第17話 噂の二人

 今日ほど、一日の授業が長く感じたことはない。

 通学の途中で会った長倉君と丸山くんは、なんだか態度がよそよそしかった。


 昨日までは私の隣に長倉君、その隣に丸山君が並んで、真輝が一人で歩いている感じだったが、今朝の長倉君と丸山君は私達の後ろを歩いている。

 どうかしたのかと聞いてみたが、別に……と話を濁されてしまった。


 禍者についての話は長倉君達に聞かれるとマズいし、私生活は詮索しない約束なので、真輝と並んで歩いても話題が無い。

 私は黙ったままだと気まずいと感じてしまうのに、真輝は全く気にしておらず、平然と歩いているのが余計に腹立たしい。


 後から二人の楽しげな話が聞こえてきて、話に加わりたいと思うのだが、私が振り向くと話が途切れて長倉くんは目をそらし、丸山君は真輝に鋭い視線を向けている。

 良く分からないのだが、二人との間に妙な距離を感じてしまう。


 学校に着くまでに妙な疲労感を感じていたのに、教室に入ったら追い討ちを掛けるような事態が待っていて膝から崩れ落ちそうになった。

 私と真輝の関係を揶揄する落書きが、黒板一杯に書かれていたのだ。


 相合傘とか、ラブラブですとか……稚拙な悪戯だけど、顔が熱くなってくる。

 鞄を机に放り出し、急ぎ足で黒板に歩み寄って、落書きを消す。

 こんな時だけは、黒板の上まで手が届く身長に感謝したくなる。


 黒板消しを置いて振り向くと、わざとらしく目を逸らしている三人組がいた。

 筆跡からして、女子の書いたものではないし、昨日真輝に叩きのめされた梶山達が、仕返しに書いたのだろう。


 その真輝はと言えば、自分の椅子に座ったまま平然としている。

 世間ズレした真輝をカバーするのは、必然的に私の仕事になってしまうのだろう。

 思わず溜め息を漏らして席に戻ると、今度は女子に囲まれた。


「ねぇねぇ、ホントのところどうなの?」

「昨日のお昼、二人で食べてたってホント?」

「帰りも一緒だったよねぇ?」


 ワラワラと集まってきて、反撃の暇も与えないような質問攻めに、神経をガリガリと削られる。


「いや、そんなんじゃなくて、真輝……じゃなかった鬼塚君は」

「えぇぇ、もう名前で呼び合ってるんじゃん」


 ヤバい、私のアホ……こんな基本的なミスをするなんて。

 私が女子達に群がられているのに、真輝は隣の席で涼しい顔をしている。


 神気を漏らさず、童子の鬼気に包まれている時には、普通の人の認識を阻害して、存在感を消していられるからだ。

 すぐ隣で付き合っているのか、どこまでいったのかと追及されている相手が、まるで居ないように扱われ、平然としているなんて理不尽すぎる。


 いっそ豆大福で餌付けして、神気をダダ漏れさせてやろうかと思ったけど、私も巻き込まれそうだからやめておいた。


 女子達の追及は、朝のホームルームが始まるまで続いた。

 こんな状況が一日、いや下手すると数日続くのかと思ったら、どっと疲れてしまった。


「はぁ……」


 思わず溜息を漏らしたら、くーちゃんと真輝に突っ込まれた。


「きゅー、きゅー!」

「背中が丸まってるぞ」

「分かってるわよ。自分は鬼気に引きこもってるクセに、偉そうにいわないでよね……」


 と言うか、真輝は私と噂になるのをどう思っているのだろう。

 私だけ変に意識してドキドキしているのは不公平だとは思っても、何とも思っていないなんてズバっと答えられたら凹みそうなので聞きづらい。


 授業の間の休み時間にも女子達の追及は続いていたので、昼休みになった途端、真輝を置き去りにする勢いで教室を飛び出した。


「どうした? そんなに腹が減ってたのか?」

「違うわよ! 隣の席に座ってるのに、どうしてそんな推察に行き着くのよ!」


 東校舎裏の花壇に着いた途端、真輝が的外れなことを言い出したので、思わず語気を強めて突っ込んでしまった。


「ぐははは、嬢ちゃん、真輝に色恋沙汰の理解なんか期待するだけ無駄だぞ。爺さんと婆さん、あとは知り合いの行者ぐらいしか、こいつの周りに居なかったからな」

「それって、神気が関係してるの?」

「勿論だ。ワシと契約するまでは、熊野の山奥に潜んでおったそうだし、契約した後も里に下りるのは数ヶ月に一度だったからな」

「えぇぇ、それじゃあ学校とかどうしてたのよ?」

「爺さんが理由を付けて、自宅学習ってやつにしてもらってたな」


 お爺さんから礼儀作法については叩き込まれたみたいだけど、実際に同年代の人と触れ合った経験が無いらしく、冷やかされていたこと自体が理解出来ていなかったようだ。


 それでも文句の一つも言ってやろうと思った時には、神気をダダ漏れにしながら、もきゅもきゅとお弁当を食べ始めていて、突っ込む気力も奪われてしまった。

 本当に、小動物モードは反則だ。


 お弁当と豆大福を食べ終えて、ようやく一息ついたところで、スマホで動画の撮影者、村田パーシヴァル勇翔の情報を調べた。


「うわっ、バイト解雇された上に停学処分だって」

「例の男か? なんでだ?」

「SNSのアカウントが炎上したからじゃない?」

「もう火災が起こってるのか! 行くぞ!」

「待って、待って、そっちの炎上じゃないわよ」


 ネット上での炎上について、真輝に理解させるのに、少々時間が掛かった。


「こうして、批判的な情報とかがネット上に広がっていくのを、火災が燃え広がるのに例えて炎上って言うのよ」

「なるほど……それは、本人にも分かることなんだな?」

「そうだし、この場合は停学処分まで受けてるからね」

「だが、そいつに救出作業を行えというのは、いくら何でも無理だろう。消防服を着ていた訳でもない、専門の訓練も受けていない素人だぞ。バイトを辞めさせられる理由にはならないし、怒るのも無理ないんじゃないのか?」

「そうなんだけどね。名前がパーシヴァルだし……」

「名前は本人が付けた訳じゃないだろう。そこに文句を言われて納得なんか出来ないだろう」

「そうだけど、私が批判してるわけじゃないからね」

「そうか、すまん……だが、そいつはかなり危険な状況になっていそうだな」

「禍者の影響は、憑依された人間の精神状態によって強くなったりするの?」

「心が弱っている時は付け込まれやすいだろうな。授業が終わったら急いで行くぞ」

「うん、そうしよう」


 この日は午後の授業の間も、真輝は居眠りせずに起きていた。

 ただ、ノートを取っている様子も無いし、授業を聞いていたかどうかは怪しいところだ。


 帰りのショートホームルームが終わった直後、真輝と一緒に教室を飛び出す。

 行く先は、動画の撮影者村田パーシヴァル勇翔が住むアパートだ。

 SNSに、村田が大学職員を殴って大学を飛び出したという書き込みがあったからだ。


「間に合うと思う?」

「分からん」


 靴を履き替えて学校の玄関を出ながら訊ねると、真輝は足を止めずに短く答えた。


「分からんが、今は急ぐしかない」

「タクシーで行く?」

「いや、タクシーじゃ臭いを辿れない」


 学校を出た真輝は、小走りで白山方面へと向かう。

 三百メートルほど走って、本郷通りの赤信号で足を止めたときに真輝が提案してきた。


「家で待っていても良いぞ、結果は知らせてやる」

「ううん、私も行く。自分の目で確かめたい」

「そうか……」


 再び走り始めると、真輝はチラチラと私に視線を向けてくるようになった。

 どうやら、私が遅れないように気を使っているみたいだ。


「大丈夫、こう見えても元陸上部なんだから、まだ走れるわよ」

「無理はするなよ……」

「うん」


 梶山達を叩きのめした時にも感じたのだが、真輝はかなり身体能力が高いようだ。

 四百メートルぐらい走ってきて、私は息が上がり始めているけど、涼しい顔をしている。


「真輝、どっちだ!」


 白山上の交差点に来た時、童子が右手と左斜め前の方角を指差した。

 アパートは、左手の坂道を下った白山通りの方向だ。

 村田が大学を跳び出した時には、禍者の臭いが表面に出るほどに、憑依が進行していたのだろう。


「こっちよ!」


 アパートの方角を示して、真輝と一緒に走る、走る、走る。

 白山通りを春日方面へとひた走り、白山二丁目の信号を右に曲がって住宅街へと入る。


 途中から真輝も焦り始めたのか走るペースが上がり、村田が住んでいると思われるアパートに着いた時には、話し掛ける余裕は残っていなかった。


「ここに居ろ。しっかり守ってくれよ」


 真輝は、私とくーちゃんに待っているように言い残すと、童子と一緒にアパートの外階段を上がっていった。

 真輝はドアの前に立つと、チラリとこちらに視線を向けた後で、童子に頷いてみせた。


 真輝の肩から下りた童子が、ドアをすり抜けて部屋の中へと入って行く。

 いよいよ、凶悪な妖かしとの対決の瞬間だ。


 思わず拳を握って身構えたが、すぐに童子が部屋から出て来て首を横に振った。

 一言二言言葉を交わした後、真輝は手摺りを飛び越えて身体を宙に躍らせる。


「ちょっ、危ない!」


 私の心配を余所に、真輝は猫のようにしなやかに着地して走り寄ってきた。


「部屋には居ない。他に臭いの筋が残されていない以上、大学に戻った可能性が高い。俺は先に大学に向かうから、後からゆっくり来い」


 言い終わらないうちに真輝は走り出し、一気に加速していく。

 私から見れば、全力疾走に近い速度だ。


 悔しいけれど、真輝のペースに付いていくのは無理だ。

 小走りで白山通りまで戻った時には、真輝の姿は見えなくなっていた。


 通りの端で待っていると、五分と待たずに空車のタクシーが来た。

 少々距離は短いが、迷っている暇はない。


 行き先を告げるとタクシーはスムーズに走り始めたが、地下鉄の白山駅の辺りで進まなくなってしまった。


「すみません、ここでいいです」


 料金を支払ってタクシーを降りると、サイレンの音が聞えて来る。

 猛烈に悪い予感がして、人並みをすり抜けるようにして足を速めたが、大学の門の前には数人の警備員が立ち入りを制限していた。


 大学の構内は騒然とした空気に包まれているようで、警備員もピリピリしているようだ。

 門の近くに真輝の姿は見えず、警備員の目を盗んで構内に踏み込もうかと思ったが、くーちゃんに止められた。


「きゅー、きゅっきゅう!」

「ここに居たほうが良いの?」

「きゅう!」


 くーちゃんの忠告に従って、近くのベンチに腰を下ろして門の様子を見守る。

 切羽詰った様子で電話を掛けながら、大学の敷地から出て来る人も居て、友人に支えられながら歩く女性の姿も見られた。


 程無くして、サイレンを鳴らして救急車が大学の門を出てスピード上げて去って行った。

 その直後、救急車を見送るように真輝が門から出て来た。

 真輝はベンチを立った私に気付くと、悔しそうな表情で首を横に振った。

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