第5話 『実家』突撃?

 日曜日の朝というものは、大抵の高校生にとって重要な時間である。

 一つ、幼稚園、小学生、中学生と見続けてきた戦隊モノや魔法少女モノの放送を楽しむ時間。

 二つ、連休最後の休日に惰眠を貪り、月曜日から始まる学校に向けて英気を養う時間。

 高校生のニチアサの時間の使い方はおおよそこれら2種類のタイプに分類される。


 茂木恋は後者である。


 しかし、珍しいことに今日の茂木恋はやけに早起きであった。

 起床時間は9時。

 いつもであれば11時に目覚め、ボケッとして午前中を消化する彼にとってこれは明らかな異常事態であった。

 部屋が暑くて寝苦しかったわけでもない。

 見たい番組があったわけではない。


 普段寝坊助な奴が勝手に起きれるわけがないのだ。寝坊助の体はそのようにできていない。

 では何故かと言われれば、その答えは簡単であろう。


 誰かが起こしに来たからだ。


「弟くん、もう朝だゾ♪ 早くしないと、お姉ちゃんの手作り朝ご飯が冷めちゃうゾ♪」


 早起きなエセお姉ちゃん──藤田奈緒は、茂木恋の寝込みを襲うように、エプロン姿でそう言った。



 *


 ────茂木家 リビング


 端的に言えば、茂木家では冬と夏が同時に来てしまったようであった。


「そうなんですよね〜! 弟くんったら、朝はお寝坊さんなんだから。でも、そういうところもお姉ちゃんは可愛いって思ってるんだゾ♪」

「あら、奈緒ちゃん良くわかってるじゃない! 恋はちょっと抜けてるところがあるのよ、こう見えても! その良さが分かるとは、奈緒ちゃんも大人ねぇ」

「弟くんのお姉ちゃんですから♪」


 一方は真夏の日のように熱を持って茂木恋への話題で盛り上がっていた。

 藤田奈緒と茂木恋の母の波長がどうにも合ってしまいこのような事態に発展している。


「お兄ちゃん、あの人本当に誰なの? 普通に不法侵入じゃないのこれ」

「いや、母さんが中に入れてるから不法侵入にはならない。あと彼女は俺のバイト先の先輩だ」

「じゃあどうしてここにいるの?」

「それは俺にもわからない」

「何それ、ヤバい人じゃん」

「そうだ、ヤバい人だ」


 ヤバい人である。

 茂木恋とその妹──茂木鈴もてぎりんはコソコソと話しながら、母と異邦人の団欒を冷ややかな目で見ていた。

 それに加え、朝だというのに突然の来客で髪を整えて鈴のついたゴムで髪を2つ縛る羽目になった茂木鈴は少々不機嫌目であった。


 こういうわけで、茂木家のリビングは現在食卓を囲み暖気と寒気がぶつかり合っていた。

 このままでは積乱雲が発生し、雨が降り出してしまうだろう。


「お兄ちゃん、それにあの人お兄ちゃんのこと『弟くん』とか呼んでるんだけど、いつの間にお姉ちゃんができたの?」

「先日、呼び出されて弟にするって言われてそれから呼び方とか強制されてる」

「何それ、お兄ちゃんも彼女のことお姉ちゃんとか呼んでるの?」

「そうだ」

「何それ、ヤバイ人じゃん」

「そうだ、ヤバイ人だ。お前のお兄ちゃんはヤバい人になっちゃったんだよ!」

「け、警察を呼ぼう」

「夜勤明けの父さんをもっと労ってくれ」


 茂木恋の父は警察官である。

 夜勤明けで日曜は毎週この様であった。


 今この空間は、法の執行を司る父がいないことにより完全なる無法地帯なのであった。

 それを知りながら午前中に押しかけた藤田奈緒はまさに空き巣に近い思考の持ち主であった。


「それにしても、恋の女友達が家に来るなんて何年ぶりかねぇ。もう3年も家に女の子なんて呼んでないんじゃない?」

「奈緒さんのことは別に俺が呼んだわけじゃあ」

「お姉ちゃん……でしょ?」

「……お姉ちゃんのことは俺が呼んだわけじゃないだろ。お姉ちゃんが勝手に家に押しかけただけだよ」

「あら、恋ったら冷たいのねぇ」

「それよりお母さん、その昔に女の子を呼んだって話、聞かせてください!」

「あら〜いいわよ。幼稚園の頃からの付き合いでね、家も近いのよ」

「ちょっと母さん!」


 茂木恋は必死に母を止めようとする。

 しかし、秘密話を握った主婦の口は、戸をかけるどころか、全開にした上でのぼりを立ててしまうくらいのセキュリティの緩さであるため、彼の抵抗は一切の無駄であった。

 隣の茂木鈴も母を止める様子はなく、彼の力では本当にどうしようもなかった。


桃井美海ももいみみちゃんって言ってね、小さくて可愛い恋の……妹分みたいな子がいるのよ。呼び方も『恋にぃ』だったわよね? あっ、こっちは本物の妹よ」

「よろしくね、茂木鈴ちゃん♪ 私のことは気軽にお姉ちゃんって呼んでいいからね? だって弟くんの妹だもん♪」

「……よ、よろしくお願いします」


 圧倒的なお姉ちゃん力の前に、茂木鈴は頷くことしかできなかった。

 そして、俯いたまま茂木恋の足を突いた。


「なんで私の名前知ってるの!」

「そんなの知らん! 俺も知りたいくらいだよ!」


 そんなやり取りがあることなど梅雨知らず、茂木恋の母はペチャコラとお喋りな口を動かした。


「でも何年生の頃かしらねぇ? 小5くらいかしら? その頃からなんだか疎遠になってねぇ……以来ウチにも遊びに来ないのよ」

「へー、そうなんだ! 弟くんに妹が2人も! これじゃあお姉ちゃん、一気にお姉ちゃんパワーが上がっちゃうゾ♪」

「マルチ商法みたいだな……」


 弟は姉に力を与える。妹は弟に力を与える。

 こうして姉はどんどんと力を高めていくのであろう。


「ねえねえ弟くん。今度はその美海ちゃんもお家に呼んで欲しいな。弟くんのお友達なんでしょ? だったらお姉ちゃんの妹だもん」

「それは……嫌です」


 茂木恋は頑なに彼女の誘いを断った。

 顔色を悪くする彼に対して、それ以上の追求をすることは誰もできなかった。


 背は小さくも出るとこは出ており、目は丸く輝き、小顔でプリティ。

 いわゆる学園のアイドルであった桃井美海という桃色少女は、しかし茂木恋にとって大変なウィークポイントであった。

 だからこそ、茂木恋は中学では彼女を避けて、避けて、避けて……避け続けた。

 そして彼女こそ────茂木恋が高校で彼女を作ることに躍起になった原因であるのだが、その話はまた別の機会としよう。


 空気の悪くなったリビングには、俯く茂木恋、心配する家族たち、そして目を光らせる藤田奈緒の姿があった。



 *


 ────午後3時 茂木恋の自室


 個室に年頃の男女が2人。

 気を利かせてか両親はすでに買い物に出かけており、彼らを邪魔するものは誰もいない。

 この状況で間違いが起きないはずもなく……


「嘘……だろ。こんなの間違ってる……」

「やったー! お姉ちゃん、また勝っちゃった♪ 反転空後が使えないならパルテナは使わない方がいいって、お姉ちゃんは思うゾ♪」

「ぐぬぬ……指摘が的確すぎる……まさかこんなにお姉ちゃんがスマブラ強かったなんて」


 テレビには、茂木恋の操る女神様のキャラクターがあっけなく吹き飛ばされる様が映っていてた。

 これで茂木恋は5連敗である。

 茂木恋はこれでもスマブラは結構自信があった。

 中学校の頃では友達の中では強い方だったのだ。

 しかし、それは素人集団の中での『強かった』である。

 実際のところ、藤田奈緒の実力はすでに初心者の域を逸脱しており、いわゆるガチ勢と呼ばれるレベルであった。


「弟くん、腕が落ちたんじゃない? 前はお姉ちゃんと五分ぐらいだったのに! 今日からお姉ちゃんと一緒に特訓しようね♪」

「え、俺とお姉ちゃんって今日初めてスマブラしたんじゃ……」

「えー! 弟くん忘れちゃったの? たくさん一緒に遊んだじゃない! そんなに負けたのがショックだったのかな♪ でも……だいじょーぶ!」

「う、うわあああああ!!!!」


 藤田奈緒は両手を広げて茂木恋を抱擁する。

 その豊満な胸の谷間に顔を埋められ、呼吸を制限される茂木恋。

 両手をバタバタとさせるが、全くもって為す術ない。


「今夜はお姉ちゃんと一緒に遊ぼうね♪ ずーっと一緒にいれば、昔の感覚が戻るかもしれないよ! お姉ちゃんに全部お任せ♪」

「そんな昔の感覚って! 俺そんなに腕が落ちたかな……」

「なーに、なーに! しょんぼりしてるのー? しょんぼりしてる弟くんも可愛いよ! ほれ〜うりうり〜!」

「ちょっと、お姉ちゃん! 当たってる! 当たってるから!」

「もー! そんなにお姉ちゃんのおっぱいが気になるの? もうレンくん・・・・もそんなお年頃か〜そういうところも大好きだゾ♪」


 藤田奈緒は、茂木恋の反応を全て好意的に受け取るらしく再び彼を抱く腕を強めた。

 男子高校生の彼にとって、女子の柔肌は毒であった。


「ねえ、お姉ちゃんのおっぱい、そんなに好き?」

「そ、それは…………」


 男子高校生は素直である。

 目は口程に物を言っていた。

 こら、チラチラ見るんじゃない茂木恋。

 そもそも、藤田奈緒のグラビアアイドル顔負けのスタイルが嫌いという男子がいればそれはもう偽証罪で確定であろう。

 刑法はグラビアアイドルを守るために存在しているのだ。


 自分を意識していることに気分を良くした藤田奈緒は、彼の耳元に口を寄せる。


「そ・れ・じゃ・あ…………久しぶりに一緒にお風呂入っちゃおうか?」

「お、お、お、お、お風呂!?!?!?」

「あっ、ビクってした♪ 耳元で囁かれるの、レンくん苦手だったよね〜」

「ちょっと、お姉ちゃんくすぐったい……」

「レンくん可愛いー! もーお姉ちゃん我慢できないよ♪ お耳に……チュー……」

「お兄ちゃん何してるの!!!!」


 バンッ!

 勢いよく扉が開かれる。


 扉の前には、茂木鈴──彼の妹がハエ叩きを両手で構えていた。

 いわゆるサンライズ立ちである。


「あのですね! 藤田奈緒さんでしたっけ!? いくら高校生でも、そういうのはまだ……早いというか……なんというか……私が1番最初にというか……」

「1番最初?」

「コホンっ! 今のは忘れてください。とにかく! 妹が家にいるのに不純異性交遊するのは絶対ダメですから!」

「もー、どうして邪魔するのー? 部外者が姉弟の関係に口出し……ってあれ? ええっと……そうだった。鈴ちゃんは弟くんの妹だったね。ごめんね。うるさかった?」


 弟くん直通の暴走列車と化した藤田奈緒は、真の妹の言葉によって正気を取り戻す。

 一応、他人の家に上がっている意識はあるらしく、近所迷惑の配慮などをしてみせた。

 急に態度を変えた藤田奈緒に戸惑いを隠せない茂木鈴は、一歩後退りをした。


「うるさいとかそういう問題じゃなくて……」

「まあ、鈴! ちょっとじゃれてただけだから! 鈴が想像してるような、いやらしいことはするつもりないから安心してくれ」

「べ、べ、べ、別にえっちなことなんてこれっぽっちも考えてないんだからねっ!?」


 舌を出し、精一杯強がって見せる。

 茂木鈴は赤面しそのままバタンと扉を閉めると、自室へと戻って行ってしまった。

 残されたお姉ちゃんは茂木恋の抱擁を一度解く。

 思えば最近、白雪有紗の件もあり、茂木恋は女の子に抱擁されてばかりであった。


「ごめんね、弟くん。鈴ちゃんに勘違いされちゃったね」

「い、いえ。妹はちょっと先走っちゃうところがあるので。それより、さっき俺のことレンくんって……呼び方変えたんですか?」

「お姉ちゃんそんなこと言ってた? 弟くんは弟くんだよ♪ お姉ちゃんのことはお姉ちゃん♪ それじゃあ次はどのゲームをして遊ぼうか! お姉ちゃんはどのゲームでも負けないよ〜」


 満面のシスタースマイルを向ける藤田奈緒。

 その日は結局、スマブラやらマリカーやらで遊んだ後、グラブルでフレンドになって彼女は家を去っていくのであった。


 しかし、茂木恋は気付いていなかったのである。

 藤田奈緒による日常の侵略は、今日さらにアップデートされてしまったことを。

 茂木恋の部屋の隅でキラリと何かが輝くのを、彼は気にも留めなかった。

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