冠を投げ捨てる

案内されたのは伯爵の私室だった。そこは城の中でも割と奥の方で、一見すると城主の部屋とは思えないところに位置していた。途中で何人かの使用人とすれ違ったが、伯爵はそれぞれに、今からお客様と大事な話をするから決して自室には入るなと釘を刺していた。


辺りには、地方といえ一国の城主の部屋と呼ぶに相応しい豪奢な装飾が施されており、部屋の隅には応接用と思しき大きな大理石のテーブルが鎮座していた。


「どうぞ、お掛け下さい」

そのテーブルに案内され、わたしと姉さんは言われた通り椅子に座った。

さっきから、伯爵はうきうきとした笑みを浮かべている。

「少しお待ちを。すぐにの準備をして戻ってきますのでね」

そう言った伯爵は笑顔のまま退出し、わたしと姉さんは二人だけで部屋に残された。


「……姉さん。一体いつになったら話を切り出すのですか」

外に聞こえるとは思わないが、わたしは念の為に小声で言った。

「もう十分に御機嫌は取ったでしょう。これからどんなしょうもない遊びに付き合わされるか知りませんが、そろそろ本題に入った方が良いのでは? って」


そろそろ諸君に教えてしまってもいいだろう。今回、姉さんに舞い込んだ依頼は――


『アスクレウス伯グスタフ=エル=ヌークリヒへの退』、なのである。


今しがた珠玉しゅぎょくの御馳走を頂いたばかりなのであまり悪くは言いたくないが、グスタフ伯爵という人物は実のところ、政治家としては下の下らしい。


名君とうたわれた父親が急死して爵位を継いだものの、本人には領を繁栄させようとする気概は一切なく、追い求めるのはただ一つ、自らの趣味である美食のみ。


毎日毎日食っちゃ寝食っちゃ寝しているだけの領主に、領民は不満たらたら。しかし領民にも主を追い落とすほどの勇気はなく、彼を追い落としたとして次の領主となれるほど器の大きな人間もいない。で続く緩やかな独裁により、アスクレウスは徐々に衰退していた。


これには領民だけでなく、母体であるメイガスラント王国も手を焼いていた。領地が滅びれば国が困る。何とかして無能なグスタフ伯に政治から退いてもらいたいが、本人には一切そのつもりがない。


田舎の一領主よりも国の方が偉いのだから堂々と罷免ひめんすればいいだろうとも思うが、そうは出来ない理由がある。グスタフ伯爵本人の政治的手腕はからっきしだが、彼は、名君と謳われた先代から受け継いだ様々な情報を持っているのだ。


どこそこの貴族は麻薬の密売に手を出しているとか、国のなんとかという大臣は過去に冤罪でライバルを蹴落として成り上がったとか。グスタフ伯爵はそういった、メイガスラント王国に蔓延はびこる様々な闇の知識や証拠書物を溜め込んでいる。

国が本人の無能を突き付けて罷免してしまうと、伯爵は腹いせにそれらの一切合財を世間にぶち撒けかねない。その暴発を怖れ、メイガスラント王国の重鎮たちは今までグスタフ伯爵に手を出せないでいた。


しかし、このまま放っておけばアスクレウスは滅びるだけだ。待つだけでは事態が好転しないと判断したメイガスラントは、遂に非合法手段に訴える事にした。


即ち、闇には闇を。

――『災星の魔女』に、伯を政治から退陣させてくれとすがってきたのだ。


ではなく、あくまで、グスタフをアスクレウス伯爵の座から退かせること。それが、今回の姉さんへの依頼である。


「けれど姉さん、さっきの……阿呆鳥アホウドリ、でしたっけ。この星に数千羽しかいないのでしょう? どうするつもりですか? 本当に絶滅しちゃいますよ」

思っていた疑問を口にすると、姉さんの黒瞳がわたしを見た。


「絶滅? どういうこと?」

「だって、これからずっと阿呆鳥だとか、虹色茸マタンゴやら殺人蜂キラービーの蜜やら大怠蛇ネガコブラのお酒やらを、伯爵に献上し続けるのでしょう? あの人の食いっぷりからして、毎日けっこうな量の稀少動物が消費されていきますよ? 何年越しの仕事になるか分かりませんが、手間もお金も莫大に掛かると思いますが」

わたしは頭の中で掛け算をしながら答えた。

「仮に安く見積もって一日に一万アレスとしても、とんでもない必要経費が発生します。今回の『依頼』の報酬がいくらなのかは聞いておりませんが、ちゃんと儲けが出るようにはなってるんですよね?」

もちろん姉さんのことだから、結果的に赤字になってしまうような報酬で受けてはいないと思うけれど。


しかし、姉さんはと首を斜めに曲げた。


、という顔だ。

諸君には無表情にしか見えないだろうが、ずっと付き添っているわたしには分かる。


「……違うんですか?」

「何が?」

「さっきの阿呆鳥やら何やらを餌に、伯へ引退を勧告するんじゃないんですか?」

「……どうやって?」

「え? だから……これから世界中の美味しい珍味を定期的に密輸してあげるから、交換条件として政治からは身を引きなさいってな具合に……」


もちろん諸君もそう思ってたよね?


けれど、姉さんは綺麗な指先を額に当てて俯き、少しだけ黙った。


「……ねえ、ルナ。の話だけれど。もしもアナタが、一国の女王だったとしましょう」

「はぁ、女王様ですか。いいですねえ」

「そして、女王であるアナタを蹴落とそうとしている政敵せいてきが居たとしましょうか」

「なるほど。わたしの類稀たぐいまれな美貌と深遠な智慧ちえに嫉妬した、愚かなやからどもですね」

「その辺りの設定はどうでもいいけれど」

 はからずとも知性の漏れだしてしまうわたしの瞳を見つめながら、姉さんは訊ねてくる。


「ねえルナ。アナタは例えばその政敵に、これからずっと美味しいものを与えてやるから引退しろと言われたら、するわけ?」


「しますよ」

わたしは満を持して即答した。

「だって政治なんてアレでしょう、わけわかんない書類に判子はんこ押したり、わけわかんない会議でわけわかんない人とわけわかんない話題で喋ったりとか、そういうのですよね? どうして皆がそういうのを我慢できるかっていうと、政治的懇談会と称したパーティーでおいしいものが食べられるからです。わたしは会食でおいしい御馳走が食べられるから頑張って女王様やってるわけであって、別にやらなくてもおいしい御馳走が食べられるとなったら、これはもうわけわかんない政治なんてやる必要は皆無でしょう。んなもん即座に冠を投げ捨てますよ。当然かつ単純な論理の帰結です」


「……………………とっても素敵だわ、ルナ」

黒曜石の瞳でわたしの顔をじぃっと見つめ、しばし沈黙した後。

姉さんは、感嘆の声を漏らす。

「アナタは本当に、頭が…………………………………………い」

ものすごくつつ、姉さんはわたしを称賛した。

あまりに完璧な論理構築能力に、さしもの魔女といえど舌を巻いたのだろう。

「ふっふっふ。そうでしょう、そうでしょう」

わたしは胸を張って言った。我ながら、ときどき自分の才能が怖くなる。


「けれどね、ルナ。残念ながら、世の中の人間の大方は、アナタほど真理を達観出来てはいないの」

しかし、わたしに噛んで含めるように、姉さんは言葉を続ける。

「名誉、虚栄、羨望、憧憬。浅ましい感情に振り回されて、他者からの評価を気にせずにはいられない矮小な人間が、世間には少なからず存在するのよ」

「なるへそ。わかります」

姉さんの言葉の真意を即座に察し、わたしは腕組みをして頷いた。


つまり姉さんは、グスタフ伯爵もそのたぐいであると言っているのだ。

いくら生粋の美食家とはいえ、『世界の珍味100年分プレゼント』だけでは、グスタフ氏をアスクレウス伯の座から引きずり下ろすに不十分である、と。


「では姉さん、伯は阿呆鳥や、その他の珍味を餌にしてもと仰るのですか? なら一体、どうやって彼に政治引退勧告を……」


わたしが言いかけた時、部屋の扉が開いた。

わたしはすぐさま口をつぐむ。


「お待たせしました」


扉を開けたグスタフ伯爵は、その両手に四車輪式の運び台車ワゴンカートをついていた。

台車カートには、銀の蓋がされた大皿や、ナイフ・フォークといった食器が載っている。


「それでは、さっそくゲームを始めましょう」

台車カートをごろごろと押しながら入室してきたグスタフ伯爵は、子供のように無邪気な笑顔を浮かべていた。

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