第21話 壁を壊す男
帰宅した後も家族から心配されたが、自分は乱闘を目撃して通報しただけだし、怪我をしたクラスメイトも意識はハッキリしていたと話して安心してもらった。
夕食を済ませ、お風呂に入った後、コーヒーを淹れてパソコンの前に座る。
こんな時間にコーヒーを飲むと眠れなくなるけど、禍者に憑かれた人の目星が全くついていないので、少し気合いを入れてネット検索するつもりなのだ。
パソコンを起動させていると、ふーちゃんが現われて私の膝の上に座った。
座敷わらしのふーちゃんは、人間の子供のような重さは感じない。
それでも存在感や温もりを感じるので、子猫を抱いているようだ。
きゅーきゅー、コクコクと、くーちゃんと謎な挨拶を交わすとニヘラと笑みを浮かべた。
「ふーちゃん、インターネットに興味があるの?」
コクコクと頷いたふーちゃんは、真剣な表情でモニターを見つめている。
ふーちゃんに基本的なパソコンの使い方を説明しながら、大学で起こった殺人事件について検索を進めた。
梶山達との乱闘騒ぎに巻き込まれていた間に、ニュースサイトの取材も進んだようで、新しい情報が掲載されていた。
ネット上では、内定取り消し処分を受けた村田が、炎上騒ぎの原因を作った岡島友里に恨みを抱いて犯行に及んだという見方が一般的なようだ。
事件を起こした村田が予約投稿していたSNSの書き込みが公開され、炎上の引き金となった個人情報を流出させたのが、殺害された岡島友里だったと書かれている。
書き込みには、個人情報流出やキラキラネームに対する偏見、処分を下した者への恨みが込められていて、読んでいると私まで禍者に憑かれそうな気がしてきた。
村田の書き込みによって、ネット上の意見にも変化が出ていた。
村田の犯行は非難されているものの、個人情報を流出させた友里や、処分を行った者達に対しても批判が始まっていた。
特に就職活動中の大学生からは、村田に同情的な意見が多く寄せられている。
「うーん……でも、どれも同じような意見だし、特に目立った書き込みとかは無いんだよね」
私が事件について検索を行っているのは、事件の全容に迫るためではない。
村田に憑いていた禍者が次に憑いた人物を見つけるためなのだが、目を引き付けるような書き込みや動画は見当たらない。
一時間ほど検索を続けてたが、目ぼしい情報が見つからず、集中力が切れてしまった。
ニュースサイトのリンクをたどって、芸能関係のニュースを見たり、グルメ関連の記事を読んだり、ふーちゃんにインターネットの使い方を説明しながら脱線を繰り返してしまう。
「うん、今夜は駄目だな。明日、真輝と作戦を練り直して考えよう……」
まだ遊びたりなそうなふーちゃんに、電源の落とし方を教えて、布団に入ることにした。
翌朝、豆大福二個と桜餅をパックに詰めて家を出ると、先を歩いている真輝と童子の姿が見えた。
急ぎ足で追い付いて、声を掛ける。
「おはよう、昨日は乱闘を止めてくれて、ありがとう」
「桜餅、忘れてないだろうな?」
「ちゃんと持って来てるから、心配いらないわよ」
「あっちの件はどうだ?」
「うん、色々見て回っているんだけど、前回みたいに目を引く書き込みは見当たらないんだよね」
「そうか……土地神様の依頼ともなると一筋縄では行かないのだろうが、これ以上好き勝手なことをやらせるのも癪に障る」
「うん、もう犠牲者は出したくないからね」
真輝と並んで歩いていくと、乱闘があった防災広場のところで長倉君が待っていた。
左手が、白いギブスで固定されているようだ。
「おはよう、鬼塚、清宮さん。昨日は助かった、ありがとう」
「おはよう、それって……」
「あぁ、左手中手骨骨折。警棒をガードした時に折れたらしい」
長倉君はギブスを持ち上げて見せながら、苦笑いを浮かべた。
「うわぁ……痛そう、お大事にね。丸山君は?」
「優二は、念のために入院したんだ」
「えっ、そんなに重症だったの?」
「レントゲンを撮ったら、頭蓋骨にヒビが入っていたらしくて、CTも撮って脳内出血とかは無かったし、意識もしっかりしているから大丈夫だと思う。入院は、経過観察的なものらしい」
「そう、じゃあすぐ退院できるのね」
「何もなければ、今日にも退院できるはずだ」
淡々と丸山君の症状について話をする長倉君からは、いつものような覇気が感じられない。
肩を落として歩く長倉君の前に、不意に真輝が立ちふさがって柏手を打った。
パーンという小気味良い音と共に、長倉君を包んでいた陰鬱な空気までが吹き飛ばされる。
「お、鬼塚……?」
「目が覚めたか? あいつが入院する羽目になったのは、特殊警棒なんか振り回した馬鹿野郎どもの責任だ。お前が気に病むことなんか何も無いだろう。朝から辛気臭い面してんじゃねぇ」
「お、おぅ、そうだな」
真輝は言いたいことを言うと、踵を返して歩き出した。
その後ろ姿を見詰める長倉君は、本当に目が覚めたように、いつもの覇気が戻っていた。
「なんか、鬼塚は凄いよな……昨日の身のこなしも只者じゃなかったし」
「うん、でも結構抜けてるところあるし、ネットの使い方とかサッパリみたいだし、プラマイゼロぐらいじゃない?」
「そうなのか? でも、あんな風に堂々と振る舞いたいもんだな」
「もうちょっと愛想が良ければねぇ……」
私の言葉に苦笑いを浮かべた長倉君は、真輝に追い付くために足を速めようと誘ってきた。
断る理由もないので頷いて足を速め、真輝に追い付いたところで長倉君が話し掛けた。
「鬼塚、昨日のあれ、何か武道を習ってるのか?」
「別に……」
「いやいや、あの動きは尋常じゃなかったぞ。なぁ、あれって狙って脱臼させたのか?」
「さぁな……」
「俺には、パっと腕を払ったようにしか見えなかったぞ」
「なら、そうなんだろう……」
真輝は鬱陶しそうに眉をひそめているが、長倉君は構わず話を続けている。
真輝が築いた壁を、長倉君がガンガン破壊しているようだ。
ここは、ちょっと加勢してあげた方がいいよね。
「真輝はお爺さんから古武術を習ってたそうよ」
「マジか! 古武術とかすげぇな!」
「ちっ、余計なことを……」
「なぁ鬼塚、俺にも古武術を教えてくれよ」
「断る。そんな暇は無い」
うっ……ギロっと真輝に睨まれたので、素早く視線を逸らしておいた。
「今日の放課後、丸山の家に見舞いに行こうと思っているんだが、鬼塚も行かないか?」
「何で俺が行かなきゃならないんだ」
「いやぁ、昨日の様子も見ているし、心配だろう?」
「別に、頭だから派手に出血したが、意識もシッカリしていたし、問題ないだろう」
「まぁ、そうなんだけど……優二には女子大生のお姉さんが居るらしいぞ」
「だからどうした。女には興味はない」
「鬼塚、お前まさか男色の気が……」
「お前は、もう黙ってろ!」
真輝がいくら拒絶しても、教室に着くまで長倉君は話し掛け続けていた。
席に着いた真輝は、眉間に深い皺を作って苛立ちを露わにしている。
「まったく、ペラペラ、ペラペラうるさい男だ……」
「いいじゃない、少しぐらいクラスメイトとも交流した方がいいわよ」
「そんな悠長なことをしてる暇は無いぞ、目星も付いてないんだろう? そんなんで、良く交流とか言えるな」
「悪かったわね。これでも一所懸命探してるんだからね。そんなに言うなら、真輝もネット使って探しなさいよ」
「お前なぁ、そもそも依頼されたのは……」
「ぐふふふ、二人とも落ち着いた方がいいぞ、ほれ……」
童子に指摘されて気づいたが、教室中の生暖かい視線が、私達に集中していた。
大学での事件に乱闘騒ぎと、色々あったせいで忘れていたが、梶山達が黒板にイタズラ書きをしたのは、まだ昨日の話だ。
「はぁ……この話は後だ」
「うん、分かった」
頭痛を堪えるように額に手を当てた真輝は、童子の鬼気に引きこもり、私だけがクラスの女子に囲まれることになった。
幸い始業のチャイムが鳴って担任教師が現われたおかげで解放されたが、もう真輝と付き合っているような扱いになっている。
土地神様の依頼を達成するまでは、真輝と協力して動かなければならないし、何て言い訳したら誤解が解けるのか、まるで思い付かなかった。
教壇に立った担任教師は、いつものように出席を取り始めたが、梶山達三人と丸山君の名前は呼ばなかった。
「もう話を聞いた者も居るだろうが、梶山、沼田、古川の三人は、傷害事件を起こしたので自宅待機になっている。事件の内容、被害者の怪我の具合などを考慮して、正式な処分が決まる。静かに! 勝手な憶測や根拠のない伝聞を、インターネットなどに書き込むんじゃないぞ、いいな!」
担任教師は、クラスメイトを念押しするように睨み付けた後で付け加えた。
「鬼塚、長倉、この後、一緒に来るように……」
肩をすくめて苦笑いを浮かべた真輝は、長倉君と一緒に教室を出て行き、一時限目の授業が始まっても戻って来なかった。
真輝と長倉君が戻ってきたのは、一時限目が終わった後の休み時間だった。
クラスメイトが長倉君の周りに集まる一方、いつもよりも濃い童子の鬼気に包まれた真輝は、誰にも声を掛けられることなく席に座った。
「処分とか受けてないわよね?」
「当たり前だ、俺は止めに入っただけだからな」
「でも、沼田の腕……」
「あんなものは、嵌め直せば済む。たいしたことじゃない」
「たいしたことじゃないって……長倉君も処分無しでしょ?」
「いや、反省文を書かされるみたいだぞ」
「えぇ、だって長倉君は被害者じゃん」
「あの野郎の歯が何本か折れたそうだ。過剰防衛だとさ」
「そんな……長倉君だって骨折してるわよ」
「俺に言うな。俺が処分を下した訳じゃない……それに、俺も納得なんかしてないぞ」
「そうね、ごめん」
長倉君には申し訳ないけど、おかげでクラスの女子に囲まれなくなった。
「ねぇ、昼休み、長倉君も誘っちゃ駄目かな?」
「あいつが居たら、依頼の件は話せないぞ。話せば巻き込むことになるだろうし、あいつに加護は付いてないんだからな」
「そうだよね……分かった」
午前中の授業の間、ずっと仏頂面を続けていた真輝だが、お弁当の包みを開いた途端に満面の笑顔を浮かべた。
ハンバーグがメインのお弁当をモキュモキュ食べている時だけは、天使のような可愛らしさだ。
だからその顔で、私のお弁当のオカズをチラチラと見るんじゃない。
「はぁ……一個だけだかね」
言った途端、箸でつまんでいた唐揚げが消失する。
もう間接キスとかどうでもいいし、ダイエットしていると思って諦めよう。
真輝は、大きめの弁当箱と私の唐揚げを食べたのに、更に豆大福二個と桜餅までペロリと食べてしまった。
「まったく、その体のどこに入っちゃうのよ」
「うるさい。無駄に育つよりはマシだ」
「私だって好きでこんなに身長が伸びた訳じゃないからね」
「そう思っているなら、最初から余計なことを言うな」
「はぁ……食べてる時は可愛いのに、食べ終わった途端にこれか……」
「男に向かって可愛いとか言うな……ふわぁ……」
満腹になったからか、真輝は目をトローンとさせて欠伸をもらした。
「ねぇ、放課後はどうするの?」
「んー……手分けするか。俺は、もう一度大学の周りで臭いを探る。そっちは引き続きネットの方を頼む」
「いいけど、ネットの方は余り期待出来ない気がする……」
「とにかく、今日いっぱい動いてみて、それで駄目なら別の方法を考える」
「そうだね。分かった」
捜索に関する話が終わってしまうと、話題がなくなってしまった。
真輝は腕組みをして、別の方法を考えているのかと思っていたら、カクンと頭が落ちて私に寄り掛かってきた。
満腹になったら寝るって、子供か。
怒鳴りつけてやろうかと思ったら、食事の時には肩から降りている童子が、唇に人差し指を当ててストップを掛けてきた。
「悪いな、嬢ちゃん。明け方まで、インターネットとやらと格闘してたから、ちっとばかり寝かせておいてくれ」
「えっ……」
言われてみれば、真輝の目の下には薄っすらと隈が出来ている。
「真輝は不器用だから、嬢ちゃんほどは上手く調べられないだろうが、それでも真輝なりに頑張ってるのは分かってやってくれ」
真輝はスマホやインターネットが使えないから、ネット関連の捜索は全部私に丸投げしているのだと思い込んでいた。
私は一時間程度検索して諦めてしまったのに、私が眠っている間にも真輝は慣れない作業に悪戦苦闘していたのかと思うと申し訳ない気持ちになる。
ぐらりと傾いた真輝の体を起こさないように受け止めると、膝枕をする格好になってしまった。
私の腿に頭を預けて、体を丸めるようにして寝息を立てている真輝は、目茶苦茶可愛らしい。思わず撫でてしまった髪はフワフワだった。
うー……目の前でニヤニヤしている赤鬼を殴りたい。
あぁ、土地神様、どうかクラスメイトに見られませんように力をお貸し下さい。
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