第15話 特定
小石川の火災現場からの帰り道、禍者について真輝と話し合った。
真輝は事件が起こった日付けを、指を折って私に示しながら説明してくれた。
「いいか、これまで起こった三件の事件を振り返ると、事件と事件の間は約二日間の時間がある」
「それって、どういうこと?」
「たぶん、その二日間の間に、禍者が宿主への憑依を進行させているのだろう」
「憑依が進むと意識を乗っ取られて、事件を起こすってこと?」
「完全に意識を乗っ取られなくても、凶暴性を増したり、今回の例だと火に対する意識を変えられるのだろうな」
「例えば、普通なら殴りたいって思うところで、火をつけたいと思うみたいな感じ?」
「たぶん、そんな感じだろう」
小石川の火災では、まだハッキリとした出火原因は特定されていないが、販売所の中でトラブルが起こっていたという情報がある。
そのトラブルの結果、殺してやりたいという意識に、火をつけるという要素が加えられていたのかもしれない。
「今回の火災が発生したのは、今朝の四時ぐらいだ。つまり、俺達に現状残されている時間は、あと三十五時間程度だろう」
「一日半って、短くない? まだ次に憑依された人の手掛かりすら無いんだよ」
「確かに短いが、考え方によっては、明日中に捕らえられれば事件は未然防げる」
「そうか……」
未成年の私達は、夜中に自由に街を出歩くことは出来ない。
そう考えると、タイムリミットまでは二十四時間程度と考えるべきだ。
「なぁ、その……インターネットで目星を付けられないのか?」
「うーん……実際に事件を起こした人が居る状況ならば、個人情報を特定する人は居るけど、事件になる前だと目標が定まらないから特定も出来ないと思う」
「そうなのか……万能って訳じゃないんだな」
山育ちでIT関連ツールに疎い真輝が期待を示す辺り、この妖かしはそれだけ探すのが困難なのだろう。
「あーっ、何か一発で探し当てちゃう方法とか無いのかしら?」
「そんな物があれば、こんなに苦労はしてないぞ」
「ほら、よく陰陽師とかが占いみたいなので、敵の動きを察知したりするじゃない。あんな感じのは無いの? 式神を大量に使役するみたいなのとかは?」
「俺は鬼使いの末裔だが、陰陽師ではない。式神とかは使えないからな」
「そっか……あっ、今日は集会かな?」
通り掛かった岡倉天心記念公園に、猫が入っていくのが見えた。
谷中は猫の街とも言われるぐらい、猫を見かける機会の多い街で、この公園でも時折猫の集会が開かれている。
「そう言えば、童子さんが一緒でも猫が逃げないのは、くーちゃんのおかげなの?」
「そうだ、動物も鬼には近寄りたがらないからな」
公園の中には七、八匹ぐらいの猫が、思い思いの場所で寛いでいる。
「よーし、おやつの時間ですよぉ……」
制服のポケットから、チャック付きのビニール袋に入れた煮干しを取り出すと、猫達が集まって来る。
本当は、野良猫に餌付けをしてはいけないのだが、どうしても止められないのだ。
「お前なぁ……」
「分かってる。駄目なのは分かってるけど、うちは食べ物屋だから猫は飼えないの。だから見逃して!」
両手を合わせて拝み倒すと、真輝はやれやれといった感じで首を振りました。
「えへへへぇ……さぁ、おいで……あれ? お玉婆ちゃん?」
いつもなら真っ先に寄って来る、谷中の主と呼ばれている老猫お玉婆ちゃんが、今日はジッとこちらを見たまま近付いて来ない。
「お玉婆ちゃんていうのは、あれのことか?」
「そうだよ。お玉婆ちゃんは、うちのお母さんが子供の頃から、ここら辺りの主なんだよ」
「ふーん……あれは猫又だぞ」
「はいぃ? ね、猫又?」
思わず二度見してしまうと、お玉婆ちゃんは鼻に皺を寄せて不機嫌そうな顔をしている。
「お前、自分で変なことを言ってる自覚が無いだろう?」
「えっ、変なこと……?」
「お前の母親は、お前と同じぐらいの歳なのか?」
「そんな訳ないでしょう。今は四十……えっ?」
「随分と長生きな猫だな……まぁ、もっと長く生きてるんだろうけどな」
そうだ、母が子供の頃から生きているとしたら、四十年ぐらい生きている計算になる。
いくら長生きな猫でも、せいぜい十何歳程度なはずだ。
「これまでは近付けていたけど、今は土地神様の加護があるからな」
「きゅう!」
その通りだとばかりに、肩の上で管狐のくーちゃんが鳴いた。
「そうか、くーちゃんが居るからか」
普通の猫は近付いて来られるけど、妖かしである猫又のお玉婆ちゃんは近寄れないらしい。
「ぐははは、嬢ちゃん、そもそもそやつは婆ちゃんじゃなくて、玉無しの爺さんだぞ」
「えぇぇ……お爺ちゃん?」
「やかましい! 鬼だからって調子に乗んなよ!」
「嘘っ、喋った……」
お玉婆ちゃんならぬ、お玉無しのお玉爺ちゃんは、童子に向かって牙を剥いて文句を言った。
「てやんでぇ、煮干しは食い損なうわ、玉無し呼ばわりされるわ、踏んだり蹴ったりだ」
「えぇぇ……いつものおっとりしたイメージと全然違うんですけど」
「けっ、あったりめぇだ。ありゃあ営業用の演技に決まってんだろう、べらぼうめ! 分かったら、とっと煮干しを放ってよこしやがれ!」
「は、はい、すみません……」
お玉婆……爺ちゃんに、煮干しを放ると、器用に口でキャッチしてみせた。
「と言うか、喋れるなら喋れるって言ってくれれば……」
「てやんでぇ、おいらがこの調子で喋っちまったら、谷中のイメージってやつが崩れちまうだろうが、べらぼうめ!」
「ま、まぁ、確かにその通りですね」
「分かったら、ほれ、もう一匹……いや一匹と言わず、まとめて煮干しを放ってよこせ」
「きゅー! きゅー、きゅー!」
「うひぃ、すいやせん……調子に乗りやした……」
「きゅっ!」
くーちゃんが鋭く鳴くと、お玉爺ちゃんは普通の猫みたいに首をすくめて謝った。
「くーちゃん、もう一匹あげてもいいでしょ?」
「きゅう? きゅう!」
「おぉ、さすがは土地神様の加護をもらうだけのことはあるぜ、よっ、姐さん粋だねぇ」
「はいはい、煮干しあげるから、谷中のイメージは守ってよね」
「てやんでぇ、あったりめぇよ!」
お玉爺ちゃん曰く、ゴミ箱を荒らしたりしないように、谷中の猫は自分がまとめて厳しく指導しているそうだ。
それならば、時々ご褒美の煮干しを持って来てあげるかな。
お玉爺さん主催の猫の集会メンバー達に手を振って、真輝と並んで家路に着く。
空が茜色に染まり、夕焼けだんだんが名前の通りに夕日に照らされる時間だ。
谷中銀座は、夕方の買い物客で賑わう時間だが、うちの餅菓子は売り切る分しか作らないので、母が暖簾を仕舞っているところだった。
「お帰り、姫華」
「ただいま」
「あら、お友達?」
「初めまして、鬼塚真輝といいます。東京に引っ越して来たばかりで、姫華さんには色々とお世話になっています」
普段の真輝からは想像も出来ないキッチリした挨拶に、唖然としてしまった。
「まぁまぁ、ご丁寧に……うちの娘なんかでもお役に立つならば、どうぞ遠慮なく扱き使って下さい」
「ありがとうございます。何しろ田舎育ちなもので、色々と面食らってしまって、迷惑を掛けてばかりで申し訳無いです」
お喋りな妖かしに憑依されたのかと思うほどの真輝の饒舌ぶりに、眩暈がしそうだ。
真輝は、夕飯を食べて行けという母の誘いを如才なく断わり、ピシっと音がしそうなお辞儀を披露して帰っていった。
まったく、これほどまでに人当たり良く振舞えるなら、普段からやってよと大声で突っ込みたかった。
「なるほどねぇ……姫華が髪形を変えたのは……」
「違うからね。真輝に気がある訳じゃないからね」
「あら、まだ何も言ってないわよ」
「うっ……大体、普段はあんな優等生じゃないからね。ぶっきらぼうで、偉そうで……」
「そうなの? その割には姫華、ずいぶんと楽しそうに歩いてたわよ」
「そ、そんなことないと思うけど……」
「ふふっ、じゃあ、そういうことにしておきましょう」
実際、禍者を捕まえなきゃいけないし、楽しんでなんかいられない……よね。
でも、妖かしに『見える』と悟られないように前髪で目線を隠し、背中を丸めて目立たないようにしていた頃と較べたら、間違いなく毎日が楽しい。
そして、そんな日常をもたらしてくれたのは、真輝に他ならない。
その恩義に報いるためにも、禍者の捕縛に協力したい。
夕食を済ませた後で、今朝の火災に関する情報をネットで調べた。
難を逃れた住み込み以外の販売員によると、二十代の男性店員が放火殺人の現場に居合わせ、配達を中断してしまったことで、店長や他の店員と揉めていたらしい。
火災のあった日も、その店員が配達抜けや遅延などのトラブルを起こし、店長に解雇通告を言い渡されていたようだ。
禍者に憑依されていたのは、この販売店員だったのだろう。
「問題は、この後だよね……」
新聞販売店で火災が起こった時には、その場に禍者が居たはずだ。
「んー……そこから移動した先は、近所の人? 消防隊? それとも野次馬?」
逮捕された放火魔がテレビのインタビューを受けていたという話があるので、ニュースサイトの動画を見て回ると、販売店の同僚、近所に住む男性、主婦などが浮かび上がった。
この中で、難を逃れた販売店の同僚は、火災が起きた時間には現場から離れたアパートの自室で眠っていたらしく、憑依された可能性は低そうだ。
近所に住んでいる人に憑依したならば、火災が起きたのは早朝だから自宅に居ても、昼間は別の場所で働いたり、学校に通っていることも考えられる。
「どうしよう、禍者が表面に出てこないと臭いも辿れないみたいだし……」
ネットでの捜索に行き詰まりを感じながら、ニュースサイトを見ていて、視聴者が撮影した動画の存在に気付いた。
「動画を撮っていた人は、当然現場の近くに居た人だよね……」
ニュースサイトから、動画を提供した人のSNSアカウントに行くと、書き込みには『小石川火災』というタグが付けられていた。
タグを辿って見ていると、気になる書き込みを発見した。
一万件を越える引用がされ、返信の数も膨大に膨れ上がっていた。
「これって、バズってるって言うよりも、炎上してるよね?」
書き込みに添付されている動画を見て、ハッとさせられた。
動画には、炎上する新聞販売店は映っているが、消防隊の姿は映っていなかった。
「これ、火災発生直後だよね」
動画から流れて来る撮影者の声を聞いていて、鳥肌が立った。
「この人だよ。たぶん……間違いない」
更にネットを探ると、撮影者が特定され、個人情報が晒されていた。
撮影者は白山にある大学の四年生、住所は小石川一丁目……。
大学、自宅アパート、バイト先の場所を、スマホの地図アプリにマークしておく。
なぜかは分からないが、この撮影者こそが禍者に憑依された人で、明日、真輝と対決する気がしてならなかった。
どんな対決になるのか、卑猥な手の時のように童子が一方的に倒すのか、それとも激しい戦闘になるのか、不安が頭をもたげて来る。
「きゅー……」
「くーちゃん、お願い。私だけでなく、真輝にも力を貸してあげて」
「きゅう!」
力強く頷いたくーちゃんの後ろに、自信たっぷりな土地神様の姿が見えたような気がした。
翌朝、学校に向かう前に、真輝に撮影者の話を伝えた。
スマホで動画も見せて、まだ消防隊も到着していないことも説明すると、真輝は大きく頷いた。
「こいつだな……俺もそう思う」
「どうしよう、今から探しに行く?」
真輝ならば迷わず探しに行くかと思いきや、少し迷った後で首を横に振った。
「いや、放課後にしよう。まだ時間はあるし、サボったのがバレるとまずいだろう?」
真輝がくいっと顎を振った先には、手を振っている長倉君と丸山君の姿があった。
確かに、二人に姿を見られたのに、揃って学校をサボったら、何を言われるか分かったものではない。
長倉君が噂を広めるとは考えにくいが、そうでなくても隣り合う席の二人が、一度に欠席するのは、色々とクラスメイトの憶測を呼んでしまいかねない。
とりあえず授業を受けて、放課後は急いで撮影者を探しに行くことにした。
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