第18話 復讐の刻

 岡島友里が演奏の準備を進めているのを、村田パーシヴァル勇翔は非常階段の上から見下ろしていた。

 足元にはトイレの清掃用具入れから持ち出してきたバケツと、リュックサックが置かれている。


 リュックの中にはガソリンを詰めた二リットルのペットボトルが四本。

 ジーンズの後ろポケットには、刃渡り十二センチのダガーナイフが刺してある。


 いわゆる規制前の物で、所持しているだけで処罰されるものだ。

 村田が大学に合格した時に、変り者の叔父から『ヤバい祝いの品』だと笑顔でプレゼントされ、本当にヤバくて処分に困っている曰く付きの品だ。


 炎上騒動に、友里が関わっていると分かった時、村田は不思議なくらい躊躇無く『殺そう』という結論に達した。

 殺害する方法も、驚くほどあっさりと決まった。


 たぶん、ここ数日テレビやネットを賑わせていた、放火殺人事件のニュースに影響されたのだろう。


 村田パーシヴァル勇翔という名前は、諸刃の剣だ。

 生まれた時から付き合ってきた村田は、嫌というほど思い知らされてきた。


 だからこそ、その名前を最悪のタイミングで流出させ、炎上を煽った友里を許せるはずがなかった。

 既に犯行声明文を、数時間後に公開されるように予約投稿してある。


 バイトをクビにしたコンビニ、停学処分を下した大学、内定を取り消した企業、そしてキラキラネームを馬鹿にした全ての人間への怨みつらみを書き綴ってある。

 共感してくれなんて思っていないが、友里の悪行を黙っていられなかった。


 村田は、アパートの駐輪スペースに停めてあったバイクからガソリンを抜き取り、リュックに詰めて大学へと戻って来た。

 途中ホームセンターでライターも買ってある。


 友里がここで演奏をすることは、サークルのホームページで調べた。

 村田を陥れるために使ったネットが、自分の命を縮めることに使われるとは、友里は思ってもいないだろう。


 自分が通う大学だから、演奏場所の状況を村田は把握していた。

 演奏が始まったところで、ペットボトルの中身をバケツに移し始める。


 周囲に漂うガソリンの臭いが村田の気分を高揚させ、口元に笑みが浮かんだ。

 ガソリンを満たしたバケツを左手に提げ、非常階段を下りて真っ直ぐ友里へと歩み寄る。


 聴衆は村田の姿に気付いたが、演奏に熱中している友里は、背後の様子には気付かない。

 弦楽四重奏の調べが流れる中で、村田はバケツの中身を友里の頭の上からぶっ掛けた。


「いやぁ、ちょっと……何これ!」


 聴衆から悲鳴が上がり、演奏が止まって、サークルのメンバーらしい男達が近付いて来たが、村田がポケットからライターを取り出す方が早かった。

 ドカ──ンという大きな音と共に、撒き散らしたガソリンが爆発的に炎上し、友里だけでなく村田も炎に包まれた。


 村田を制止しようと歩み寄って来ていたサークルのメンバーも、爆炎の勢いで倒れ込んでいる。

 ライターで火を点ける前に左腕を友里の首に巻き付けていた村田は、尻ポケットから違法ダガーナイフを引き抜いて友里の脇腹に突き立てた。


「ぎいゃぁぁぁぁぁ!」


 村田が柄まで突き立てたナイフを思い切り抉ると、友里の口から凄まじい絶叫が響き渡った。


「痛いか、クソアマ! おら、死ね、死ね、死ねぇぇぇ!」


 村田は自分も炎に巻かれながら左腕で友里の首を締め上げ、背後からダガーナイフで腹や胸を滅多刺しにした。


「ぎゃははははは! ざまぁ!」


 狂ったように笑い声を上げ、勝ち誇ったように両腕を大きく広げた瞬間、ドガァァァァァンっと先程よりも大きな爆発音と共に村田の上半身が爆散した。

 カフェや校舎の窓ガラスが衝撃で割れ、頭上から降り注いでくる。


 血飛沫や肉片、骨片などを撒き散らしながら、村田がいた場所を中心に半径二十メートルほどが巨大な火の玉に飲み込まれた。

 数名の弦楽サークルの関係者や、演奏を聞きに来ていた学生が炎に巻き込まれ、火だるまになって転げまわっている。


 演奏会場は悲鳴を上げて逃げ惑う人や、助けを求めて泣き叫ぶ人によって、大混乱に陥った。

 そんな中、吹き飛んだ村田の体の中から、人の背丈を越えるような巨大な蛞蝓が、炎に包まれながら姿を現したが、それを目撃して騒ぎ立てる者はいない。


「水だ、水っ! 水持って来い!」

「転がれ、転がって火を消せ、叩け、叩け!」

「消火器まだかよ! 消防車呼べよ!」


 演奏が行われていたテラスは、蜂の巣を突いたような大騒ぎになったが、村田が友里にガソリンを浴びせてから三分も経っていない。

 消火器を持って大学職員が駆けつけて来た時も、友里は椅子に座ったままピクリとも動かずに炎に焼かれていた。


 周囲には火の玉に巻き込まれた者が、十人以上横たわって救護を待っている。

 持ち寄られた消火器によって、辺りに濛々と白っぽい粉に煙った頃、ようやく遠くからサイレンの音が響いてきた。


 村田の住んでいたアパートから千五百メートルほどの距離を五分程度で走り、真輝が現場に到着したのは、撒かれた消火器の粉が薄れ始めた時だった。


 校舎に囲まれたテラスのような現場には、焦げた油と血の臭いが立ち込め、辺りは騒然としている。

 真輝を追うように救急車が走り込んで来て、救急隊員が慌しく降りてきた。


「道を開けてくれ! 救急隊が通れない!」


 痩せた男が甲高い声で叫び、野次馬達を追い払おうとする。

 人垣が割れると、消火器の粉を被り、鼠色の塊になったものが椅子に座っていた。

 焼けただれていて男女の見分けも付かない状態だ。


「くそっ、遅かったか……」


 真輝は小さく怨嗟の声を漏らした。

 周囲に鋭い視線を向けるが、禍者らしき姿は見当たらない。


「真輝、この辺り一帯に禍者の臭いが立ち込めていて、行方が探れねぇ」


 童子によれば、臭いが充満している状態で、何処から入って来て、どちらの方向へ出て行ったのか全く分からないらしい。

 そもそも次の宿主の中に潜り、存在を隠されると察知するのは難しい。


 真輝はテラスの一角に立ち、そこに居合わせた人物を見回した。

 焼け焦げて動かない者の他にも負傷した者が多数いるらしく、救急隊員に応急処置を受けている。


 事件のショックを受けたのだろう、涙を流す女子学生、それを支える男子学生、電話で連絡を取っているのは大学の職員だろう。

 そして大量の野次馬は、テラスだけでなく周囲に建つ校舎からも見下ろしていた。


「真輝、この人数の中から見つけるのは無理じゃないのか」


 童子の言葉に真輝も頷き掛けたが、思いなおして目線を上げる。


「いや、どこかに鍵があるはずだ」

「嬢ちゃんか?」

「あまり深く関わらせたくないんだが……」

「土地神様の加護が付いているんだ、大丈夫だろう」


 熊野の山育ちの真輝は、現代知識に疎い。

 祖父が他界したので家族の元に戻り、スマホも持たされたが、使い方はサッパリだ。


 そもそも今回の土地神様からの依頼は、姫華に対して出されたものだし、そうした知識を使わないと達成出来ないように仕組まれているのかもしれない。

 間に合わなかったとは言え、この場に居られるのも姫華のおかげだ。


 真輝は、もう一度テラスの周囲を見回す。野次馬の数は、減るどころか増える一方だ。

 この中から、禍者に憑かれた人間を見つけ出す方法を真輝は思い浮かべられなかった。


 独力で解決出来るならば、妖かしとの関わりに悩んでいた姫華を関わらせたくないと思っていたが、それは無理だと思い知らされる。


「とにかく、姫華と合流しよう」

「ぐふふふ、嬢ちゃんを巻き込みたくなら、真輝が知識を身につけるしかないな」


 童子の言う通りなのだろうが、それが簡単に出来るならば苦労はしない。

 真輝は小さく頭を振って、少し重たくなった足取りで現場を後にした。

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