ヒイラギエイク

『災星の魔女』が依頼を受けた、二日後。

マクスウェルの手配した船で北大陸に渡った姉さんとわたしは、複合大企業・ウロボロスダインの本社を訪れていた。


民間企業としては贅沢な滑車昇降機エレベータに乗せられ、通されたのは八階の応接室である。煌びやかな応接間では、二人の人間がわたしたちを待っていた。

壮年の男性と、若い娘という組み合わせだった。


「ようこそお越し頂きました、『災星の魔女』様」

立派な顎鬚を生やした身なりの良い紳士が、最初に口を開いた。卸し立てに見えるパリッと上品なジャケットを着こなし、足にはぴっかぴかの革靴、腕にはいかにも高級そうな腕時計。

エリート企業人の見本のような男性である。彼が今回の依頼人かと勘違いしかけたが、どうやら違う。たしかバラム=ウロボロスは70歳を超える老人である筈だ。


「ウロボロスダインの副社長を務めております、リカルド=ウロボロスと申します」


名前を聞いて得心する。バラムのであり、次代の社長が確定している男だ。

「…………」

隣の少女が続けて名乗るものかと思ったが、口を開かない。

彼女はただ、じろりと眼球を上下左右に動かした。

姉さんとわたしを値踏みするように。


まだ20歳にはなっていないだろう。紺のドレスに身を包み、何かの華を象ったお洒落な髪飾り、きらきらしたネックレスにダイヤの指輪。品良く整った美しい顔立ちで、愛想よく微笑めば非常に絵になるだろうが、今のところわたしたちに愛想を振りまくつもりはないようだ。

少女に挨拶の意志がない事を確認したようで、一礼した姉さんは、左の掌をリカルド氏に向けて差し出した。


「初めまして。『災星の魔女』、パメラ=ボーヒーズと申します」


そうして姉さんは今日も、わたしがを依頼者に告げる。

諸君。つまり偽名である。

敵を作る事が多い姉さんは、依頼のたびに適当な名前を使っているのだ。


姉さんのは――諸君。実は、わたしも知らない。


「宜しくお願いしますミス・パメラ。……まさか、こんなにお若い方だったとは」

嫌味のない快活な表情で姉さんとの握手に応じ、リカルドは微笑んだ。

「実に美しい。失礼ながら、昔から何度も噂話として聞いていた『災星の魔女』は、曲がった杖を突いた老婆だと思っておりました」

お世辞のつもりはないだろう。

実際に、姉さんは綺麗だ。

とても、綺麗だ。


すらりとした長身は、わたしより頭二つ分も上の175センチ。

ちなみに体重は――いやいや諸君。それを言うのは野暮だろう。

腰まで伸びた、さらさらの黒髪。向こうの景色まで透けて見えそうな、新雪のように白い肌。計算されつくした滑らかな線を描く肢体。よく通った形の良い鼻。綺麗に結ばれた薄桃色の唇。

そして――世界の全てを飲み込みそうな、大きく黒い硝子玉のような瞳。

将来的には最終美貌兵器となるに違いないわたしでさえ、今はまだ太刀打ち出来ない妖艶ようえんさ。

真っ白なワンピースを身に纏い、愛用の香水、プリティ・ウーマンの芳香を振り撒きながら、姉さんは今日も世界を愉しむ。


「若作りの魔法を掛けておりますのでね。こう見えても本当は、アナタより遥かに年上なのですよ」

「なんと、そうなのですか。これはこれは」

姉さんの言葉に、リカルドは声をあげて笑った。当然、冗談と受け取ったのだろう。


しかし諸君、それは事実なのだ。姉さんは魔女の偉大な秘術により妙齢の美女という外見を固定しているが、本当は気が遠くなる程の悠久を生きている。少なくともわたしは、80のとある戦役で暗躍した時の話を姉さんの口から聞いた事がある。


姉さんのは――諸君。実は、わたしも知らない。


「へえぇ。これが、莫大な報酬や見返りを求める代わりにどんな難題や汚れ仕事でも引き受けてくれるっていう、伝説の『災星の魔女』様かい」


リカルドの隣に立っていた若い娘が、ようやく口を開いた。

深窓の乙女といった上品な見た目からは想像もつかない、えらく乱暴な口調である。

「噂じゃあ迷宮入りの事件を解いたとか大魔獣を討伐したとか一国を滅ぼしたとか言うから、物凄くヤベえ奴を期待してたけど、案外普通の姉ちゃんだな。なんか大したことなさそう」

「シ、シンシア!」

娘の言葉に、リカルドが目を剥いた。

「魔女様に何て口の利き方を! 慎まないか!」

言葉には出さないが、わたしも憤慨する。この星で最も偉大な姉さんに向かって初対面から喧嘩を吹っ掛けるとは、なんと恐れを知らない小娘であろうか。

「大したこと無さそう、と思わせておいた方が有利な局面が、世には往々にしてございます」

もちろん姉さんはそんな事で腹を立てたりしない。娘に向けて大仰に会釈する。

「シンシアお嬢様ですね。そちらはそちらで、噂通りの御方のようで」

娘の身長から顔から服装からの全てを走査スキャンするように、姉さんの黒曜石の瞳が上下する。

「ふん、そうだろ。すんませんね、出来の悪い娘で。

世にも面白くなさそうに笑い、シンシアは何やら妙な言葉を呟きながら右掌で姉さんと握手をした。


ここを訪れるまでに、わたしも姉さんから聞いている。バラムは前述の通り、元は小さな会社だったウロボロスダインを一代で巨大企業に築き上げた商売の鬼であるという。そして金を集めるのに熱中するあまりに結婚するのを忘れてしまっていたバラムが、自分の後継者に困り、20年ほど前に迎え入れた養子が副社長のリカルド=ウロボロス。もっとも後継者と言っても、齢70を越えてなお現役のバラムは、まだまだ跡を譲るつもりはないらしいが。


そしてリカルドが養子入りした後に産まれたのがこの偉そうな小娘、シンシア=ウロボロスである。リカルドの妻であった女性は、シンシアを産んだ時に他界。バラムが社長職を退いた後はほぼ確実にリカルドが跡を継ぐのだから、実質的には大企業の社長令嬢であるシンシアだが、その性格はいま見た通り。とてものお嬢様とは思えないお転婆てんば娘で、高貴な社交界に身を置く祖父と父の悩みの種だとか。

「で、魔女さんさあ。実は、ずっと気になってたんだけど」

シンシアはぶっきらぼうな口調で言った。


「そこの、ちんちくりんは何者なわけ?」


――ちんちくりん?

この場に、まだ素性の不明な人間が隠れているとでもいうのか?

わたしは素早く、怜悧な瞳で慎重かつ冷静に辺りを見回す。

別段、怪しいものの気配は感じられないようだが――。

「だからさあ。さっきから一言も喋らない、ちんちくりんで、ボサついた髪の、三白眼で、陰気そうな、男か女かもよく分かんない服装と体型の、なんか急にキョトキョトし始めた……お前だよ。お前」

シンシアがじれったそうに言いながら指差してきた。まさか。


――わたし?


「ああ、失礼を致しました。これはワタシの愚妹ぐまいでございます」

呆気にとられているわたしの隣で、姉さんは表情一つ変えずに言った。

「また、ワタシの助手を務めている『魔女見習い』でもあります。さあルナ、お二人様に御挨拶をなさい」

「……ね、姉さんの助手を務めております、ルナと申します」

全身全霊で平静を装いつつ、わたしはウロボロス父娘おやこに向かってお辞儀をした。

姉さんと違い、わたしは偽名を許されていない。


「妹おぉ? 全ッ然似てねーなあ」

 わたしと姉さんをじろじろと見比べ、シンシアは鼻で笑った。

「魔女さんは、まあ女のあたしから見てもえらい美人だけどさあ、何だよこの鶏ガラみたいなちんちくりんは。血ィ繋がってないんじゃねーの?」

わたしの背中にじっとりと嫌な汗が伝う。

「よ、よさんかシンシア」

素早く父のリカルドがたしなめる。

「人さまの容姿を悪く言うものではない。姉妹だからと言って、全員に母親からの美貌が遺伝するとは限らんだろうが」

えっ、副社長。そのフォローも、ちょっと、こう、なんか。


「ところでリカルド様」

姉さんは静かに言葉を続ける。

「ワタシども、まだ肝心の依頼人であるバラム様にお会い出来ていないのですが。彼は何処に?」

「ああ、そうですね」

リカルドは頭を掻いた。

義父ちちは……バラム社長は今、別のお客様と話し中でして。なので私と娘が当面のお出迎えを差し上げた次第です。もう一度声を掛けてきますので、しばしこのままお待ち頂けますか」

「分かりました」

姉さんが頷く。どうぞそこのソファに掛けられて、と姉さんとわたしに案内し、ウロボロスダイン副社長のリカルド=ウロボロスとその娘シンシア=ウロボロスは部屋を出て行った。

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