第20話 『アニメ』鑑賞?

 茂木恋がホテルに閉じ込められてからおよそ2時間がたった。

 気づけばもう時刻は夜の9時である。

 その間、有栖川絵美里から一切の連絡はなかった。


 軟禁状態にある彼であるが、その待遇は決して悪くなく──むしろ自宅よりも快適に彼は過ごしていた。

 茂木恋は冷蔵庫からエナジードリンクを取り出し、プシュッと音を立ててそれを開ける。

 キンキンに冷えたそれは、家に帰れないという彼のストレスを炭酸のごとく弾け飛ばせた。

 冷蔵庫には他にもおにぎりやサラダなど、コンビニで売られている食品が大量に詰め込まれていた。

 当分生活に困ることはないどころか、茂木恋はコンビニの食べ物類結構好きな部類だったので、なんだかんだ普段より夕食を食べている説まである。


 エナジードリンクを半分まで飲み干した後、彼は一度部屋の出口となる扉の前まで行く。


 有栖川絵美里は外から鍵をかけていたが、当然内側から鍵を開けることはできる。

 間抜けな誘拐犯かと思われそうであるが、決して有栖川絵美里は間抜けなどではない。


 恐る恐る扉を開けると、通路に立っていた黒服の男と目がある。

 正確には黒服の男はサングラスをしているため目が合ったかは定かではないのだが、扉が開いたことに気付いて接近して来たので目が合っているのだろう。


 監視の男がまだいることに肩を落としながら茂木恋は扉を閉めて鍵をかけた。


「はぁ……これどういう状況だよ……あの男たちは絵美里ちゃんの協力者ってことだよな……?」


 大の大人が1人の少年の誘拐に絡んでいるとなると、いよいよ犯罪じみて来ている。

 いや、別に金髪幼女が高校生を監禁するのも犯罪であることには変わりないのだが、そちらはどうしてもご褒美に近い何かを感じてしまい犯罪性を薄めてしまうであろう。


 茂木恋はベッドに腰掛け、テレビの電源をつける。


 夕食は食べてしまったし、風呂も入り終えてしまい、茂木恋にはやることがない。


 本来ならば、グラブルやら、学校の宿題やら、彼女候補たちとの──今では正式な彼女たちであるが、その娘たちからのメールの返信など、いろいろやることがあるのだが、残念ながら今の彼はスマホを取り上げられている。

 ここまで自由な環境に彼を置くのであればスマホもいいだろうと言いたいところであるが、流石に救援は呼ばれたくないようである。


 日曜の夜9時からの番組を茂木恋は普段見ていないので、何がやっているか分からない。

 自分のことが報道されていないかと一応ニュース番組をつけてはみたものの、あまりニュースは楽しいものではなかった。


 いよいよ暇で死んでしまうかといったその時、入口の鍵がガシャリと開く。


 扉を開けたのはもちろん有栖川絵美里。

 随分と薄着な──いわゆるネグリジェと呼ばれるタイプのパジャマを着て彼女はやって来た。


「レン、良い子にしてまして? ご飯はちゃんと食べるのですわよ」

「うん、ご飯は冷蔵庫に入ってたから勝手にいただいたよ。あれ、絵美里ちゃんが用意したんだよね?」

「そうですわね。後からお金を請求したりはしないので、冷蔵庫にはいったものは好きに飲み食いして良いですわ。私も一本モンスターをいただきますの。では失礼して」

「ちょっと、これは俺の飲みかけだから新しいのにしようよ!」

「間接キスをさせろと言っているのがわかりませんの? レンは随分といけずな殿方ですわね」


 そういうと有栖川絵美里は冷蔵庫に向かうフリをして、茂木恋のエナジードリンクをヒョイと取って飲み干した。


「ご、強引すぎる……」

「私、欲しいものはなんでも手に入れたい性分ですの。もちろん、レンのハートも手に入れたいですわね」


 彼女はすました顔でそう告げた。

 口調も相まって、お嬢様という言葉が彼女にはよく似合っていた。

 飲み物を飲まれてしまったので、茂木恋は冷蔵庫から新しいエナジードリンクを2本取り出して彼女に手渡す。

 しかし、彼女は一本を机に置くと、どこからか取り出したハート型の──2人で飲む用のストローをエナジードリンクに挿し、彼の隣に座った。


「はい、レン。ジュースは一本、ストローの口は二つですわ」

「一緒に飲め……と?」

「その通りですわ。恋人らしくていいじゃありませんの」

「飲んでるのエナジードリンクだけどね! もっと恋人らしい飲み物なかったのか……」

「あら、レン。恋人が一緒に飲みそうな飲み物とはなんですの? 私気になりますわ」

「ええ……そうだなぁ。甘くて……」

「エナジードリンクは甘いですわ。恋人にぴったりですわね」

「ちょっと待つんだ。甘いだけで判断するのは些か早計ではないだろうか! 可愛らしい色をしてるんだよ」

「なるほど、モンスターはあまり可愛い色をしているとはいえませんわね」

「そうだろうそうだろう?」

「では、マツ◯ヨオリジナルのにしますわよ。蛍光色ピンクはとってもキュートですの」

「いや結局それもエナドリ!!!!」



 やけにエナジードリンクの品揃えのいい冷蔵庫に茂木恋は驚きを隠せない。

 冷蔵庫の中身は有栖川絵美里が用意したといっていたが、何を隠そう彼女はエナジードリンク愛飲家だった。

 あまり飲みすぎると身体に良くないので真似はしないように。


 有栖川絵美里と一緒にエナジードリンクを飲みつつ、茂木恋は話題を変えた。


「ところで絵美里ちゃん、俺はいつになったら解放されるの?」

「最初に言いましたわ。私を好きになるまでですわよ」

「んな無茶な……でも家の人が心配しちゃうからさ連絡だけさせてくれない?」

「そんなこと言って、助けを呼ぶのは分かっていますわ。心配しなくても、お母さまには私の家にお泊まりしていると伝えていますわ」

「母さんまで丸め込まれているのか……」


 茂木恋の母は丸め込まれやすかった。

 藤田奈緒の件もあって、彼女への信頼は地に落ちていた。

 水上かえでの両親が彼女を心配しないことを問題視していたが、茂木家もよっぽどである。


「レンは何も心配する必要はありませんわ。全部、私の方で都合を合わせておきますのよ。安心して、私のことを好きになればいいですわ」

「そんな突然好きになれって言われてもさ……絵美里ちゃんはどうして俺のことを好きになったの?」

「そんなの決まっていますわ。レンがずっと私に構ってくれたからですの。だから私はレンのものですし、レンは私のものなのですわ」

「それは……」


 有栖川絵美里は即答し、茂木恋は口籠る。

 茂木恋は彼女のいうことに心当たりがあった。

 彼が彼女に構っていたのは当然のことであったのだから。


 茂木恋にとって『みりん』という男の存在は特別であった。

 彼がスマホを親に買ってもらい、初めてできた顔も知らない友人。

 インターネットでの身の振る舞い方を教えてくれたのは彼であり、学校だけでは知ることができなかった面白いことを教えてくれたのも彼。

 彼の中では年齢が離れた兄貴分──それがみりんという男だった。


「それよりレン、今日は12時から『刀男子』の7話ですわよ! 私、今から待ちきれませんわ!」

「あ、そういえばみりんさん毎週実況してたね。刀男子はどちらかといえば女の子向けコンテンツだし、そこで性別を疑うべきだったか……」

「もし疑われたら『俺の奥さんの趣味なんだよね。それで俺も一緒に観てる』と返しますわ」

「それ言われたら絶対騙されてたよ」


 負けである。

 既婚者設定の牙城を崩すことは茂木恋には少々難しかった。


「刀男子ってかなり人気だよね。最近ゲームの方がどうなってるのかは知らないけど、舞台化云々の話は男の俺でも耳にするよ」

「女子向けコンテンツは舞台化しがちですわね。女子オタクは古来より舞台が好きなのですわ」

「この話って結構興味深いかもしれないよ。比較対象として『男子はライブが好き』とか言おうと思ったんだけど、よくよく考えたら女子もライブ好きだもんね。ジャ◯ーズとかはまさにそうだし、最近だと男子声優のライブも意欲的に行われてるでしょ?」

「言われてみればそうですわね。当たり前のように享受してきたこの舞台という展開は案外特殊なものなのかもしれませんわ。男子であるレンにも是非この楽しさを感じて欲しいですの」

「まあ、俺も本来の楽しみ方じゃないだろうけど、舞台を楽しむことはあるよ」

「カナダレモンですわね」

「ストレートにいえば、そう言うことだね。なんか変な楽しみ方してごめんね」

「いいのですわ。かく言う私もそちらからこの世界に入りましたもの。ニコニコは最高の動画配信サイトですわ」


 茂木恋は深く深く肯定した。

 オタクは大抵、コメントが動画に流れる動画配信サイトが好きなのだ。


 そこで有栖川絵美里はパチンと指を鳴らす。

 扉が開き、黒服の男たちが何やらテレビ周りに機材をセッティングし始める。


 突然のことなので茂木恋の頭は追いつかない。

 こんらんの状態異常をかけられている可能性がある。


「ええっと、絵美里ちゃんこれは……?」

「話の流れで察していただきたいですわ。12時まで3時間ありますのよ? それだけあればアニメ6話分観れますわ。刀男子の最新話に追いつきますわよ!」

「ええええ!!! 俺も見るの!?」

「そのための円盤ですわ」


 有栖川絵美里はどこからともなく──というか冷蔵庫の隣の籠に山積みにされていたコンソメ味のポテトチップスを取り出した。

 1枚のポテチを有栖川絵美里にあーんされ、茂木恋は口を開けてそれを受け入れた。

 満足げな彼女は、茂木恋の隣にぴったりくっついて座ると、刀男子のBlu-rayを再生する。


 雰囲気を出すためか、有栖川絵美里は部屋の明かりを暗くした。

 ホテルの一室はさながら映画館。

 ポップコーンとコーラではなく、ポテチとエナジードリンクであるが、茂木恋は普段家でこんなことはしたことがないので、自分が誘拐されていると言うことを一旦忘れてこの状況を楽しんでしまっているのだった。



 *


 およそ3時間半の刀男子視聴を終え、有栖川絵美里は部屋の明かりをつけた。

 テーブルの上には、ポテトチップスの空袋が3つ、エナジードリンクの空き缶が5本並べられていた。アニメ視聴にはお菓子がつきものなのである。

 最新話を観て興奮冷めやらぬ有栖川絵美里は、声のトーンを若干高くして言った。


「レン! どうでしたの? 案外、面白かったでしょう?」

「うん、そうだね。男ばっかりだから絶対合わないとか思ってたけど、そんなことなかったよ。それと、1話ごとにオチがあるからすごく観やすかったと思う」

「それはよかったですわ! 恋人と趣味を共有できるのはとても素敵なことですの」

「付き合ってないけどね」


 有栖川絵美里彼の腕に顔を擦りつけラブラブ空間を生成するが、茂木恋はなんともつれない様子だった。


 アニメが見終わったところで、茂木恋は自然とあくびが出てしまった。

 気づけば時刻はもう12時半。


 普段であればもう寝る時間である。

 茂木恋は深夜アニメを録画して観る派の人間だったのだ。


「絵美里ちゃん、俺もう眠くなってきちゃったよ。明日は学校だしもう寝よう」

「学校……? そういえば月曜日からは学校でしたわね。でも心配入りませんわ。今日はたくさん夜更かししますわよ」

「いやいや、絵美里ちゃんも学校あるんでしょ。家に帰らずこっちに帰るからさ、明日は学校に行かせてよ」


 自然な流れで軟禁状態から逃れようとする茂木恋。

 もちろん家に学校に行ったら即、家に助けを求めるつもりである。

 警察に届けを出すのが正しい判断のように思えるが、相手があの『みりん』と言うことを知り、そこまで大ごとにしたくないという気持ちが彼にはあった。


 彼の提案を聞いて、急に有栖川絵美里は口籠る。


「ん? どうかしたの?」

「…………レンは学校に行きたいですの?」

「それはまあ。将来のためにも勉強しないといけないし、それに友達にも会いたいし。絵美里ちゃんは学校にもしかして友達がいないの?」


 ここぞとばかりに茂木恋は問いかける。

 リアルに友達がいないからこそ、ネット上の友達に依存しているという可能性は十分考えられる。

 もしそうであれば、茂木恋の恋愛偏差値を持ってすれば彼女を言いくるめて──よくいえば彼女の心を満足させて脱出ができると確信していた。


 しかし、金髪ロリの少女は茂木恋の想像を上回る回答をするのだった。

 有栖川絵美里はベッドから降りると彼に背を向けて言う。


「友達も何も、私は学校に行っていませんわ。学校なんて、行く意味がありませんの」

「……それって不登校ってこと?」

「違いますわ。学校に籍を置いていないと言うことですの」

「籍を置いてない……?」


 茂木恋の頭の中で2つの可能性が消え、2つの可能性が浮かぶ。

 消えた可能性としては、彼女が小学生または中学生ということ。

 浮上した可能性の一つは、有栖川絵美里が大学受験に落ちた浪人生だということ。

 そしてもう一つは……


「まさか、高校に通ってないのか……? 受験に失敗……」

「そもそも受験なんてしていませんわ。学校なんて行っても行かなくても……将来は変わりませんもの。少し、しらけてしまいましたわ。それではご機嫌よう。また明日、会いにきますわ」


 そうして金髪の少女は部屋を出る。

 部屋には食べ終わったお菓子とエナジードリンクのゴミ、そして茂木恋が残された。


 茂木恋は普通の人間である。

 普通に生まれ、普通に育ち、普通にここまで生きてきた。

 大多数の人間が通るレールの上から外れることなく生きてきた彼にとって、高校に通っていない人間との邂逅は初めての体験だった。

 頭の中がグシャグシャになるのを感じながら、茂木恋はベッドに大の字で横になるのであった。

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