第38話 『許嫁』決着?

 ────茂木恋の自室


 水上かえでとの交際を一度取りやめた後、茂木恋は自室で電話帳と向き合っていた。

 電話帳といってもスマートフォンの画面をスクロールしているだけだが。

 茂木恋は中学時代友達が特段多かったかと言われればそうではない。

 しかし、それなりに友達はいたし卒業式の後、話したこともない人たちとも連絡先を交換していたため、彼の電話帳には100かそこらの連絡先が登録されていた。


「うーん、県立附属に行った同中か……」


 水上かえでは通っていた塾での知り合いに県立附属の生徒が多いと言っていたのを、彼は思い出す。


「俺はそこまで頭よかったわけじゃないから最上位の人たちとあんま知り合いじゃないんだよな……これは難しいか」


 茂木恋は思わず弱音をこぼした。

 公立の中学校は幅広い学力を持つ生徒たちが在籍しているが、近い学力を持った人と友達になっていることが多い。

 それは茂木恋自身もぼんやりと感じていた。

 そんなことをぼやきながら電話帳をスクロールしていると、彼は1人の名前に目が止まった。


「北山きよし……そういえば小学校までめっちゃ仲良かったな。確か清は県立附属だった気が」


 茂木恋が発見したのは彼の幼稚園のころからの友人だった。

 中学では茂木恋は卓球部、北山清は文芸部と部活動が分かれてしまったため疎遠になってしまったが、それまではいつも一緒にいるくらいに仲が良かった。


 茂木恋は連絡の取りやすい県立附属の友人を見つけて彼に電話する。

 しばらくのコール音の後、彼は電話に出た。


『お、恋。久しぶり。いきなり電話なんてしてどうした? 宗教の勧誘とかは間に合ってるからやめてくれよ』

「久しぶり清……って、その台詞は久しぶりの友人に言うやつじゃなくないか!?」


 北山清は、ハハハと笑った。


『いやいや、冗談だよ。最近学校で自作宗教作って宗教勧誘を断ろうとかいう話題になってさ、たまたまそれがタイムリーだっただけ』

「どんな話題だよ! もしかして県立附属は変な奴が多いのか?」

『どうだろうな。まあ、恋の学校よりは色々拗らせてる人間は多そうだって思うぞ』

「変な高校だな」

『変な高校だ』


 そうして息を合わせて2人は笑った。

 久しぶりに話したというのに、彼があまり変わっていないことに茂木恋は安堵していた。


「早速本題なんだけどいいか?」

『ああ。宗教勧誘以外で突然連絡入れるってことはそれなりに大切な話があるんだろ?』

「宗教は置いておいて、まあそうだよ。清って県立附属通ってるだろ?」

『そうだな。通ってなかったらさっきまでの話は他人から聞いたことになってしまう』

「それでさ、清と同じ学年で黒田優美って子がいると思うんだけど、普段学校でどんな感じなのか知りたいんだ」

『恋、さてはナンパだな。ナンパなら俺も誘ってくれれば良かったのに』

「ナンパじゃねえ!……とはハッキリいえないのが苦しいところなんだよな……」


 茂木恋は自分の行いを振り返ってあれがナンパであることを確認する。

 動機は不純だが、黒田優美をナンパしたし、現在進行形で彼女にちょっかいを出しているのは間違いないのだ。


『女の好みは人それぞれだからな。黒田優美のことのなら俺も良く知っているよ。同じクラスだし』

「マジか!? どんな感じ?」

『いつも1人でいるよ。誰とも喋らないし、誰も話しかけようとしない』

「……へー、そうなんだ」

『あれだな。恋を信じていうけどさ、黒田さんって県立附属にしては勉強が信じられないくらいできないんだ。もしかすると、恋の高校──聖心高校にも入学できるか怪しいと思っている。クラスでは不正入試とか採点ミスとかの噂が立ってて、それで誰も話しかけようとしないんだと思う。俺は単純に女が苦手だから話しかけてない』

「おい、さっきのナンパ云々はどうした」


 ツッコミを入れながら、茂木恋は内心黒田優美を憐んでいた。

 想像はできていたことだが、学校に一切友達がいないというのが事実であることを知ってしまい、そんな彼女を騙していることに罪悪感を抱いた。


『それは適当に流してくれ。それより、大丈夫なのか、恋。俺は心配だぞ』

「心配ってなんだよ。そんな変な噂の立つ女の子を追いかけてることか?」

『違う。桃井美海のことだよ。お前が当事者だろ』


 北山清は声量を抑えるようにして言った。

 彼とは幼稚園の頃からの付き合いであり、それはつまり桃井美海とも幼稚園の頃から知っているということであった。


「……いや、やばいと思う。彼女ができたこと知られたらぶん殴られるのは目に見えてる。というか美海から離れるために俺は彼女を作ろうと思ってるんだ」

『そういうことか。確かにそれは名案かもしれない。流石に他に彼女がいたら婚約なんて破棄だろうからな。あいつは本当に狂ってる。俺が女が苦手になった原因に間違いなく桃井は入ってるくらいにはな』

「そういうことだったのかよ」

『世の中に桃井みたいな女がいるって知ったら怖くなってさ。一般論として、女の暴力なんて大したことないというのがあるのを思い知ったよ。男より強いのに見た目あんな可愛らしいから先生も恋の話間に受けてなかったもんな』


 桃井美海の暴行癖について、茂木恋はもちろん当時の先生に相談をしたこともあった。

 しかし、小柄で見目麗しい女の子が、男の子に青あざを作るだなんて信じてもらえず、むしろ家庭での暴行を疑われてしまった。

 それ以来、茂木恋と北山清は、桃井美海の暴力について誰にも相談することができずにいたのである。

 回想をしていると、北山清はふとあることを思い出した。


『恋、そういえば桃井のやつが暴力的になったのっていつ頃からだっけ』

「確か小学校5年くらいからだった気がする。入学式終わった後に後ろから殴られたのは覚えてる」

『あったなそんなの……桃井のやつ誰も見てないのを見計らってやってんだからタチ悪いよな』

「完全に通り魔の犯行だよ」


 幼馴染の通り魔とはいかに。

 過去を懐かしんでいると、北山清は「あっ」と小さく声をもらす。


『殴るといえば、あのときは悪かったな、恋』

「あのときってなんだよ」

『ほら、大掃除のときだよ。俺、お前のこと殴っただろ。花瓶割ったときの』

「あれか。いや、あれはいいんだよ。寧ろ、あれは殴ってくれないとダメだった」


 茂木恋は古い記憶を呼び起こす。

 彼は小4の終業式の前の日に行われた大掃除で、クラスの花瓶を割った。

 割った理由はありきたりなもので、不注意によるものである。

 そして、花瓶を割ってしまった茂木恋は怒られるのを恐れて、それを黙っていた。

 いつも彼と一緒にいた北山清はもちろん犯人を知っているわけで、自分の犯した罪を黙っていた茂木恋を殴ったのである。


「悪いことしたらちゃんと謝らないとダメだもんな。思えば、その罰が美海の暴力って形で返ってきてるんだったら、俺は自業自得ってもんだよ」

『にしては、罪に対して罰が重すぎるとは思うけどな。『目には目を』なんてレベルじゃない。『目には族誅を』レベルだ』

「鈴まで殺されちまってる……ごめんよ……」


 鈴とは茂木恋の妹のことである。

 しかしながら、茂木恋の訴えによって小学校の先生による家庭訪問が行われたため、ある意味家族に多少の影響が出ている点では一致していた。


『桃井の考えは知らないけどさ、とにかく今の話をしよう。恋が無事に黒田優美と付き合えれば、もしかしたら桃井もお前のこと諦めるかもしれないからな』

「清、助かるよ。これから週一くらいで連絡入れるからさ、黒田さんの学校での生活ぶりを軽く教えてくれ。あっ、このことは絶対に黒田さんには言わないでくれよ」

『どうしてだ? 直接話した方が恋のことを意識してくれるんじゃないか?』

「いや、本当にやめてくれ。こっちにも深い事情があるんだ。黒田さんにバレたらこれまでの努力が全て水の泡になる」


 茂木恋は鬼気迫るようにそういった。

 北山清は親友とも言える彼のその声音に何も疑問を口にできなかった。


『わかった。黒田さんと付き合えたら、そのときには教えてくれよな』

「ああ、付き合えなくても教えるよ。それじゃ」


 茂木恋は電話を切る。

 静かになった自室で、彼は桃井美海のことを考えていた。

 直近で彼女に会ったのは、文化祭のときである。

 そのときも、茂木恋は彼女にボコボコに殴られた。

 後に控える白雪有紗との用事があったため逃げることができなかったが、本当であればすぐにでも逃げ出していたであろう。


「美海が暴力を振るうようになった理由か……」


 このときはまだ、彼は確信に近い答えには辿り着けなかった。

 しかし、いくつか答えらしきものが思い浮かんでいたのは事実である。

 そしてやり取りの後、茂木恋の黒田優美攻略が始まる。

 それでは桃井美海との再会へと、時を進めよう。


 ***


 ────黒田商店街 神社


「美海、決着をつけるぞ。俺は……お前を『病み』から解放する!」


 拳を前に突き立ててそう宣言する。

 桃井美海は未だに瞳を曇らせたまま、浮気した旦那に殺意を向けていた。


「闇? ミミ知ってるよ。それって厨二病ってやつだよねぇ? 恋にぃが厨二病でもミミは恋にぃのこと愛してるよぉ?」

「違う! 俺は断じて厨二病なんかじゃない!」



 茂木恋は腕を横に払いながらそう叫ぶ。

 しかし、彼を見守る彼女たちと黒田優美たちは心の中で「絶対厨二病だ……」とツッコミを入れていた。


「とにかく、俺はお前を元に戻すよ。あの頃の、妹みたいで可愛かったお前に」

「何を言ってるのぉ、恋にぃ? ミミは今でもとっても可愛い恋にぃの妹で、お嫁さんだよ〜? わからずやな恋にぃに、愛の一撃喰らわせちゃうよぉ!」


 桃井美海は両手を前に構えつつ、茂木恋へと肉薄する。

 茂木恋は張り手で彼女を捕らえようとするが、巧みなダッキングでそれをかわした。

 小学校5年から桃井美海の暴力の技術は残念なことに向上していた。

 彼への愛ゆえに、今では軽くボクシングなどを齧っているようだった。


 攻撃をかわした後に桃井美海のアッパーが茂木恋の顎をとらえる。

 舌を噛まないように食いしばっていた茂木恋だったが、それでも衝撃が脳に響き、彼はふらついてしまう。

 その隙を彼女が逃すわけもなく、右手を取って一本背負い。

 境内の地面は小石でいっぱいであるためダメージが大きい。

 激痛に震えながらも、茂木恋は転がって振り下ろされた手刀をかわした。

 一瞬の戦闘だというのに、茂木恋はすでに肩で息をしていた。

 それだけ彼女の放つ圧は強く、常に気を張っていなければ意識を奪われてしまうほどであった。


「ねぇ、どうして恋にぃは浮気なんてしたのぉ? ミミのことが嫌いになっちゃったのかなぁ?」

「そうだよ! 俺はお前が嫌いだ! 嫌いになっちまったんだよ!」

「ひ、ひどーい! いっぱい殴って絶対恋にぃと仲直りしちゃうんだからぁ!!!!」


 支離滅裂な発言をしながら桃井美海はラッシュをかける。

 無数の拳の雨に茂木恋は両手をクロスして構えて顔へのダメージを抑えた。

 しかし、彼の腹部は無防備だ。

 精一杯腹筋に力を入れていたが、それでも耐え難い痛みが走っていた。


「ねえ、恋にぃ痛い? 痛いよねぇ? ミミのことちゃん見てくれてるかなぁ!?」

「……っ! いてぇ……いてぇよ! でもこんなんじゃお前のことを好きになったりしない!」

「だったら好きになるまで殴るだけだよ〜!」


 彼女のラッシュは再び勢いを増していた。

 普段トレーニングをしているのか、いくら殴り続けても桃井美海の攻撃は止むことはなかった。

 激痛の中、茂木恋は時間を数えていた。

 桃井美海を……桃井美海の勘違いを正す方法は既に理解している。

 それは一瞬あれば事足りる。

 茂木恋はかなりの策士である。

 これまでも、さまざまな策を講じて複数の彼女と付き合ったり、その彼女たちの病みを克服させてきた。

 そんな彼が自分の戦いのために何の策も講じないわけがないのである。


「ほらほらほら! 守ってばかりじゃなくて恋にぃも反撃してよ! じゃないとミミもつまんないよ〜!」


 桃井美海が最後の一撃と言わんばかりに大きく振りかぶる。

 もう終わりかと思われたその時、茂木恋のポケットから着信音が鳴り出した。

 突然のことに桃井美海の動きが一瞬止まる。

 そして、その隙を茂木恋は決して逃さなかった。


「美海! ごめん!」


 茂木恋は右手をぎゅっと握り、力拳を作る。

 そして力一杯それを桃井美海の顔面へと振り切った。


 グニャリという感触が拳に伝わり、次いで彼女が境内に叩きつけられた音が響いた。

 突然の反撃に、彼らの戦いを見守っていた3人の彼女たちは目を丸くしていた。


 茂木恋は倒れ込む桃井美海を見下ろしながら、電話に出た。


「清、ありがとう。もう少し遅れてたら俺死んでたかもしれない」

『は、はぁ? 恋、いきなりどうしたんだよ。それより今週の報告だけどな』

「いや、それはもういいよ。黒田さんとの話はもうケリがついた。一旦切るぞ」


 茂木恋はこの一瞬を──北山清の定期報告の時間を待っていた。

 彼の思惑通り、桃井美海との戦闘の途中で彼は電話を掛けてくれた。

 北山清という人物を茂木恋はよく知っている。

 彼は昔から非常に誠実で正しい人間だった。

 親友が相手であっても悪いことをしたらきちんと叱る。

 4時に電話を掛けてくれと言われれば、4時ぴったりに電話をかける……そんな人間なのだ。

 だからこそ彼が連絡をよこす時間を、桃井美海攻略のプログラムに組み込むことができたのである。


 茂木恋に殴られた桃井美海はゆっくりと立ち上がる。

 1発であったが良い拳が入ったらしく、彼女の鼻からは血が垂れていた。

 そして、桃井美海は恍惚とした表情を浮かべながら茂木恋に抱きついた。


「恋にぃ〜! そんなにミミのこと好きになってくれたんだねぇ。ミミ嬉しい! 嬉しすぎて泣いちゃいそうだよぉ!」


 桃井美海は茂木恋の身体によじ登ると、彼の唇を奪う。


 茂木恋はぎゅっと唇を閉じて無反応を決め込んでいた。


「ミミね、本当はちょっと不安だったんだ〜! だって恋にぃは全然ミミのこと殴ってくれないんだもん! でもそれも今日で終わりだねぇ〜。だって恋にぃはこんなにミミのこと想ってくれてるんだからぁ!」

「…………」

「ほら恋にぃ、もっと殴って良いんだよぉ? いっぱいミミを痛めつけて、ミミのこと好きって言って」


 耳元でそう囁かれた後、茂木恋は彼女の脇を持ち、一旦身体を引き剥がした。

 彼女の肩をがっちりを抑えて茂木恋は口を開く。


「美海、お前はやっぱり勘違いしてるよ。俺はさ、別に殴られるのが嬉しいわけじゃないんだ。それに、殴るのも好きじゃない」

「えっ……恋にぃ何を言ってるの……? でも恋にぃは言ってたよね? 『殴られて嬉しい』って。『本当の友達だから殴ってくれた』って」


 桃井美海は目のハイライトを落とし首を傾げた。

 その言葉を聞き、茂木恋は予想通りの結果に安堵する。


「美海が変わっちゃったのは、俺たちが小4のときの大掃除だ。俺はあのとき花瓶を割ったのを黙っていて、それを許せなかった清が俺を殴った。殴られた後に、俺のことを心配してくれたのは美海だったよな」


 昔を懐かしむように茂木恋はいう。

 桃井美海もそのときのことをはっきりと覚えていた。

 殴られたというのに嬉しそうな未来の旦那の顔を彼女は忘れもしなかった。


「そこで俺は確かに、美海に涙を拭いながらこう言ったはずだ。『清は俺の本当の友達だから殴ってくれたんだ。怒ったりなんてしてないよ。殴ってくれて感謝してる』って」

「うん。だからミミは恋にぃともっと仲良くなるためにいっぱい殴ってるんだよぉ?」

「だから、それが勘違いだって言ってるんだよ! はっきり言うぞ! 俺には殴られて好きになるような性癖はない!」


 こうまではっきりと言われてしまっては、彼女も彼の言葉を聞き入れなければならなかった。

 茂木恋と将来を考えていた桃井美海は、真剣に彼の性癖に向き合っていたつもりであった。

 小学校の頃は性に関する考えなど頭の片隅にもなかったが、中学生で性に目覚めた後はマゾ向けの成年漫画雑誌を購入するほどに、彼女は真剣だったのである。

 桃井美海は顔面蒼白の状態で茂木恋のシャツを掴んだ。


「そ、そんな……だったらミミは……こんなに頑張ってたのに……『あしたのショー』でボクシングも勉強したのに!」

「努力の方向性が殺意高すぎる!」

「それに恋にぃのお父様に護身術も教わったのに……」

「父さんのやろう警察の訓練をどこに活かしてるんだよ!」

「毎朝ランニングと筋トレも欠かさなかったのに〜!」

「お前はどこのスポーツ漫画主人公だ!」


 桃井美海が常人離れした戦闘力を持っていたのは、茂木恋への愛情故に続けられた弛まぬ努力によるものだった。


「美海が俺のために頑張ってくれていたのはわかった。でも、それは残念だけど逆効果だったんだよ」

「ううう……でも! このままいっぱい殴り続けたら恋にぃも殴られるの好きになるかもしれないよぉ!?」

「それはない! これまで散々殴られてきた俺がいうんだから間違いない! 俺はもう殴られるのは懲り懲りなんだよ! 俺は断じてマゾじゃなーい!!!!」


 神社の境内に茂木恋の悲痛な叫びが響く。

 内容が最低であるため、きっと神様も耳を覆っていることであろう。

 藤田奈緒は彼の本棚にM男が主人公のラブコメラノベがあることを知っているため真偽を疑ってはいたが、彼の言葉を仕方なく信じることにしていた。ご冥福をお祈り申し上げます。

 段々とグダグダとなりかける中、桃井美海は真剣な面持ちで話を続けた。


「……恋にぃはミミのこと好き?」

「昔は好きだった。でも、今は好きじゃない。あんなに殴られて好きでいられる人間は、そういないよ」

「そ……そっか……ミミはね、恋にぃのこと今でも好きだよ。それに、これからも」

「悪いな、美海。俺にはもう素敵な彼女たちができちゃったんだ。だからごめんな」

「う……ううう……」


 桃井美海は泣き崩れる。

 シャツを涙で濡らす彼女の頭を撫でていると、茂木恋は幼稚園の頃からの彼女との生活を思い出していた。

 昔は、小さくて泣き虫な彼女のことを茂木恋は実の妹のように接していた。

 桃井美海は何をするにも茂木恋と一緒だったし、彼自身、彼女がついてきていないと少し不安になるほどだった。

 本当にちょっとした勘違いですれ違ってしまったが、それさえなければ桃井美海と本当に結婚していたのであろう。

 そして、そんなちょっとしたきっかけで茂木恋は3人の彼女ができ、紆余曲折あって1人の女の子を騙した。

 人生何があるかわからないなと、茂木恋はこれまでの恋愛劇を振り返ってそう思うのであった。


 桃井美海が泣き止んだところで、茂木恋は神社の外に一台の車が駐車しているのを確認する。

 どうやら、お迎えの時間がやって来たようだ。


「美海、そろそろ行かなくちゃ」

「えっ、恋にぃどこに行くの」

「安心してくれ、そう遠い場所じゃない。何なら近所だ」


 意味が理解できないというように桃井美海は首を傾げる。

 茂木恋も自分で言っていておかしいよなと心の中でツッコミを入れていた。

 神社の参道を歩いて行き、途中で3人の彼女たちの前で止まる。


「水上さん、白雪さん、奈緒さん。それじゃあまた1ヶ月後に会いましょう」

「うん。夏はもっと茂木くんと遊びたかったけど私たちのためなんだもんね。行ってらっしゃい」

「うん、行ってくる。メールはできるだろうから、色々そっちの話も聞かせてね」

「恋様のいない日々を思うと夜も眠れません。恋様抱き枕カバーを作りたいのでお写真を一枚よろしいでしょうか」

「恥ずかしいからやめてくれ……って写真取りながら許可を求めないで!」

「グラブル合宿ってお姉ちゃん聞いたんだけど、具体的には何するのか気になるゾ♪ あと、どうしたらお姉ちゃんも一緒に遊べるかな?」

「……俺もよくわかってないんですよ。何とかの30連とか言ってました。未知の世界ですね。ランク120を目指しましょう。たぶん、新武器掘りすると思うんで」


 別れの言葉を済ましたところで、鳥居の前に黒服の2人が現れる。

 茂木恋が監禁された時の例の2人であろう。

 神社から去ろうとする茂木恋の背中に、桃井美海が叫んだ。


「恋にぃ! 本当に大丈夫なのぉ!? これが最後じゃないよね!?」

「ああ、安心してくれ。ちょっくら監禁されてくるだけさ。二学期にまた会おう!」

「恋にぃ! 恋にぃ〜〜〜〜!!!!」


 かくして3人の彼女たちと黒田優美、そして茂木恋と桃井美海との話に決着がついた。

 卓越した恋愛偏差値をもつ茂木恋は、夏休みの宿題は初日に済ますタイプなのである。

 これでもう夏にやり残したことは何もない。

 残すはもう、本当の学校の宿題くらいであろう。

 黒服に連れられるまま、茂木恋の最高にクールな──冷房の効いた夏が始まるのであった。

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