第36話 『笑顔』豹変?
────黒田商店街 カフェ
黒田優美が茂木恋に出会い、おおよそ1ヶ月の月日が経とうとしていた。
季節は夏。
気温は段々と高まってきており、学校ではクーラーがつき始めたのはいつだったかと記憶が曖昧になる頃である。
期末テストは終わり、あとは夏休みまで尺たるイベントも無い。
しかし、彼らは今日も今日とて変わらず例のレトロなカフェへと集っていた。
店内には冷房と大きなプロペラファンが回り空気が循環している。
外の気温を忘れさせるその快適な空間で茂木恋は期末テストの結果を広げていた。
「茂木くん、本当に頭良かったんだね。全部80点以上取ってる」
「今回はかなり勉強したから思ったより点数が伸びたよ。ありがとうね」
「ありがとう?」
「俺と一緒に勉強してくれてありがとうってこと。黒田さんに言っているんだよ?」
「ど、どういたしまして」
夏の暑さを吹き飛ばすほどに爽やかな笑みを向けられ、黒田優美は思わず視線を逸らした。
俯いたかと思うと、彼女は首を横に振る。
そしてその手を、カウンターの上に置かれた彼の手の上に重ねた。
「私の方こそ、本当に茂木くんには感謝しても仕切れないよ。日本史で赤点取らなかったのは……茂木くんのおかげ」
黒田優美は自分のテストの点数を指さしてそう言った。
1ヶ月前は全教科において学年最低点を取っていた。
期末テストにおいては、いまだにほとんどの教科が学年最低点ではあるが、一部の教科では最低点を回避。さらに、日本史に関しては赤点を回避した。
「こちらこそどういたしまして。黒田さんも勉強よく頑張ったね」
茂木恋はそう言うと黒田優美の頭を撫でる。
突然のことに、彼女は顔を赤くし目を回した。
少し撫でたあと、彼はハッとした様子でその手を引いた。
「あっ、ごめん。うち妹いるからつい癖で」
「だ、大丈夫っ……や」
「……や?」
「えっ、これは……嫌ってことじゃなくて……そ、そうだよね。茂木くんには妹がいるもんね。これくらい普通……」
「あれ? 黒田さんに妹がいることって話してたっけ?」
瞬間、黒田優美の身体が硬直する。
彼女は秘密裏に茂木恋の情報を入手しているため、後ろめたい気持ちがあった。
茂木恋は顎に手を当てて、何やら推理するようにして言った。
「ははーん。分かったぞ。田中のやつから聞いたんでしょ。田中が最近やけに俺にあれやこれやと聞いてくるから少し疑問だったんだ」
「えっと……ごめん」
黒田優美は力なく首を垂れた。
「良いんだよ。それだけ黒田さんが俺に興味を持ってくれてるってことだから、俺も悪い気はしない」
「そ、そうなの?」
「そうだとも。黒田さんは結構回りくどい方法が好みっと……」
茂木恋は声に出しながらノートの端っこにそのことをメモする。
黒田優美は恥ずかしさのあまり顔から火が出そうだった。
「安心して、悪いようにはしないから」
「悪いようにはって、茂木くん何か変なことしようと考えてない?」
「そんなことは何も。それじゃ、今日も勉強しよっか。テストあるし、解き直しでも」
「うん。私もしたかったところだから嬉しい」
そして2人はペンを持ち勉強に取り掛かる。
終業式まであとわずか。
黒田優美はギュッと左手を握り、決心を固めようとしていた。
*
────黒田商店街 床屋
商店街の一角にあるサインポールが回る昔ながらの散髪屋。
田中太郎の実家である床屋の裏口に、斜めにカットされた前髪が特徴的な黒髪少女──黒田優美は来ていた。
狐のような糸目で柔和な表情をした彼女が扉を叩くと、中から制服姿の田中太郎が現れる。
金曜日の放課後になると、毎週彼女はこうして彼の前に現れる。
4週目ともなれば彼らもなれたもので、もはや用件を告げずともこの通りである。
「田中。今週の報告の前に1つ説教や。お前は露骨にやりすぎや。茂木くんにバレとるぞ」
「いや……すいません。情報聞き出そうとこっちも必死でして」
「なんや、田中もバレたの気づいてたんかいな。それを茂木くんから直接言われたと」
「ま、まあ……そんな感じっす。それで今週の報告ですけど」
そうして田中はゴマを擦りながら1週間の茂木恋の様子を事細かに彼女に伝えた。
今週も1週間あんパンを食べていただとか、体育の授業では何点取っただとか、女子とどれくらい話をしたかとか、そのようなものである。
一通りの報告が終わったあと、黒田優美は財布から1枚の紙をお駄賃として手渡した。
当然、田中太郎はありがたくそれを受け取るのだった。
「田中、来週から夏休みや。夏休みの予定だけは絶対に聞き逃したらあかんからな」
「へ、へい。分かってますよ。まあ恋のことだから夏休みもどっかで勉強してそうですけどね」
「茂木くんは勉強熱心やなぁ。ウチもおかげで成績上がったわ」
「そうなんすか! それは良かったすね」
「田中も勉強はしっかりやっといた方がええぞ。赤点取ったのウチの耳に届いてるんや」
「ええっ!? なんで俺の情報が漏れてるんすか!?」
田中太郎は首を振り、周囲を警戒した。
その姿が滑稽に映ったのか、黒田優美は相変わらず糸目だが口元を緩ませた。
「壁に耳あり障子に目ありっていうやろ。お前の行動も筒抜けやからウチを失望させるんやないぞ」
「は、はい」
黒田優美がその場を立ち去ろうとしたところで、田中太郎は思い出したかのように口を開く。
「そういえば黒田さん!」
「なんや田中。ウチは忙しいんや。しょーもない用だったらしばくぞ」
「いやいや、待ってください。恋から黒田さん当てに言伝を頼まれてたんでした」
「なんやと? 早よ言え! そうゆーのは1番最初に言うもんやろ!」
「す、すいません」
ズカズカと迫る彼女に気圧されて、田中太郎は両手を前に出して降伏のポーズ。
制服の胸ポケットからノートの切れ端を取り出すとそれを黒田優美に渡した。
「これを渡せって言われました。ちなみにノートは俺のっす。あんまノート使ってないんで」
「お前はちゃんと勉強せえ」
華麗にツッコミを入れたあと、黒田優美はノートの切れ端を奪い取る。
後ろを向いてその紙を開く。
紙には日時と場所が書かれており、さらに『大切な話があります。待ってるね』と添えられていた。
思わぬサプライズに、彼女はかおがにやけるのを抑えるので必死だった。
田中太郎に見られないように、後ろを向いたまま歩き出す。
「田中、ご苦労やった。引き続き精進するんやぞ」
「あ、ありがとうございます」
彼女が立ち去り、田中太郎だけが残される。
誰もいなくなったのを確認すると扉をガラガラと閉め、ほっと胸を撫で下ろした。
そして、携帯電話に指を滑らす。
メールを打ち終わり送信ボタンを押すと、田中太郎は部屋の奥へと消えていった。
*
────黒田商店街 神社
学校から出された課題が中学の頃の比ではないほどに大量で毎日毎日ワークと睨めっこ。
たまに友人との約束で隣町に出かけてみたり、お盆は両親の実家へと帰ってみたり。
最終日にはやはり宿題に追われて心を無にしてワークの答えを写したり。
高校生の夏休みの過ごし方というのはおおよそこのようである。
宿題ばかりを取り上げたが、実際のところ高校の夏休みというのは遊びが7割、家族の行事が1割。宿題が2割という配分になっていることが当社調べで明らかになっている。なんの会社だ。
高校生も日々の勉学でストレスが溜まっており、長期休暇というものはそんな彼ら彼女らが羽を広げて遊びに行ける時間なのである。
したがって、夏休み初日に神社に参拝するような高校生は存在しないといって差し支えないであろう。
黒田商店街の神社には前髪斜めぱっつんの糸目の少女が、指を弄り落ち着かない様子で木陰で休んでいた。
もちろん彼女は参拝のためにこの神社に訪れたわけではない。
彼女はある人との待ち合わせをしている。
しかもそれは気になる異性であることを、彼女の一挙手一投足が物語っていた。
待ち合わせの時間より早く来た彼女は今か今かと彼を待ち、そして定刻10分前になったところで、境内に1人の男の子がやってきた。
男の登場で少女はゴクリと唾を飲んだ。
これまでの人生で最も緊張しているのではないかと言うほどに心臓の鼓動は早まっていた。
一年中白ワイシャツを愛着している茂木恋は今日も今日とて半袖ワイシャツ。
汗ばんだ肌がチラチラと見える彼の胸元に、彼女の視線は釘付けだった。
少女は平静を装ったつもりではいたが、どうやら挙動不信だったようで茂木恋は優しい笑みを彼女へと向けた。
「茂木くんおはよう。今日は呼び出してどうしたの」
理由なんてわかっていると言うのに、黒田優美はわざとらしくそう言った。
もちろん、茂木恋もお決まりのようなセリフでそれを返す。
「黒田さんに伝えたいことがあってさ。真剣な話なんだけど、聞いてくれるかな?」
「う、うん」
ゆっくりと頷き、彼女は息を呑んだ。
茂木恋はそのまま神社の参道を進んで行き、彼女は彼の背中を追った。
賽銭箱の前まで来ると、茂木恋は振り返る。
「黒田さん、はじめに謝っておくよ。ごめんね」
「えっ」
黒田優美は熱らせた頬を一気に冷まし、目を丸くする。
彼の次の言葉を待つまでもなく、彼女は自分の勘違いに気がついた。
「今日君を呼んだのは告白するためじゃない。俺は……君に謝罪してほしくてここに呼んだんだ」
茂木恋はそういうと、彼女の背後へ指を指す。
黒田優美はそれを追うように振り返ると、そこには3人の少女が立っていた。
藤色髪の高身長、紅葉色ショート、白髪ロング。
彼女はそのうち2人に関しては顔を知っていた。
そして、その2人から茂木恋が自分を呼んだ理由を完全に理解してしまった。
黒田優美はその場で俯くと、両手で顔を押さえクスクスと笑い始める。
髪を掻き上げると、彼女は茂木恋に向き合う。
相変わらず彼女の表情は変わらない。
寧ろ、先ほどまで以上にその表情は笑顔で溢れているようにすら感じられるものであった。
糸目の少女は柔和な表情で口を開いた。
「なんや、おどれはその女どもの関係者だったんかいな? 目的はなんや?」
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