第9話 『許嫁』邂逅?

 ────聖心高校 2階廊下


 聖心高校では、階数と学年が対応している。

 1年生は1階、2年生は2階、3年生は3階に教室が配置されている。

 茂木恋は普段2階に行くことがないため、どこか精神的な壁を感じてどこか落ち着かない様子であった。

 夏はまだ早いが、半袖ワイシャツの制服姿の水上かえでは活気付いた学内に目を輝かせた。


「茂木くんの学校、騒がしいね。ウチのクラスは静かな子ばっかりだからなんだか中学に戻ったみたいで新鮮かも」

「そうかな? まあ、聖心は公立だから、有象無象の烏合の衆って感じなんだろうね。水上さんは私立だし、特に特進クラスだからさ」

「そっか…………公立……私も受験で合格してたらな……今頃こんな楽しい学生生活を送れてたのかな……」


 受験期を思い出して瞳のハイライトを落とし、左手首を掻き毟り出す水上かえで。

 茂木恋のプレゼントであるレザーのリストバンドをつけてはいたのだが、それはズラすだけで簡単に傷を剥き出しにできてしまう。

 伸びた爪が肉に食い込み、じんわりと血が流れ出す。


「ああああああっ!!!! あんなところにお化け屋敷が!!ほ、 ほらっ、あそこの2年◯組! 上級生の出しのもは人気なんだよなぁ!」

「……お化け屋敷?」

「そうさ水上さん! 俺、お化け屋敷そんなに得意じゃないからさ、一緒に手握ってもらってもいい?」

「茂木くんと手を…………うん! お化け屋敷いいね! 早速並ぼう」


 巧妙にご機嫌をとった茂木恋。

 なんとか彼女の自傷行動を収めた後、彼はティッシュをヒラリと彼女に渡した。

 水上かえでは嬉しそうに受け取り、それで手首を拭くのだった。


 *


 ────文化祭 お化け屋敷


 茂木恋はよくやっている。

 今日の文化祭に向けて完璧な計画を立てていたが、それら全てが紫髪のお姉ちゃんに壊されかけたが、今はこうして水上かえでとデートをしている。

 ただ茂木恋はどうにも自分自身のことについて頭が回らないようなのである。

 彼は、彼が思う以上に……ホラーへの耐性がなかったのだ。


 薄暗くて狭い通路で、茂木恋は水上かえでの腕をギュッと握っていた。


「茂木くん震えてるよ? 大丈夫?」

「だ、だ、だ、大丈夫だよ!? ちょーっと怖いかなってくらい」

「いやでも汗もすごいよ? 本当に大丈夫? カッター使う?」

「刃物を恐怖から開放する素敵なアイテムみたいに捉えないでくれ……!」


 スカートのポケットから黄色いカッターナイフを取り出す水上かえでを、必死に止める茂木恋。

 ただでさえ狭いお化け屋敷の通路である。

 刃物など使用しては、第三者を傷付けてしまう可能性もあるだろう。

 流石に怪我人が出たら名前を公表しなければならないが、2年生のキャラ設定など考えておらず、本格的にマズいことになるので是非水上かえでにはご自重いただきたい。


 ハッピーミラクルカッターナイフを取り上げると、茂木恋は深呼吸する。


「ごめんね、水上さん。今、落ち着いた」

「あはは……でも意外かも。茂木くん、怖いの苦手だったんだね」

「……悪い。あんなに大見え切ったのにさ……」

「ううん。いいんだよ。茂木くんのそういう一面が見られて、私は嬉しいから。ほら、よしよし……私が慰めてあげるね」

「水上さんちょっと恥ずかしい……」


 暗闇の中、背中をさすられ、茂木恋は身悶える。

 女の子によしよしされるのは、内心嬉しいが、それこそ「ママぁあああ!!!!」とバブバブしたいところであるが、漢の中の漢である茂木恋はそれをグッと堪えていた。


「でも、ありがとう。おかげでもう怖くなくなったよ。ほら」

「茂木くん急にそんな……肩を抱くなんて……」

「嫌だった? 俺のためだと思ってよ。水上さんがいないと、俺は怖くてダメだからさ」

「茂木くん……」


 男に肩を抱かれ、途端にとろんとした表情を浮かべる水上かえで。

 実のところまだお化け屋敷は怖いが、イケメンムーブをかましながら水上かえでと密着することで「あれ? 茂木くん、本当は怖くなんてなくて、それを口実に私を抱きしめたいだけなんじゃないの?」作戦とした。

 短くまとめれば、ハッタリである。


 2人が歩き出した瞬間、暗闇から手が伸ばされる。


「なんだ!? うわあああああああ!?」


 ビニールで作られた両サイドの壁から、一斉に緑色の腕が飛び出す。

 およそ10人を超える生徒を稼働にあてた当お化け屋敷最大の恐怖が2人を襲った!


 当然のことながら、茂木恋はこんな恐怖に耐えられない。

 なので、水上かえでを抱きしめる力が無意識のうちに強まってしまった。


「あっ……んっ……! 茂木くん……そこは…………だめぇ……」

「あっ、ごめ……」


 そう言いかけて彼は口を噤む。

 もう怖くないと言い出した手前、すぐに怖がってたのでは示しがつかないと彼は考えたのだ。


「……ごめんね。強く抱きしめすぎちゃった? 他の男には、水上さんに触れて欲しくないからさ」

「そんな……茂木くんそんなに私のことを……」

「ほら、痛いところはない? 今度は俺が撫でてあげるよ」

「茂木くん、くすぐったいよぉ」

「頭撫でられるの、嫌だった?」

「茂木くんになら……いいよ?」

「だったら続けちゃおうかな。そーれ、わしわし……って痛ぁ!!!!?」


 ピンクの花びらが舞う空間が茂木恋の素っ頓狂な声で崩れる。

 お化け屋敷の中でイチャつかれるのは、従業員の精神衛生上あまり、いやかなりよくない。

 そういう時はどさくさに紛れて殴ってもいいという校則が、聖心高校にはあったりなかったりするのである。


「早く行こう! 水上さん。このままだと怪我しちゃう」

「う、うん!」


 暴力を回避すべく彼女の手をとり、愛の逃避行。

 換言するならば、もうお化け屋敷は終わりである。


 光のさす方へ、茂木恋たちは手を繋いで飛び出した。

 お化け屋敷の内外での光量の差が激しいため、2人は手で目を覆う。


「楽しかったね、お化け屋敷」

「そうだね。俺、怖いの苦手だったけど、水上さんとだったら平気かもしれないな」

「えへへ……ありがと。怖いときはこれからも一緒にいようね」


 それは、まさに愛の告白と言って差し支えない台詞であった。

 水上かえでもそれを自覚しているようで、言ったそばから顔を赤くする。

 茂木恋も、同様に頬を染め、互いに顔をみることができなくなっていた。


 *


 お昼ご飯は食べ終わり、そろそろ茂木恋には次の予定・・・・の時間が迫ってきていた。

 水上かえでと文化祭を楽しめるのも、後1アトラクションくらいであろう。

 最後のアトラクションをどれにしようかと悩んでいたところで、着信音。


 ピロロン♪


『恋様、私にはやはり無理です。本当に申し訳ありません』


 メールの相手は白雪有紗だった。

 短く、断りのメールである。


 文面を把握した後、茂木恋はスマホを握りしめ、唇を噛んだ。


 茂木恋はこうなることを、予期していた。

 しかし、彼女を信じて、あえて何も手を出さなかった。

 これは白雪有紗の問題であるのだから、手を出してはならない。

 そう判断したはずだった。

 しかし、彼はそれが誤りであったことに、今気づき焦燥に駆られていた。

 自分が彼女にしたことは、愛ゆえにではなく、思いやり心ではなく、信頼ではなく……放棄であり、拒絶────彼女が最も恐れている行為であったことを。

 彼は行かなければならなかった。


「水上さん、ごめん。デートはここまでにしよう。どうやら委員会の方で問題が発生したらしい」

「委員会って、清掃委員会だっけ?」

「ああ。悪いけど、俺は委員会の方に行かないといけなくなった。本当にごめん」

「ううん、いいんだよ。今日はたくさんいい思いさせてもらったし。それじゃあ私はもう帰るね。茂木くんの高校が見れて本当に良かった」

「ありがとう。今度は水上さんの高校の文化祭にお邪魔するよ」


 水上かえでは満足そうに笑みを浮かべ、高校を去っていった。

 階段を降りる背中に、彼は手を振る。

 姿が見えなくなったところで、彼は歩き出した。


「白雪さん、今行くからな……!」


 白雪有紗の行きそうな場所はおおよそ予想ができていた。

 清掃委員の待機場所、図書館、そして……大本命はうさぎ小屋。

 水上かえでと鉢合わせにならないように、特別教室のある別棟からうさぎ小屋を目指す茂木恋。


 走り出した彼であったが、しかし、その足は止まる。


 彼の目の前に、彼の良く知る……いや、彼を良く知ると言った方が正しいかもしれない。

 茂木恋は彼女を知ろうとせず、彼女は茂木恋を──歪んだ解釈ではあったが少なくとも知ろうとしていたのだから。


 小さな体躯に、桃色のセミロングヘアー。

 側頭部にお団子のつけた、小学生と見紛うほどのロリ少女。

 茂木恋の幼馴染であり、ライバルであり、妹分であり…………許嫁。

 この場で最も会いたくない存在を問われれば、間違いなく彼女であろう。

 少女は茂木恋を見つけると、猛スピードで彼の胸へとダイブした。


「あー! れんにぃだ〜! やっと会えたー!」

「美海……!? どうしてここに……」


 美海と呼ばれた少女は、桃井美海ももいみみ

 上から読んでも下から読んでも同じ名の……異常な少女であった。


「ぐっ……痛い……」


 桃井美海の抱きしめる腕が段々と強くなる。

 両腕と肋骨が軋み、万力で締め上げられるような痛みが走った。


「どうしても何も、恋にぃを探しに来たんだよぉ? だって恋にぃ最近ミミと遊んでくれないから!」

「それはな……俺だって高校で色々忙しいんだよ」

「そんな冷たいよ恋にぃ! ミミと恋にぃの仲じゃん〜」


 遊ぶように、戯れるように、人懐っこい彼女の台詞と同時に、渾身の右フックが茂木恋の肩へと直撃する。

 途方もない威力の拳に、茂木恋の身体はグラついた。

 おそらく、彼の肩はアザになっているであろう。


 そう。

 彼女こそが、茂木恋が彼女を必死になって作ろうとした原因の少女。

 茂木恋を取り巻く『病み』の少女たち、その第一号こそが桃井美海であった。

 カテゴリー分類をするのであれば、彼女はまさしく──攻撃的な病みヒロイン。


 人と熊がじゃれつけばどうなるのかは想像が容易い。

 茂木恋と桃井美海の関係はそれであった。


「すまんが美海、俺はこれから委員会に行かなきゃならない。そこをどいてくれ」

「えー? 恋にぃ、久しぶりにミミと会ったのに遊んでくれないのぉ? そんなのヤダヤダ〜!」


 駄々をこねながらも桃井美海の暴力は止まらない。

 プロボクサー顔負けのラッシュで茂木恋の身体を順調に破壊していっていた。

 彼自身、彼女からの暴力に慣れているとは言え、ここ最近は殴られていなかったため、痛みに歯を食いしばっていた。


「ミミの言うことを聞かない悪い恋にぃにはお仕置きが必要だね」


 ポキポキと指を鳴らし、桃色暴力少女──桃井美海は彼を追い詰める。


 ここまでなんとか文化祭デートをこなしてきた茂木恋。

 しかし、最悪のタイミングで、最大の障害が現れた。

 状況は考えうる限り最低である。

 もはやこれまでかと、茂木恋は目を瞑るのであった。

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