第16話 火に油を注ぐ女
岡島友里が村田パーシヴァル勇翔を炎上させたのは、ほんの些細な理由からだ。
もう一年近く前、二人は合コンで隣り合わせの席になったことがある。
この日の合コンは、なかなかのメンバーだと聞いて、友里はお気に入りのブラウスを着て、化粧にも気合を入れて来た。
「村田パーシヴァル勇翔でーす! あーっ、俺のこと痛い奴だと思ったでしょ。でもね、これ、マ、ジ、で、本名でーす。パーシヴァル勇翔って……ただの勇翔でいいじゃん。もうマジDQNな両親ですみませーん!」
キラキラネームをネタに使った自己紹介をする村田を、友里は軽薄そうな男だと勝手に思い込んだ。
友里の本命は、村田とは逆側に座った男だったのだが、その男の本命は、友里とは逆側の女の子だった。
頑張って話し掛けても反応が今いちで、半分諦め掛けた時だった。
お気に入りのブラウスの袖に焼き鳥のタレが飛んで、染みが出来ているのに気付いた。
「ちょっと、汚れちゃったじゃないのよ。どうすんのこれ!」
「えっ、知らねぇよ。自分で飛ばしたんじゃねぇの?」
「そんな訳ないでしょ。クリーニング代払ってよ」
「ふざけんな、やってもいないのに金なんか払えるかよ」
村田の名誉のために言っておくと、ブラウスにタレが飛んだのは、店員が皿を置いた時で、友里は逆側の男と話をしていて気付かなかったのだ。
村田が責任を認めないのも当然の話なのだが、友里自身は村田が汚したのだと今でも思い込んでいるし、村田は友里を嫌な女として記憶している。
火災現場の動画を撮影したのが村田だと、友里が気付いたのは偶然だった。
新聞販売店が出火した晩、友里はサークルの仲間と終電近くまでファミレスでお喋りをして、その帰り道に村田がバイトするコンビニの前を通り掛かった。
他の買い物のついでに生理用品も購入するつもりだったのだが、レジにいる村田の姿が目に入った。
「げっ、パーシヴァルじゃん……まさかガキみたいに言いふらしたりしない……いや、無理」
ただの買い物でも嫌なのに、生理用品を買う所は見られたくない。
友里は、百メートルほど先のコンビニまで足を延ばして買い物を済ませた。
翌朝、友里はサイレンの音で安眠を妨害された。
火災の現場から、友里が住むマンションまでは、五十メートルほどの距離しかない。
続々と集まってくる消防車のサイレン、上空を舞うヘリコプターの音で、とても寝ていられる状態ではなかった。
テレビを付けると、ヘリコプターからの中継映像で、荒れ狂う炎の様子が見えた。
どうやら延焼した製本所の中で、大量の紙が燃えているらしく、炎が舞うのが見える。
結局この後、友里は一睡も出来ず、寝不足のまま大学へと向かった。
新学期が始まったばかりで、まだ講義も始まったばかりなので、サボっても何とかなるのだが、サークル活動は新人獲得のための勝負時だ。
友里が所属している弦楽サークルも、昼休みと午後の講義の後、校内で演奏を披露して勧誘活動を行うことになっている。
友里は一限の講義をサボってサークルの部室で仮眠を取り、二限の講義の後、学食近くのスペースで演奏を披露して新人の勧誘を行った。
三限は講義を入れていなかったので、部室のパソコンで今朝の火災のニュースを見ていて、その途中で村田がアップした動画を発見した。
動画はコンビニの自動ドアを出る所から始まっていて、撮影者の声も録音されていた。
「うわっ、これヤベぇ……ヤベぇ、ヤベぇよ……」
友里は弦楽サークルでチェロを担当していて、自分でも耳は良い方だと思っている。
動画に録音された声を聞いた途端、虫唾が走るような嫌悪感を覚え、撮影者が村田だと確信した。
動画には、助けを求める子供の声も録音されていて、それを聞きながら「ヤベぇ」を連発しながらも撮影を止めようとしなかった村田に対して怒りが込み上げて来た。
動画には、友里と同じように感じ、救助もせずに撮影を続けたことに対して批判的な意見が寄せられていて、それに対して村田が感情的な返信をしていた。
「ふざけんな。どんだけ火の勢いが強かったと思ってんだ。助けろとか言ってる奴は、あの中に飛び込んでみせろよ。てか飛び込んで死ね、カス!」
村田の書き込みを読んで、友里の眉間に深い皺が刻まれた。
「何こいつ、ムカつく……」
既に村田の匿名アカウントは炎上し始めていたが、友里が決定的な燃料を投下したことで、一気に炎上した。
村田に批判的な書き込みに、フルネームの情報を書き込んだのだ。
村田パーシヴァル勇翔というキラキラネームは、全く面識のない人間に、村田をDQNだと誤解させるには十分すぎる破壊力があった。
この火の勢いでは助けるのは無理だとか、二次災害を広げる危険は避けるべきといった意見を、DQNが救助もせずに撮影していたという思い込みが一気に押し流した。
ネットの数の暴力は、ここから一気に加速して行く。
村田のフルネームや顔写真、大学名からバイト先が特定され、バイト先やフランチャイズチェーンの親会社にも抗議の電話やメールが殺到する。
当然、大学にも抗議の電話とメールが届く。
更に村田が内定を得ていた企業も特定され、やはり抗議の対象とされてしまった。
実際、そこまでの行動を行っているのは一部の人間なのだが、ノイジーマイノリティーに引きずられ、ことなかれの処分を下してしまうのが今の世の中なのだ。
炎上の引き金を引いた友里だが、四限の講義に参加した後は、またサークルの勧誘活動でチェロを演奏した。
勧誘活動を終えた後、サークルの仲間達にファミレスに誘われたが、寝不足の影響か少し頭痛がするので断わって帰宅した。
帰宅途中、コンビニの前を通り掛かると興奮した男の声が聞こえてきた。
「ふざけんなよ! そんなの理由になんねぇだろう!」
目を向けると、村田がコンビニの制服を着た中年男性の胸倉を掴み、居合わせた警察官達に制止されていた。
話の内容からして、炎上を切っ掛けにしてバイトをクビになったらしい。
友里は、駐車していた車の陰から興奮する村田をスマホで動画を撮影した。
「馬鹿でぇ、パーシヴァルざまぁ……」
友里は、撮影した動画から、特に村田が暴力的な部分を切り取って投稿した。
動画は瞬く間に拡散し、村田叩きは更に加速していった。
投稿した動画に村田叩きの意見が山のように寄せられると、友里は満足すると同時に興味を失った。
そんなことよりも、今の友里にとってはサークルの新人勧誘の方が重要なのだ。
翌日も、友里が所属する弦楽サークルは、昼休みと午後の講義終わりに、屋外で演奏を披露する予定になっていた。
昼休みの演奏は盛況で、新入部員も一人ゲットした。
午後の講義が終わった後、サークルのメンバーと準備を始めると、演奏前なのに人が集まってきていた。
「お昼の演奏の評判が良かったのかなぁ?」
「ううん、きっと私の美しさに惹かれて来てるのよ」
「もうやだ友里ったら、冗談はチェロだけにしておいてね」
今日は十分に睡眠も取れているし、演奏も上手くいっているので仲間との話も弾む。
午後は、モーツァルトの弦楽四重奏曲第十四番「春」を演奏する予定だ。
演奏会などではフォーマルな服装で演奏するが、友里のサークルではカジュアルに音楽を楽しむのがモットーなので、ジーンズにスニーカー履きのメンバーもいる。
天気も良く、風も無い、今日は本当に良い一日だと思いながら、友里はチェロの準備を終えた。
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