……なんて?

「今から貴女方に、私の秘蔵の逸品いっぴんを召し上がって頂きます」


そう言った伯爵は、カートに乗っていた二枚の皿を持ち上げ、うやうやしくテーブルに置いた。

大きな銀色の蓋が乗っているため中身は見えないが、くんかと鼻先を動かすと、そこはかとなく漏れてくるかんばしい香りから大体の想像がついた。


「ははぁ。ステーキですね」

「レディ、ご名答」

にこりと微笑んだ伯爵は、銀の蓋を取る。

皿の上にはが鎮座していた。


「我が国メイガスラントは南方クレド山脈の奥地にて肥育されている、最高クラスのクレド牛。年に百頭も出荷されないうえ、一個体から一㎏も取れない極上のフィレですよ。しかるべき店で食べようとすれば、100gで5000アレスは下らないでしょう」

「ほう、ほう」

繊細かつ緻密な知的好奇心を激しく刺激され、わたしは何度も頷いた。

もう限界まで食べたと思っていたわたしの胃袋が、頑張りまくって収納枠を広げたのが分かる。甘いものは別腹だが、極上フィレ肉もまた別腹なのである。


「で、伯爵。ゲームというのは」

さすがと言おうか、姉さんは落ち着いた様子で伯爵に訊ねた。

「単純です。のゲームですよ。……実はこの二枚のステーキ、見た目は全く同じに見えますが、一点だけがあるのです。貴女方あなたがたには、それを当てて頂きたい」

「えっ」


諸君。なんだか急に胸騒ぎがしてきた。

「違うところというのは、その……味付けが違うとか、焼き時間が違うとか、実はかたっぽはパセリ業者が焼いたとか、そういう事ですか?」

「パセリ業者?」

伯爵は目を瞬いた。

「よく分かりませんが、いずれにせよヒントは無しです。とにかくこの二枚のステーキには一つだけ、決定的な違いがある。それを当ててください」

「分かりましたわ。それで、ワタシ達が正解したらどんな御褒美が?」

「そうですな。私に出来る範囲のことなら、


しめた。勝ったら、政治から引退しろと言えばいいのだ。

「伯爵。何でも、と仰いましたね?」

「もちろんです、レディ。こと食に関わる約束事に、私は決して嘘は挟まない」

「なるほど。受けましょう。ふっふっふ」

思わぬところから、依頼完遂の気配が転がり込んできた。わたしはにやりと笑う。


「その代わり不正解なら、貴女方には私の言うことを

「構いませんわ。ワタシたちも、何でも言うことを聞くと約束しましょう」

今度は姉さんが即答した。


「お互い言質は取りましたな。……では、さっそくご賞味をどうぞ」

優雅に掌を曲げ、伯爵はテーブルに置かれたナイフとフォークを手に取るよう促す。


しかし、それを見たわたしは絶句した。


ナイフとフォークが、一対しかないのである。


何ということだろう諸君。これでは、一人ずつしか食べられないじゃないか。


「では姉さん。不肖ふしょうながらわたしが斥候せっこうを」

早口で言いつつ、わたしは即座にナイフへと手を伸ばした。


別に、少しでもあったかい内に食べたいから先手を取ろうとか、そういう卑しいアレでは決してない。将たる姉さんにはどっしりと後ろに構えてもらい、まずはわたしが弟子として前座を務めるべきだろうという誠に慎ましい義務感からである。



「ひゃいっ!?」

だが、わたしが一番乗りであったかい極上フィレにありつくことは許されなかった。

素早く伸ばされた姉さんの手が、わたしの腕を掴んだのだ。


ひやりと冷たい指が、わたしの腕を離さない。


「は……はぃ」

真っ黒な瞳に見つめられ、わたしは震えた。

そりゃあもう、生まれたての仔鹿ばりに震えた。

諸君には姉さんの表情の微細な変化は分からないだろうが、弟子として二年以上も従い続けてきた、このわたしだけは、知っている。


この目は――。

絶対に、ぜーったいに、逆らっちゃいけない時のやつだ。


「では、頂きます」


わたしの腕からそっと指を離し、姉さんはナイフとフォークを手に取った。

いつも通りの優雅な仕草で片方のステーキを切り分け、口に運ぶ。

一切の音を立てずに裂かれた霜降りの肉片が、綺麗な朱色の唇に吸い込まれてゆく。

黒瞳が閉じられる。

細い顎が微かに上下する。


「……大変に美味しくございますわ。引き締まった赤身と濃厚な脂の完全なる調和。それに、この歯触りときたら。噛む端からとろけてゆきます。まるで温かいチーズケーキのよう」

「うひゃあぁ」

わたしの胸の内に湧き上がった数々の衝動を一つの擬音に集約すれば『じゅるり』である。

「ソースに、おろした大根と山葵ワサビが入っておりますね? あまり一般的ではないですが、これも素晴らしい。微かな酸味と辛みのアクセントが、一段と肉の旨味を引き立てている」


「ああミス・マレウス。流石です」

伯爵は優しげな笑みを浮かべた。

気持ちは分かる。自分が誇っているものの良さを他人にも理解してもらえるというのは、そりゃあもう大変に気分が良いものだ。


「では、こちらも戴きます」

こくりと咽喉を動かして目を開け、姉さんはもう一枚のステーキにナイフを伸ばした。


先ほどと同じように丁寧に切り分け、唇に運んで静かに頬張る。


「…………」

今度は目を閉じず、姉さんはその視線を宙に向けた。


「……こちらもまた、素晴らしい」

同じようにこくりと咀嚼し、もう一切れフォークを突き刺す。

「肉汁と一緒に、エキスが溢れ出る。極限まで凝縮された、芳醇な生命のエキスが」


「うわー」

いいなあ。最高級フィレいいなあ。早く、わたしもわたしも食べたい食べたーい! 視線で訴えてみるが、姉さんはわたしの事など眼中にないようで、黙々と肉を噛み締める。


「ソースはこちらのと同じですね。焼き加減も一緒。恐らく下拵したごしらえも変わらない」

「おやおや、では全て一緒ではないですか。違いが分からない? 降参しますか?」

「大丈夫です姉さん。あとは天使の舌を持つと言われたわたしの味覚にお任せください。さあさあナイフとフォークを。早く早くっ!」


にこにこと笑う伯爵と必死で訴えるわたしを交互に見て、姉さんは首を振った。

「いいえ。違いは判りましたわ」

最初に食べた方のステーキをナイフで指す。


「恐らくこちらは、の肉でしょう」


「ほう……!」

伯爵は目を丸くした。


その一言で全てを察した有能なわたしも、得心して溜め息を吐く。

なるへそ。そういうことですか、姉さん。


「けれど、こちらは違う」

姉さんはもう片方のステーキにナイフの先を向けた。


ここまでくれば、食べ比べていないわたしにも簡単に答えが分かる。


つまり、調理した人間や方法ではなく、肉そのものがかという違いだったわけだ。悔しいが、貝のパスタに貝を入れ忘れていることにも気付けなかったわたしにはきっと分からなかっただろう。流石は姉さんである。


そして、得意げにでもなく偉ぶりもせず、『災星の魔女』は静かに告げる。


「こっちは恐らく、15の肉ですね」


そうそう。あっちは一歳未満の仔牛の肉で、そっちの肉は15歳ぐらいの女性の、



――15歳、ぐらいの、なんて?

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