第35話 『疑念』払拭?
────黒田商店街 カフェ
私はゆっくりと茂木くんに視線を合わす。
見られていることに気づいてか、彼は顔をクイッとこちらに向けてきた。
「どうかしたの黒田さん? もしかして難しかった?」
「あっ、いや違うの。このプリントを茂木くんは誰にもらったんだろうなって気になっただけで……」
すると茂木くんはペンをクルクルと回す。
心なしか少し視線が厳しくなった気がした。
まさか、本当に私のことを知って近付いたというの?
それは……悪い冗談だ。そんなことあって欲しくない。
私の心配に反して、茂木くんは表情を明るくして答えた。
「ちょっと待ってね。うーん……まあ田中ならいっか。そのプリントくれたのは田中太郎っていう俺の友達だよ」
友達だと!?田中のくせに生意気だ!
「ど、どうして言いづらそうにしていたの?」
「それは簡単な話だよ。黒田さんがさっきの質問をしたってことは、田中と黒田さんは知り合いなんだよね?」
「ま、まあ、そうだよ」
「俺、さっきそれは赤点補講のプリントだって言ったでしょ? 赤点取ってることを他校の知り合いにバレるのはどうなんだって思ってさ。まあ、田中ならキャラ的にバラしても問題ないかなって思って結局黒田さんに話しちゃったけどね」
そういうことだったのか……確かに私も今の学校での試験や小テストを中学の頃の人に見られたら恥ずかしい。
田中はあんな奴だから心配なんて必要ないのに、茂木くんはすごく優しい人だ。
「わっ!?」
話が一段落ついたところで、茂木くんは急に私に顔を近付けてくる。
突然のことだったので、私の心臓は破裂しそうなほどに鼓動を早める。
うわぁ……顔が近い……やっぱりイケメンだ……
「そうだ、黒田さん。田中って中学時代どんなやつだったか教えてよ」
「えっ、た、田中?」
それどころじゃない。
私は今面前のご尊顔を拝めることに必死なのだ。
「田中のやつさ中学時代のこと聞いても全然話してくれないんだよ。なんかあいつやらかしたりしてたの?」
ほうほう。田中のくせに口は堅いんだな。
お爺ちゃんに言って今年は補助金増やしてやるか。
茂木くんと仲良しだからプラマイ0ってことでもいいけど。
「ど、どうだろう……? あっ、でも修学旅行で覗きしたとかは聞いたことあるよ」
「ははっ! マジか! 田中ならやりそうだ! いいこと聞いちゃったな。ありがとう黒田さん」
はにかむ茂木くんも素晴らしい……今日はもうお腹いっぱいだ。
やっぱり補助金は増やしてやろう。
「ど、どういたしまして」
「それじゃ、勉強に戻ろっか。解き終わったら俺に言ってね。プリントの解説作ってきてるから。俺の自作だから分かりにくかったらごめんね」
「い、いや。答えを作ってくれただけ嬉しい……から。ありがとう」
茂木くんのお手製解説!? 私のために作ってくれたんだよね……?
ど、どうしよう。顔が……にやけちゃう。
さてさて、早く問題を解かなければ。
もしかして間違いが多かったら、茂木くんから直接指導……されちゃったりして……
どさくさに紛れて「先生」とか呼んだら茂木くんはドキっとしてくれるかな。
そんなことばかり考えて、私は結局勉強に集中することができなかった。
*
────黒田商店街 床屋
床屋の裏口にあるインターホンが鳴る。
漫画を読んでいた田中太郎はちょうどいいところで邪魔が入り不満げな表情を浮かべたが、シャツの襟を整えて立ち上がる。
彼の部屋は漫画本や学校プリントが散漫し、あまり綺麗とは言えなかった。
「はいはい。どなたですかー」
「なんや田中、その雑な格好は。お前、ウチを舐めとるんか?」
「く、黒田さん。すいません」
「シャツくらいズボンに入れや。ほれ、はよしろ」
突然の来訪者──黒田優美に田中太郎は狼狽える。
制服姿の彼女は出会い頭から不機嫌そうだった。
言われたとおり、シャツをズボンに入れて居直した。
「まずは田中、お前のことは褒めたるわ。高校でもウチらのこと話してないようやな」
「あ、ありがとうございます」
「褒美や。ありがたく受け取り」
「あっ、えっ!? マジすか!? ありがとうございます!」
田中太郎は渡された少し厚めの茶封筒をズボンの後ろポケットにしまいながら頭を下げた。
商店街で普段平然と行われている日常風景である。
「でもいいんすか? こんなに貰っちゃって」
「なんや、文句でもあるんかいな? それは個人的なお願い代も入っとるんや」
「文句だなんて滅相もないっす。それでお願いってなんでしょう?」
ごまを擦りながら田中太郎は黒田優美に尋ねる。
完全に下っ端キャラと化した彼であったが、元からそんなやつだった。
黒田優美は斜めにカットされた黒髪を少しいじり、少し間を置いて言った。
「田中のクラスメイトに茂木くんいう人がおるやろ? ウチはその人に関する情報が欲しいんや」
「茂木? ああ、茂木恋のことっすか。彼なら俺の友達なんで結構知ってますよ。でもどうして恋のことなんか……」
「なんやおどれ茂木くんのこと下の名前で呼んどるんか? 馴れ馴れしいやつやな……コホン。何も詮索せんでええ。ただ個人的に知りたいだけや」
満面の笑顔で黒田優美は一歩詰め寄る。
彼女の圧に負けて、田中太郎はそれ以上何も聞くことはできなかった。
「は、はぁ……それで恋の何が知りたいんですか?」
「そ、そうやな……茂木くんは……コホン。彼女とか……コホン。おるんか?」
「え、なんて?」
「ウチの言葉が聞こえなかったんか? 底辺床屋」
「いやいや、すいません。あまりに突拍子もないことだったんで聞き返しちゃいやした。恋は俺が知る限り彼女いないっすね。俺のクラス男クラなんで、クラスで恋愛とか無理っす」
「そ、そうか。ならええ。他にも教えてもらうで」
黒田優美は制服のポケットからメモ帳を取り出し、質問を繰り返した。
これでは茂木恋のことが好きなのが丸わかりであるが、田中太郎は彼女の機嫌を損ねないようにそれは口にしなかった。
「えー、好きな食べ物は甘いもの全般っすね。昼ごはんは毎日あんパン食ってます。趣味はたぶんアニメ鑑賞とか動画鑑賞。アニメの話とかバーチャルなユーチューバーの話振っても対応してたんで」
「意外とオタクな趣味もあるんやなぁ。それで、バーチャルなユーチューバーってなんやそれ」
「顔出しの代わりにイラスト使ってユーチューバーやってる人たちのことっすね。最近人気なんすよ」
「オタク文化はわからんな」
「部活は所属してないっすね。中学時代は卓球部って言ってました。中学時代はそれで全然モテなかったとかで、高校デビューで茶髪にしたらしいっす。まあ、男子クラスに配属されて計画はおじゃんだったらしいっすけどね」
「お、おお。それはいい情報やな」
「家族構成は妹が1人に父母で4人家族らしいっす。妹は鈴って名前なんで、この調子だと親もオタクかもしれやせんね」
「そ、そうか。ようわからんがそうなんやろ」
「そういえば趣味といえば1つ忘れてたんすけど、最近カフェ巡りにハマってるとか言ってましたね。市のカフェ制覇するとかなんとか言ってました」
「ほうほう、なるほどな……でかした田中。今日のところはこれくらいで勘弁してやるわ」
ホクホク顔で黒田優美はメモ帳を閉じる。
黒田優美との会話は田中太郎にとって緊張を伴うものであり、彼は額に汗をかいていた。
地面に置いたスクールバッグを拾い上げると黒田優美は踵を返す。
「田中、これからも茂木くんについて話を聞きに来るかもしれん。次は身だしなみ整えて出るんやぞ。身だしなみは商売の基本や。商店出しとるなら肝に命じとけ」
「は、はい。了解っす」
黒田優美の背中を見送った後、田中太郎はゆっくりと玄関をしめ、胸に手を当ててその場にへたり込んだ。
一歩間違えればここでの生活が終わってしまう可能性すらあったやりとりを無事にやり遂げたのだ。
バクバクと鳴る心臓を落ち着かせるために深呼吸をし、未だ震える指先でスマートフォンを操作した。
『恋、俺やったぞ! 全部お前の言う通りになってる!』
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