第20話 正義の女
丸山一惠は、大学の友人に誘われて弦楽サークルの演奏を聴きに来ていた。
正直に言えば、そんな暇は無いと断りたかったのだが、大学生活を円滑に送るためには友人関係も大切だ。
それでも演奏を聴きながら、一恵はスマホで検索を続けていた。
メディアコミュニケーション学科に在籍する一恵は、同じ学科の先輩が関わった炎上事案として、村田パーシヴァル勇翔の動向をウォッチしていた。
スマホで続けている検索も村田に関する書き込みで、バイト先を解雇されたり、大学から停学処分を下されたことも把握している。
ふと一恵がスマホから視線を上げた時に、チェロ奏者に歩み寄る男が見えた。
特に親しい間柄ではないが、同じ学科の先輩で、特徴的な名前の村田の顔は見知っていたが、一瞬気付かなかったほど目が吊り上がり、瞳は尋常ではない色を灯していた。
村田は大勢の聴衆の前で、チェロ奏者にバケツの中身を浴びせ掛け、ライターで火を着けた。
ドカ──ンという爆発音と共にチェロ奏者と村田は炎に包まれ、周囲の人が悲鳴を上げて逃げ惑う。
一恵も音と爆風に煽られて目を背けたが、すぐに村田に視線をもどし、離せなくなった。
村田は自分も炎に包まれながら、隠し持っていたナイフでチェロ奏者を滅多刺しにした。
チェロ奏者の死亡を確信したのか、両手を広げて狂ったような笑い声を上げ、その直後、村田の上半身が吹き飛んだ。
膨れ上がった巨大な火の玉と押し寄せて来た熱風に、たまらず一恵も頭を覆ってしゃがみ込んだ。
いち早く顔を上げ、粘つくような石油の燃える臭いを吸い込んだ途端、一恵は自分の脳髄が焼け焦げたように感じ、同時に震えるほどの怒りを覚えた。
「これは殺人……村田先輩は殺されたのよ」
一恵がメディアコミュニケーション学科に籍を置くようになった切っ掛けは、四年前に起こった友人、加藤亜美が巻き込まれた事件だ。
事件は、一人の容疑者の逮捕から始まった。
逮捕の容疑は、後輩である女子高生や女子中学生を脅し、アダルトビデオへの出演や売春の強要、買春を行った男性を脅迫し金品を脅し取った疑いだった。
容疑者が未成年であったため、マスコミ報道では実名が伏せられていたが、ネット上では当然のように個人の特定が行われた。
容疑者の氏名は加藤亜美、一恵の友人と同姓同名だった。
容疑者の亜美は、埼玉県の川口に住み池袋を中心として犯行を重ねていて、一恵の友人の亜美は、東京都北区在住で池袋の高校に通っていた。
容疑者の亜美の方が一歳年上だったが、行動範囲が重なっていたことで、あたかも一恵の友人が容疑者であるような誤った情報が『特定』されて流布されてしまった。
炎上は、実名で登録したSNSアカウントから始まり、自宅、学校、家族の勤務先や取引先にまで及んだ。
何度も関係のない同姓同名の別人であるとSNSや掲示板で告知をしたが、なかなか炎上は収束せず、殺人予告まで行われて警察が捜査に乗り出すまでになった。
身の危険を感じた亜美は、一時期高校を休学し、一人での外出を控えていた。
炎上から三か月程が過ぎ、元の生活を取り戻し始めていた矢先に事件は起こった。
誤った特定情報を鵜呑みにした男達が、無関係の亜美を拉致し、集団暴行を加えたのだ。
両足の膝を砕かれ、性的凌辱を加えられたことで、亜美は肉体的にも精神的にも壊れてしまった。
犯人の男達は逮捕され、誤った個人情報を流出させた数名が、名誉棄損の罪に問われたが、亜美が元通りになるわけではない。
一恵はパソコンの前に張り付き、亜美に関する書き込みを丹念に探しては、証拠集めに協力したが、出来たことはそれだけだ。
残ったのは、犯人に対する怒り、炎上に加わった者達への怒り、無力な自分への怒り。
亜美のような被害者を一人でも減らすために、メディアコミュニケーション学科を専攻したのに、目の前で悲劇が起こってしまった。
一恵は、気分が悪くなったと友人に告げて自宅に戻り、ネット経由で事件の経過を見守ると同時に、自分の無力さと炎上に関わった者達への怒りに身を焼かれていた。
「こんなに早く事態が進んでしまうなんて……もっと早く協力を申し出ておけば良かった」
一恵は村田の事案を分析し、炎上は本人の攻撃的な書き込みよりも、キラキラネームに対する偏見が大きな要因で、大学の処分は不当だと考えていた。
村田の名前をネタにした書き込みなどには、名誉棄損で訴えられる可能性を示唆し、沈静化を図る書き込みもしている。
同じ学科を選考している者として名誉回復に協力しようと思っていたが、村田自身もこうした事案に対する知識は持ち合わせていると思い、連絡を取らなかった。
だが炎上に巻き込まれた者の気持ちを考えるならば、共感し、応援している人間が居ることを伝えて、自暴自棄な行動に走らないように配慮すべきだったのだろう。
ただ、理不尽な処分に対する村田の怒りは理解できるのだが、なぜ女子生徒を襲ったのかが分からなかった。
コンビニや大学といった組織に対して報復行動に出たり、店長や学生部の部長などを狙うならば理解出来るが、村田にとっての女子生徒の存在が引っかかっていた。
友人に断りを入れて帰路につきながらも、一恵は検索を続けてた。
一恵の疑問が氷解したのは、事件から二時間ほどが経過した後だった。
村田のSNSアカウントに、記事が予約投稿され、そこには弦楽サークルのチェロ担当岡島友里こそが炎上の張本人であると書かれていた。
友里に対する怒り、コンビニに対する怒り、大学への怒り、内定していた企業への怒り、炎上に加担した者達への怒り、怒り、怒り。
文章は、村田の怒りと憎しみに満ち溢れていた。
村田の予約投稿が公開された後、ネット上の意見は再び風向きを変える。
村田のキラキラネームを揶揄するような発言が駆逐され、個人情報を漏らしたり、差別的な発言を行っていた者達が袋叩きにされている。
これまで村田に味方していた者からすれば、溜飲の下がる展開とも言えるが、一恵の目には新たな炎上の火種がくすぶっているようにしか見えなかった。
胸の中にモヤモヤとしたものを抱えていると、一恵の怒りの火に油を注ぐような知らせが届けられた。
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