞ」
「そうか……そうだよな」
顔を上げた優二が、鬼塚に訊ねる。
「ねぇ、僕らが妖かしを見る方法って無いの?」
「普通の人間が妖かしを目にするには、相応の力をもった妖かしが、姿を見せても良いと思った時でなけば見られないだろうな」
「そうか……残念。この辺りには妖かしは居ないの?」
「居るぞ、俺の肩の上にな……」
「えぇぇ?」
驚く優二と一緒に、俺も鬼塚の肩を眺めたが、何も居るようには見えない。
「何か見えるか? 優二」
「ううん、何も……」
お手上げとジェスチャーする優二と顔を見合わせ、もう一度鬼塚に視線を戻した時だった。
「うわぁぁぁぁぁ!」
恥ずかしい話だが、叫び声を上げて座り込んでしまった。
ほんの僅かに時間だったが、確かに鬼塚の肩の上にしゃがみ込んだ巨大な鬼が、牙を剥いて笑っているのが見えた。
「どうだ、俺の話に納得出来たか?」
何事も無かったように訊ねてくる鬼塚に、俺と優二はガクガクと頷くことしかできなかった。
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