第12話 『ヒント』黙秘?
────藤田奈緒の家 リビング
逃げるようにバスルームから脱出した茂木恋は急いで服を着るとリビングへと向かう。
まさか睡眠薬を使って混浴をしてくるとは誰にも予想ができなかっただろう。
どれくらいの時間眠っていたかは彼自身知るところではないが、仕事の時間は終わったためリビングには店長である彼のお父さんがいるはずである。
彼はそれを期待して階段を駆け上がった。
鬼気迫る表情をしていた彼を見て、キッチンで揚げ物をしていた父がその手を止めた。
ボサボサの茶髪に丸いメガネ。
藤田奈緒の父はいかにも本屋の店長と言った容姿をしていた。
「茂木くん、奈緒が迷惑をかけたね」
「店長! は、はい……もう大変でしたよ……」
「だが許してやってほしい。奈緒もああ見えて結構繊細なんだ」
「そういえば」
茂木恋はそこであることを思い出す。
親は口が軽い云々の話である。
「奈緒さんが俺のことを『弟くん』と呼ぶのですけど、その理由って心当たりありますか?」
「申し訳ない。心当たりはあるが、それは詳しく話せないんだ」
「そんな……」
感情のわかりやすい茂木恋は残念そうに肩を落とした。
「あれっ……田中に話を振った時もこんな対応をされた気が……確か奈緒さんと田中は同じ学校だったような」
「田中くんというのはもしかして田中太郎くんのことかな?」
「はい。もしかしてご存知なんですか?」
「ああ、彼は中学校の頃有名人だったからね。まるでギャグ漫画から飛び出してきたかのような人と聞いているよ」
「まあそんなやつですね」
田中太郎が遠くでくしゃみをした。
彼の名前が出されたことで、藤田奈緒の父は顎に手を当て思案する。
容姿も相まって、名探偵のような雰囲気を放っていた。
「それならば、少しは話してもいいかもしれない。情報の出所が特定できないはずだ」
「情報の出所?」
「こっちの話だよ。私から言えることは1つだけだ。ヒントを1つあげよう」
藤田奈緒の父はメモを一枚破くと、そこにスラスラとペンを走らせる。
メモを二つ折りにして茂木恋に渡した。
メモを開いてみるとそこには『5年前の4月11日』と書かれていた。
内容に全く覚えがなかったため茂木恋は首を傾げた。
「えっと……これは?」
「ヒントだよ。詳しくは言えないし、言いたくないんだ」
「それはどういう……」
「私は結局自分の身の安心を選んでしまうということさ。ただ、この程度のヒントでたどり着くのであれば、私がヒントを与えずとも君はきっとどこかで真実にたどり着いたのだと思う。真実を得られなければ現状の変化はなく、真実を得たとしてもそれはそれで私としては嬉しいところではある。つまりは塞を投げたということだね。『賽は投げられた』という言葉があるが、それとは違うよ。確かに事は既に始まってしまっているが、かと言って考える余裕がないような問題ではないからね」
「尚更わからない……」
意味深な彼の言葉を消化しようと考えるが、なんとも捉えようのないそれに茂木恋は苦戦していた。
「そうそう、そのメモは絶対に無くさないでほしい。そして、内容を他人に口外しないでほしい。きっと君によくないことが起きるだろうから」
「田中にならいいですか?」
「田中くんか……それは君に任せるよ。彼が本当に信用に足りる人間だと思うのならば、話してもいいと思う。ただ、私たちの名前は出さないでね」
「……分かりました。ありがとうございます」
茂木恋は胸ポケットにメモを仕舞ってお辞儀をした。
そうしたところで、バタバタと何やら階段が騒がしい。
慌てん坊のお姉ちゃんの登場である。
「弟くん〜!!!! ごめんね、お姉ちゃんが悪かったからぁ〜!」
「お姉ちゃん……」
「なんだか弟くんが冷たいよぉ! もしかしてお姉ちゃんの事嫌いになっちゃった!?」
「嫌いにはなりませんよ。ただ、ちょっと反省はして欲しいかなって思います」
「やっぱり弟くんが冷たいよぉ〜〜〜〜!!!!」
藤田奈緒がギュッと茂木恋を抱きしめて頭をナデナデする。
そういうところが茂木恋から避けられる理由なのだが、お姉ちゃんパワーは万物の根源であることを信じてやまない彼女は手を止める様子がない。
風呂上りの女の子の匂いを直で食らって頭に血がのぼった茂木恋は再び意識を遠い空の彼方へと飛ばすのであった。
*
────藤田奈緒の家 寝室
「どうしてこうなったんだ」
夕食を食べ終わりスマブラでしばらく連敗した後、なんやかんやあって就寝の時間となった。
ところで就寝時に抱き枕というものを使って寝る人がいるだろう。
抱き枕を使う事で精神的に安心感が得られたり、寝るときの体勢が整ったりと、安眠につながることも多い。
藤田奈緒は根っからの抱き枕ユーザーであった。
そして今日は、茂木恋という弟くんが家に来ている。
彼を使わないという選択肢は彼女にはなかったのである。
「弟くんの頭いい匂いだよ! お姉ちゃんとお揃いの匂いだね♪」
「あの……お姉ちゃん?」
「どうしたの?」
「俺を抱くのをやめてもらっても……」
「ん? 何か言った? よく聞こえなかったからもう一回言って♪」
「俺を抱き枕にするのはやめて……」
「ん? 何か言った? よく聞こえなかったからもう一回言って♪」
「俺はドラクエをしているのか……?」
しまった、無限ループだ!
YESを選ばないと先に進めない王様のNPCの如き物言いのお姉ちゃんに茂木恋は諦める。
彼女の布団に入った時点で、彼はもう逃げることができないのであった。
それはさながら蜘蛛の巣のよう。
年頃の男女が2人という点では、蜘蛛の巣というより愛の巣に近いが、愛とは双方向のものであるため、やはり状況としては蜘蛛の巣の方が近かった。
「はあ……弟くんを抱いてると、お姉ちゃんすっごく幸せな気分になっちゃうかも♪ 弟くんもお姉ちゃんと寝れて幸せ?」
「ま、まあ……幸せです」
「んんんん〜!!!! 弟くん大好きっ♪ ちゅーしよ、ちゅう♪」
唇を尖らせて迫る藤田奈緒。
まるでキツツキのように迫る連続のキスに対し、茂木恋はどうにかして唇同士のキスを回避した。
とは言え茂木恋のファーストキスはすでに奪われている。
今更なぜ口と口でのキスを避けるのかという話であるが、茂木恋は純情可憐な乙女のハートを持っているためそこら辺は意識していた。
余談であるが、聖心高校のミスコンでは出場者が逃げた場合推薦者が出るという暗黙のルールが存在している。
もしあの時白雪有紗が逃げたとしても純情可憐な乙女ハートを持つ茂木恋であれば優勝は固かったであろう。
茂木恋が自分の『美しさ』と対峙してどうなるのかという話であるが、それは置いておくとしよう。
「はあ……お姉ちゃん幸せだよ。弟くんと一緒にお風呂に入って、ご飯も食べて、最後に一緒にお布団まで入れて」
「最後のは家族でもしないようなイベントですけどね」
「そうかなぁ? お姉ちゃんのうちでは姉弟は一緒の布団に入るのが当然だったけど?」
「当然だった……? お姉ちゃん、弟がいるんですか?」
「…………ん? 弟くん何か言った? よく聞こえなかったよ♪」
少しの間を開けて、藤田奈緒は笑いかける。
「いや、弟がいるんですか?」
「うんいるよ〜! ほら今…………目の前に♪ ぎゅ〜!」
「ちょっと! 抱きつかないでください」
「そうだ、弟くんずっと敬語で話すよね。私たちは姉弟なんだから、そういうのは無しだゾ♪ 今度からはもっとフレンドリーに話していいからね」
「じゃ、じゃあ……お姉ちゃん暑いから離れてほしい」
「それはダメ〜! お姉ちゃんと弟くんはこうやってくっついて寝るのが常識なんだよ♪ そんなに暑いなら冷房入れるね♪」
ピピッと冷房をつけて自信げな表情を浮かべる。
冷房を入れた事で今度は少し肌寒い。
茂木恋は仕方ないと彼女の抱擁を受け入れた。
藤田奈緒の背中に腕を回すと、彼女の体がビクンと跳ねる。
攻撃力に特化したお姉ちゃんは防御力はあまり高くないのだ。
それが少しおかしくて、意地悪気分で茂木恋は彼女を抱く腕の力を強めた。
お互いの胸がぶつかり合い、熱が溶け合う。
気持ちの強さで言えば、体温の高さで言えば、熱力学的平衡で言えば、茂木恋に彼女の熱が注がれていくというのが正しいのかもしれない。
「弟くん、添い寝音声とか好きだよね? 耳元でいっぱい吐息かけてあげるよ♪」
「な、な、な、何故それを……! 誰にも言ったことないのに……」
「お姉ちゃんには全部お見通しなんだゾ♪」
新しいストーカー語録を携えて藤田奈緒は弟くんの恥ずかしい趣味を暴露する。
茂木恋は夜寝るときその手の音声をよく聞くのである(2回目)が、直接女の子にそれを言われるのがあまりに地獄であった。
顔を真っ赤にした茂木恋は俯き加減になるが、頭を下げたことによって、彼女のパジャマの胸元からのぞく肌色の膨らみを意識してしまいかえって顔を赤くした。
「弟くんは恥ずかしがり屋さんだね。いいんだよ、お姉ちゃんにはそういう恥ずかしいことをしても。だって姉弟なんだから」
藤田奈緒は再び彼を強く抱きしめ、耳元で吐息を吹きかけた。
初めはその刺激にビクッと身体をのけぞらせるが、すぐにそれも慣れてくる。
その暖かさは、決して悪いものじゃないなと茂木恋は瞳を閉じようとした。
そのときだった、彼の目にあるものが映り込む。
畳の部屋の隅に横たわる細長いクッション。
明かりを消していると言えど月明かりで何も見えないほどの暗さではない。
それは間違いなく抱き枕であった。
「(あれは……そう言えば俺も小学校の頃、ああいうの作ったな。家庭科の時間で。まあ、俺は手提げ鞄だったけど)」
目を閉じて懐かしい思い出に浸る茂木恋。
しかし、考えれば考えるほど、藤田奈緒の部屋に置かれたそれは異彩を放っていたのだ。
「(龍柄の抱き枕……あれって男子が選ぶタイプのやつだよな。奈緒さんもしかして、小学校の頃は男性趣味だったのかな)」
ドラゴン柄の裁縫セット……いわゆるそれは『小学生陰キャ三種の神器』の1つであった。
もう1つはマリカーのヨッ◯ー。残り1つは諸説ある。ルイー◯の可能性もある。
何を隠そう茂木恋はドラゴンの裁縫セットを使っていた。
彼は今では彼女を作ろうと躍起になって女の子にちょっかいを出しまくっているが、根は陰の者なのである。
藤田奈緒が自分と同じ趣味を持っているのではないかと少し親近感が湧いてきた茂木恋は、身体的な距離だけでなく、精神的な距離まで彼女と近付くのであった。
*
────藤田書店 店先
「昨日はありがとうございました。晩ご飯だけじゃなくて、お泊まりまで」
「こーら、弟くん! ありがとうございました、じゃないでしょ?」
「あっ、昨日はありがとう。ご飯も美味しかったよ」
「そのお礼はお父さんに言わないといけないね♪ 今度はお姉ちゃんが腕によりをかけて晩ご飯を作ってあげるからねっ! 弟くんの好きな茶碗蒸し♪」
「ど、どうして俺の好物を……」
「弟くんのことならお姉ちゃんなんでも知ってるからだよ♪」
説明不要であろう。お姉ちゃんだからである。
もしかしたら、茂木恋の母親の可能性もあるかもしれない。
帰り支度を整え、いわゆる朝帰りを決め込む茂木恋。
帰り際、茂木恋はスマホがなっていることに気付いた。
ピロロン♪
「ん、母さんかな。心配した鈴かもしれないな。奈緒さんのことすごく警戒してたし…………って、これはっ……!!!!」
茂木恋は驚愕する。
スマホに送られてきたメールは家族のものではなく、いや、確かに家族のものも入っているのだが、問題はそこではなかった。
『茂木くん今日はマックに来ないの? 私寂しいよ』
『お兄ちゃん例のヤバい人の家にお泊まりってホント? 大丈夫? 薬盛られたりしてない?』
盛られてます。
『あれ? もしかしてメール届いてない?』
『検索してみたんだけど、メールは届いてなかったら自動返信があるみたいだね。ちょっとタイミングが悪かったのかな。ごめんね』
『ねえ、茂木くん生きてる? 犯罪に巻き込まれてたりしない?』
『お願い返信して。茂木くんがいなくなったら私これからどうすればいいの』
『辛いよ……お願い茂木くん……どこにも行かないで』
『心配だから警察に電話したの。でも全然取り合ってくれなかった。どうなってるの』
『もしかして警察もグルになって茂木くんを陥れようとしてる?』
『今すぐ茂木くんを開放しろ。別の市から警察を呼ぶ』
『許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない!』
『茂木くんごめんね。私弱くて……どうしても辛くて……せっかく茂木くんがブレスレット買ってくれたのに』
「添付ファイルがついてる……って、うわあああああああああ!?!?!?」
最後のメールに添付されていたファイルを開くと、茂木恋のスマホに血だらけの左腕がドアップで表示された。
赤い血は新鮮なものであることの証である。
リストカットをしてからすぐの画像を丁寧に送ってくれたのだろう。
メールの送り主は勿論、妹の一件を除いて水上かえで。
1日、いや夜の間スマホから目を離した途端にこの始末である。
ショッキングな画像を送られた茂木恋は気分が悪くなり、目眩に悩まされる。
白雪有紗編が終わり、さて次は藤田奈緒編だと言ったところで、もう1人のヒロイン水上かえでが『病み』に入ってしまった。
やはり彼の運命の歯車はどうしようもなくズレてしまっているのである。
しかし、それでも前に進んでいないわけではない。
凡人であれば投げ出してしまいそうな状況であるが、圧倒的恋愛偏差値の茂木恋は拳を握り締め逆境に立ち向かうのであった。
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