第19話 『ホテル』誘拐?

 目が覚めると、茂木恋は見知らぬ部屋にいた。

 大きなベッドが1つ、壁沿いにはテーブルがあり、その反対側にはテレビが設置されている。

 内装を見るに、ここがどこかのホテルであると茂木恋は結論づけた。

 不意に、頭痛が走る。

 その痛みとともに、茂木恋は意識を失う前に何が起きたのかを思い出した。


「そうだ……俺、コンビニの前で知らない人に襲われて……そういえば絵美里ちゃんは!?」


 焦った表情で彼女を探す茂木恋。

 ベッドから降りて、室内を散策してみると、お風呂とトイレが一体型になっていた。

 完全にホテルだ。

 それからベッドの下など色々と探してはみたが、室内に有栖川絵美里の姿は見当たらない。


 そうこうしている内に、ガチャリと解錠音が部屋に響く。

 その音を聞いて茂木恋は身構えた。


 状況から見るに、彼は何者かに軟禁されている。

 身代金狙いか、個人的な恨みか理由は定かではないが、誘拐されホテルの一室に閉じ込められている。

 何か武器になりそうなものはないかと咄嗟に部屋を見回すが、テレビのリモコンくらい死か見当たらない。

 茂木恋は仕方なくリモコンを構えた。


 扉がゆっくり開き、茂木恋は息を飲む。

 そうして部屋に入って来たのは……彼の知っている人物だった。


「……絵美里ちゃん?」

「レン、もう目覚めましたの? 良かったですわ」


 有栖川絵美里はニッコリと笑うと、テーブルの上にプリンを置いた。

 それが先ほど買った新発売の白いプリンであることに、彼は気付く。


「あ、これ俺が買ったプリン」

「そうですわね。レンが買ったのと、私が買ったの合わせて6個ありますわ。一緒に食べましょう。はい、スプーン」

「うん、ありがとう…………ってこれどういうこと!? 俺たち誘拐されて閉じ込められてるんじゃないの!?」


 涼しい顔をしている有栖川絵美里の危機感のなさに茂木恋はついつい声を大きくしてしまう。

 茂木恋がいくらおどけようと、それでもやはり有栖川絵美里の表情は変わらない。


「半分正解、半分不正解ですわね。確かに誘拐され軟禁状態にありますけど、それはレン……貴方だけですわ」

「え、それはどういう……」

「誘拐したのは私ですもの」


 茂木恋は目を丸くする。

 何を言ってるんだこの金髪ロリ美少女は、と脳内でツッコミを入れた。


「こんな可愛い女の子に誘拐されて興奮する気持ちは分かりますが、あまり大声を出されると他のお客様に迷惑がかかってしまいますわ。プリンでも食べて落ち着きますわよ? では、いただきます」

「ああ、いただきます……?」


 彼女につられて茂木恋もプラスチックのスプーンでプリンを一口食べた。

 最初練乳の濃厚な甘味が脳を貫き、次いでホワイトチョコの風味が口いっぱいに広がる。

 幸せの味とはこのようなものなのだと茂木恋は新作プリンをしみじみ味わっていたが、上手く彼女に乗せられていることに膝を叩いた。


「……って、そうじゃないでしょ! 絵美里ちゃんが俺を誘拐!? そんな馬鹿な話が……いや、ちょっと待てよ」


 茂木恋は一度言葉を切る。

 彼は3人の彼女候補との接触で、彼女たちの背後に何か強大な悪意のようなものを感じていた。

 田中太郎や、藤田奈緒の父親、そして虐められていた白雪有紗自身が、小中学校で起きたことについて話したがらないのは、明らかにおかしなことである。

 誘拐される理由として、その悪意に近づきすぎてしまったからという可能性は往々にして考えられるだろう。


 有栖川絵美里はその何かに脅されて誘拐なんて真似をしているのかもしれない。

 茂木恋は慎重に言葉を紡いだ。


「絵美里ちゃん。答えられない部分は答えなくても良いよ。俺を誘拐したのは……何者かに頼まれたからだね?」

「違いますわ。レンを誘拐したのは、私がそうしたかったからですわ」

「えっ!? なんで!?」


 早速予想の外れた彼は、素っ頓狂な声を上げた。


「でも、私がこんな強行策に出たのはレンのせいですわよ?」

「俺のせい……?」

「そうですわよ。どうして3人全員と付き合うなんてことになったのか、私には理解できませんわ」


 有栖川絵美里は呆れたようにそう言った。


「女好きにも限度があると思いますわ。1人の男性の相手は1人の女性、これが常識ですのよ? そしてレンの伴侶となるその1人は、この有栖川絵美里に決まっていますの」

「前半すごく正論なのはわかるんだけど、後半どうなってるのそれ!? 絵美里ちゃんが俺の結婚相手!?」

「そうですわ、レン。失礼ながらレンがちょっかいをかけていた女の子たちを調べさせてもらいましたわ。どうやら彼女たちはレンと出会って数ヶ月の付き合いのようですわね? それなら何を迷うことがあるのでしょう? ここは1番付き合いの長い私がレンのお嫁さんになるのが自然の摂理、社会の常識というものですわ」

「んんんん??????」


 茂木恋は頭の中に大量のクエスチョンマークを焚いた。

 煽っているわけではない。


 単純に茂木恋は有栖川絵美里の言葉が理解できなかった。

 つい最近引っ越してばかりのお隣さんが幼馴染面する意味がわからないのだ。


「ええっと……絵美里ちゃんと俺ってどこかであったことあったかな? 俺の記憶が正しければ最近知り合ったばかりだと思うんだけど」

「実際に顔を合わせたのは最近ですわね。でも、ずっとレンとはずっとお話して来ましたわよ? 昨日だって、その前の日だって、レンとは毎日お話していますの」

「えっ、なんか雲行き怪しいんだけど」


 茂木恋は彼女の言葉で藤田奈緒を思い出す。

 彼女は空想の世界に生きる弟と毎日会話している。

 彼の死を認めた後も、それは続いている。

 目の前の金髪ロリ美少女もその類の少女なのではないかと茂木恋は疑っていた。


 思えば彼に近づいてくる女の子はみんな何かしら心に『病み』を抱える娘ばかりなのだ。

 これまでの傾向でいえば、イマジナリーフレンドを抱える少女が隣に引っ越して来たとしても何も不思議ではなかった。


 有栖川絵美里はスマートフォンを取り出し、目を走らせながら言った。


「リリ、はるのん、野生の夫say、yamino、悶絶調教師、長雪ぺちか、ガチャは悪い文化(前垢は凍結しました)、妹花、みりん・・・…………大体50アカウントくらいですわね。レンが1番よく知っている私のメインアカウントは『みりん』ですわ。ほら、毎日お話ししていますでしょう?」

「えっ、今なんて……」

「だから、ツイッターでは『みりん』で活動していると言っているのですわ。私の名前は『絵美里』ですから『えみりん』となって最終的に『みりん』になったのですのよ?」

「えええええええ!!!!!! みりんさん32歳子持ちの既婚者っていってたじゃん!!!!!!!!!!!」

「ネットの情報を鵜呑みにしてはいけませんわ」


 驚愕のあまり茂木恋は叫んだ。

『みりん』というのは彼のツイッター上での友達の名前である。

 ツイッターだけではなく、一緒にグラブルをしたりとゲームでの交流もある、いわば親友のような者だった。


「ちょっと待って、脳が追いつかない。絵美里ちゃんはあの『みりん』さんなの?」

「そうですわ」

「その前に言ってた、妹花ちゃんとか長雪さんとかも……絵美里ちゃんなの?」

「そうですわね。レンのフォロワーが100人だから半分は私のアカウントですの」

「なんだろこれ、何が起きてんだろうこれ……嘘だよな……」


 囲われているんだぞ、茂木恋。

 ネットではしばしばファンのことを『囲い』と表現することがある。

 しかし、彼の場合はその意味での囲いではなく、本来の意味での『囲い』が発生していた。

 今の茂木恋の心情としては、店内全員が仮面の警察官でまんまとはめられたといった具合であろう。

 犯罪を犯したわけではないが。


 有栖川絵美里は椅子を移動させて、グイッと茂木恋との距離を詰めた。


「私たち、出会ってもう3年ですわね。レンと一緒に中学生活を送れたと思うと、私とっても嬉しいですわ」

「いや送ってないけど……」

「照れなくても良いのですわ。これまで男だと……それも40歳独身の男だと思って」

「32歳子持ちの既婚者」

「あら、失礼。設定を忘れていましたわ。32歳既婚者だと思っていた男にいざ会ってみたら、小さくて可愛い金髪美少女でしたなんて、世の男の子なら誰しもときめきを覚えてしまうものですもの」

「ぐっ……それは……」


 茂木恋は口籠る。

 反論したいが、どうにもそれはできなかった。

 何を隠そう茂木恋自身、ネット上の友達に会ってみたら女の子でしたといった内容のアニメ作品をみたことがあるし、いざ同じ状況に立ってみると思いの外彼の心臓はドキドキしていたのである。

 運命感じちゃっていたのだ。


 しかし、同時に有栖川絵美里が危険な女であることを茂木恋は理解していた。

 有栖川絵美里のアカウントの中には、彼が囲っていた──こちらはネットでよく使われる意味での『囲い』をしていたアカウントが入っていたからである。

 具体的にいえば、『リリ』と『はるのん』と『妹花』がそれに該当していた。


「レンは私と結婚するのは嫌ですの?」

「ま、まぁ……ネット上では知り合いだったみたいだけど、初めて会ったわけだしね……俺は女の子なら誰でも好きになるわけじゃあないからさ」

「自分の気持ちに嘘をつくのはいけませんわよ。私は分かっていますわ。レンは女の子なら誰でも好きなのでしょう? だって『みりん』と『妹花』で、リプの熱が違いましたもの」

「やめてくれ……もうやめてくれ……」


 茂木恋は膝をつき、顔を両手で覆った。

 顔は火が出そうになるほどに熱くなっていた。

 その姿を見て、有栖川絵美里はクスクスと笑う。

 笑った美少女は、茂木恋の目にこれまで以上に愛くるしく映った。


 茂木恋が心に傷を抱えてベッドでゴロゴロ転がり出したところで、有栖川絵美里はプリンを食べ終えた。

 席を立ちプリンのカップを捨てると席を立つ。


「すぐに好きになれとは言いませんわ。ネットの『みりん』と、現実の『絵美里』の違いに戸惑うのは無理はありませんもの」

「絵美里ちゃん……」

「ゆっくり私のことを好きになってくれれば良いですわ。ついでに、例の3人のこともゆっくり忘れることですわね。私を好きだと言ってくれるまでここからは出しませんので、そこは覚悟して欲しいですわ」

「えっ、ちょっと何言って……」

「では、ご機嫌よう」


 茂木恋があたふたしている間に、有栖川絵美里は部屋を出た。

 ガチャリと音がなり、鍵が閉まってしまったようである。


 部屋に1人残された茂木恋は、絶望的な状況から逃避するようにベッドに大の字で寝転んだ。


 ネットでの友達と運命の邂逅を遂げた茂木恋。

 年上の男だと思っていたその相手は、実は隣に引っ越して来た金髪ロリ美少女というなんともラブコメの神様が背中を押してくれているかのような展開である。

 しかし、茂木恋の恋愛運はこれまで通り通常運行で最低最悪を極めていた。

 複垢で茂木恋のアカウントを囲い、好きになるまで想い人を監禁する──有栖川絵美里は独占系の病みヒロインなのであった。

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