第10話 『美しさ』対峙?

 ────聖心高校 2階廊下


「ミミの言うことを聞かない悪い恋にぃにはお仕置きが必要だね」


 ピンク色の髪を戦慄わななかせ、桃井美海は一歩、また一歩と彼へと迫る。

 彼の身体はすでに全身アザだらけで、顔にも傷ができている。

 これ以上されては彼の身体が持たないだろう。

 もうダメだと、茂木恋が目を瞑ると、桃井美海は意外な行動をとるのだった。


 するりと滑り込むように彼の内に入った桃井美海は、顔を寄せるとそのまま彼の耳を甘噛みした。


「ぱくっ! えへへ……恋にぃ、昔から耳苦手だったよね〜?」

「おい、やめろ美海! くすぐったい!」

「えー? ダメだよぉ? だってこれはお仕置きなんだもん。ミミの舌で、恋にぃの耳の中舐めちゃうよ〜?」

「美海と耳で紛らわしいって……わあああああ!!!!」


 言葉の通り、彼女の小さく赤い舌が、茂木恋の耳の穴を舐めあげる。


 小さいがぷっくりとして柔らかな! 高1少女の! まだ誰にも侵されていない! ピュアな生舌が!

 同じく高1少年の! 母の耳かきすら拒むその耳を! そう! 舐めあげているのだ!


 エクスクラメーションマークで強調し、回りくどくしたが、簡単に言えばそれは愛撫であった。

 センシティブな内容になるのでイメージにはモザイクをかけておいて欲しい。


 耳から伝わる彼女の感触に、茂木恋は背筋がゾクゾクと震え、身体をくねらせた。


「ねえ、どうなのぉ? 恋にぃ、ちゃんとお仕置きになってるかなぁ?」

「なってる! お仕置きになってるから! もうやめてくれ」


 茂木恋は周囲を見てそう言った。

 ここは学内の廊下である。

 性に多感な年頃の少年少女が集うこの場所で、今日は文化祭で地域の人もいるこの場所で、前戯同然の行動をする男女がいれば、注目しないという方があまりに無茶であろう。


 直前の暴行の件もあり、茂木恋は必要以上に目立ってしまっていたのだ。

 彼はそれを避けたかった。もちろん、桃井美海からの耳なめからも解放されたかったのは確かであったが。


 嫌がる茂木恋を見て納得した桃井美海は、うんうんと首を縦に振る。

 側頭部のお団子からぴょこっと飛び出た髪も一緒に縦に揺れていた。



「じゃあもう許してあげる! でも、またミミのこと無視したりなんてしたら、今度はもっと恥ずかしいことしちゃうんだからね!」

「あ、ああ……悪かったな」

「それじゃあ、最後にいつものあれ見せて〜?」


 桃井美海は茂木恋のワイシャツをグイッと引き上げて、その肌を露わにする。

 彼の腹部は、先ほど桃井美海に殴られ内出血を起こし、青いアザがいくつかできていた。


 彼女はそれらをうっとりと眺め、人差し指でちょんちょんと突いた。

 痛がる彼の顔を見て、さらに彼女は興奮する。


「見て見て! 恋にぃにミミのマークつけちゃった! これがなくなるまでは、ミミたちはずっと友達なの! 恋にぃ、今度また一緒に遊ぼうね〜」


 桃井美海はそう台詞を残すと、嵐のように去っていった。


 思えば茂木恋は彼女のこれに、小学校の頃から悩まされていた。

 桃井美海は茂木恋に暴力を振るう。

 そして、自分で作ったアザを彼との繋がりと捉えてしまう──桃井美海は攻撃的な病みヒロインなのであった。


 嵐がさった後、茂木恋は肩を庇いながら歩き出した。


 *


 ────裏庭 うさぎ小屋前


 桃井美海との接触があった後、茂木恋は急いで白雪有紗を探した。

 彼女の逃げそうな場所はおおよそ特定できていたため、このうさぎ小屋まで一直線である。


 予想通り、白雪有紗はうさぎ小屋の前にあるコンクリート通路の上で体操座りをしていた。

 何をするでもなく、白雪有紗はただそのばで佇んでいた。


「白雪さん、見つけたよ」

「……恋様どうしてここが」

「文化祭の喧騒から逃れられて、白雪さんが行きそうな場所は、だいたい押さえてるつもりだよ」

「そう……でしたか。ちゃんと私のこと、見てくださっていたのですね」


 白雪有紗は立ち上がる。


「それなのに、申し訳ありません。せっかく、恋様が申し込んでくださったというのに」

「白雪さん、まだ間に合うよ。ミスコン・・・・の予選はまだ始まってない」



 その単語を聞いて、白雪有紗は再び顔を伏せた。


 茂木恋は白雪有紗のためを思い、彼女を聖心高校文化祭で開かれるミスコンに応募していた。


 引っ込み思案な白雪有紗をミスコンに出させるなど、なんて鬼畜の所業だと清掃委員から非難を浴びたが、それでも彼は我を通した。

 もちろん白雪有紗は彼の提案に反対したが、その気弱な性格ゆえに必死な説得で、ついには彼の応募したミスコンを受け入れたのだった。


 しかしながら、彼女はこんな有様である。

 後十数分経てばミスコンの予選が始まるというのに、彼女は着替えはおろか、会場にすら向かっていなかった。


「ですが、私にはやはり無理です。それに……恋様の用意してくださった衣装なのですが……」

「ああ、『マリー◯ーン もこもこピンクバニーガール』のことか」

「そうです。その、もこもこピンクバニーガールなのですが……少々露出が多すぎるのではと……」

「もこもこピンクバニーガールはあれで正しいよ。欠陥商品とかじゃないから安心して」

「もこもこピンクバニーガールの、あの状態が正規のものであるのは私も存じております。ですが、その……露出自体があまり喜ばしくないと……」

「肌は見せたくないの?」

「ええ……そうなのです」

「白雪さんの身体が穢れてるから?」


 茂木恋は核心を突く一言を告げる。

 白雪有紗の返答を待たずに、彼は続けた。


「バイ菌扱いされて、ヘラヘラ笑ってられる人間なんてこの世にいないんだよ。そんなことされたら、誰だって傷付く。もちろん、白雪さんだって」

「…………恋様」

「白雪さん、君は中学の頃バイ菌扱いされるいじめを受けていたんだと思う。きっと『白雪菌』とか呼ばれていたんだよね?」

「…………やめてください……恋様にまでそんなこと言われてしまったら私は……これからどうやって生きていけば……」

「話をずらさないで! 白雪さんにそういう過去があることは分かった。予想はついていた。だからこそ、俺はその服を用意した。そして、白雪さんは今日のミスコンに出なくちゃならない! その、露出の多い服で! 皆の前で堂々としなくちゃならないんだよ!」


 茂木恋は叫んだ。

 2人以外誰もいない裏庭に、彼の声が響く。

 しかし、白雪有紗の心には茂木恋の言葉は響かない。


「分かりません! どうしてなのですか。例え恋様のお願いと言えど、どうしても嫌なのです!」

「……そうやって、嫌だ嫌だと逃げるのか、白雪さん」

「……逃げる? 今の私のことを『逃げる』と評価するのですか……!」


 白雪有紗は激怒した。

 愛する茂木恋であっても、いじめを乗り越えた今の自分を否定することはあまりに残酷だと感じたのだ。


 白雪有紗は桃井美海に負けず劣らずの豪腕である。

 茂木恋の胸ぐらを掴み、彼を締め上げた。


「私だって頑張ってるの! 嫌なことがあった……汚いって罵られることがあった! 私の手に触れた人が菌を回すように鬼ごっこを始めることもあった! でも! でも……私は乗り越えたの!!!! 乗り越えて、こうして高校にはちゃんと通ってる! 私まだ欠席してないんだよ……? どうして? どうして茂木くんはこんな私のことを……逃げてるだなんていうの!!!!!」

「ああ、何度でも言ってやる! 白雪さんは逃げている! 高校入学時から今に至るまでずっと!」

「そんな……茂木くんでも言っていいことと悪いことがあるんだからああああ!!!!!」


 白雪有紗は胸ぐらを掴んだ腕を突き放す。

 後方宙返りを決めて腹から地面に叩きつけられる茂木恋。

 しかし、彼はこんなことではへこたれない。

 ここに来るまでに、もっと凶悪な暴力の被害を受けている。

 それに比べたら、白雪有紗の攻撃など、小動物の戯れに等しかった。


 茂木恋の制服はもうボロボロだった。

 しかし、それでも彼は立ち上がる。

 切れた唇から流れる血をシャツの裾で拭うと、白雪有紗の肩を掴んだ。


「白雪さん! 君は逃げてるんだよ! もっと自分自身と向き合わないとダメだ!」

「……私……自身と?」

「ああ、そうだよ! 白雪さん、毎朝ちゃんと鏡見てる?」

「それは……見ていますけど……」

「だったら鏡にこう問いかけるんだ。『この世で1番美しいのは誰?』ってさ。そうしたらそこに、世界で1番綺麗な女の子が映ってるはずだよ」

「……その話なら知っています。『白雪姫』ですよね。苗字が一緒ですが、それは私とは関係ありません」

「だからそれを逃げてるって言ってるんだよ!!!! いい加減気付け!!!!」


 再び茂木恋は叫ぶ。

 一捻りすればすぐに意識を落としてしまいそうなほどにボロボロの彼であったが、それでも白雪有紗は後退りを余儀なくされた。


「白雪さんはいい加減気付くべきだ! 認めるべきだ! 認識を改めるべきだ! 合っているのは自分で、間違っているのはあいつらなんだって!」

「茂木くんの言いたいことが、私には分からない!」

「だったら直接言ってやる! 白雪有紗は世界で1番綺麗な女の子なんだよ!!!!」

「な、な、な、何を……」

「その真っ白な髪は絹のように美しい! その赤い瞳もまるでルビーの宝石のよう。顔はニキビひとつなく本当に同じ同じ人間なのか疑いたくなるほどの透明度。爪の形も綺麗でよく揃っているし、手はサラサラとずっと触っていたくなる!」


 彼に容姿を誉め殺しされ白雪有紗の顔が赤くなる。

 間髪入れず、茂木恋は言葉を続けた。


「だから白雪さん。もう逃げるのはやめよう。君は可愛い、そして綺麗だ。それも世界で1番。だから『自分は汚い』だなんて、評価を歪める必要はない。自分の『美しさ』から目を背ける必要なないんだ。白雪さんは菌扱いされるような汚い人間じゃない。本当なら、こっちから触りに行きたい──そんなお姫様のように綺麗な女の子なんだよ」

「……そんなに褒められてしまったら……私……私は……!」

「ミスコンにでて優勝しよう。白雪さんだったら絶対できる。そうしたらきっと……白雪さんを汚いだなんて言う人間はいなくなるからさ。いじめをしていた奴らだって、考えを改めざるを得ない」

「…………恋様……!」


 ついに茂木恋の言葉が、彼女の心に響いた。

 白雪有紗は涙を流しながら彼の胸にしがみつく。

 茂木恋は優しく彼女の頭を撫でた。


 泣き止むのを見計らい、茂木恋は彼女をお姫様抱っこする。


「さあ行きましょう、お姫様。カボチャの馬車はありませんが、不服ですか?」

「……それはシンデレラですよ、恋様。私は、どちらかといえば白雪姫でございます」

「あれっ、白雪姫って馬車とか出てきたっけ?」

「七人のこびとが出てきます。こびとが眠った白雪姫を運ぶのです。そして……」


 白雪有紗は抱えられながら、茂木恋の顔に手を添える。

 そして、唇を重ねた。


「王子様のキスで白雪姫は目を覚ますのです。ちょうど、このような具合に」

「白雪さん……今の白雪さん、とっても綺麗だよ」


 互いに顔を赤くする2人。

 こうして白雪有紗は時間ギリギリにミスコン会場へと辿り着いた。


 穢れた視界が、一気に晴れ渡る。

 今日の白雪有紗はどうしようもなく美しく、彼女を優勝と認めないものは誰1人としていなかったのだった。


 優勝者に贈られるタスキをして、バニーガール姿の白雪有紗はここ数年で1番の笑みを浮かべていた。



 *


 ────放課後 特別棟トイレ


 文化祭が終わり、聖心高校では振替休日で月曜日が休みになった。

 あの小っ恥ずかしいイベントを終えた茂木恋と白雪有紗であるが、まともな精神性を持っていれば、顔を合わせるのも恥ずかしいというものであろう。

 実際茂木恋は、本日の登校が億劫であった。

 しかし、メンタルをおかしくした例の少女は感覚が人とズレているというか、肝が座っているというか、吹っ切れたというか、いつも通り、もしくはいつも以上に彼を信仰していた。


「嗚呼…………恋様……好き……大好き…………クンクン……体育があった日の恋様の豊潤な匂い……最高でございます。恋様……恋様……愛しています……ここで……1人でしてもよろしいでしょうか?」

「よくなああああい!!!!」

「恋様、ここは女子トイレでございます。あまり大声を出しては誰かが気付いてしまうかもしれません」

「だったら女子トイレに連れ込まないでくれ……!」

「そういうわけにはいきません。学内で2人っきりになれる場所は限られていますから」


 白雪有紗はそういうと、再び茂木恋の胸に顔を擦り付ける仕事を続けた。

 時給900円ほどであるが、職場環境は良好で……将来的には福利厚生もバッチリである。


「というか白雪さん、中学の頃のトラウマはもう解消したってことで良いんだよね?」

「はい。ミスコンの一件で、私は変われました。中学生の頃の悪夢を毎晩見ていましたが、文化祭の日からは見ていません」

「それは本当に良かった。でも、だったらもう俺に依存しなくても良いんじゃないの? 白雪さんが綺麗だって言ってくれる人だってたくさんいるでしょ?」

「それはもう。ほら、これを見てください、恋様。ラブレターをもらってしまいました」


 白雪有紗はポケットからハートのシールで封をされた手紙を取り出した。


「うわ、本当だ。呼び出しされてたりするんじゃないの?」

「はい。実は今日放課後呼び出されていました」

「えっ!? じゃあ今ここでイチャイチャしてたらダメなんじゃ……」

「もう、恋様は鈍感であらせられますね。これが私の答えなのです。後で手紙のお返事は書きますが、私には恋様がいるのですから」


 茂木恋を抱きしめる腕が強まる。

 彼女は顔を上げると頬を赤く染め、恥ずかしそうに笑みを浮かべた。


「愛しています、恋様。恋様は私を世界で1番綺麗だと言ってくれました。ならば、私は世界で1番恋様を愛しています。これまでも、これからも……それは変わりませんからね」


 かくして崇拝系の病み少女──白雪有紗は己の病みを克服したかと思われたが、恋へのアタックはこれまで通り続いているようであった。

 しかしながら、白雪有紗が変わったことは事実である。

 彼女が茂木恋を愛する気持ちは、文化祭の前後では全く異なっている。

 今の方が、より彼を愛していると言えるであろう。


 より強い愛情を向けられた茂木恋は、女子トイレに拘束する彼女をどうにも責める気持ちになれないのであった。

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