魂の差異

「……さあ、ルナ。今日も立派な魔女になる為の勉強を始めましょうか」


二人が応接室を出ていってすぐ、姉さんは無機質な声でわたしに囁いた。

「まずは観察眼の成長を見たいわね。あの二人を見て、アナタは何を考えた? 第一印象、言動から類推したもの、確信したもの、何でも良いから言って御覧なさい」

「一つ、はっきり分かったことがあります」

わたしは答える。

「あの令嬢の目は節穴です」

「あら、シンシア嬢が?」

姉さんはと首を傾げた。

「そうかしら。何故そう思ったの?」

「だって姉さん。彼女は、わたしの偉大さを見抜けませんでした」


諸君なら分かってくれているであろうが、わたしは単に無口なのではない。賢者だからこそ、無用な多弁を好まないだけなのである。

容姿についても、まだ年齢的に発展途上だから姉さんに比べれば見劣りするが、すでに宇宙的美少女の片鱗がそこかしこに見え隠れしているのは周知の事実であろう。

わたしは近い将来、究極無敵銀河最強美女となるに違いないのだ。絶対なるに決まっているのだ。わたしは決してちんちくりんではないし、ましてや陰気な鶏ガラなんかじゃないのだ。


「この世で二番目に偉大な人間であるわたしに、あんなイヤなことを言うなんて」

「ああ、ルナ。それは仕方のないことよ」

しかし、姉さんは首を横に振った。

「アナタの偉大な正体を見抜けなくても当然だわ。能ある鷹は、と言うでしょう。アナタは爪を隠すのが巧すぎるから、一目でその才覚を見抜ける人間なんて、この星にはそうそう居ないのよ」

「むむっ。なるほど……」

言われてみれば当然のことだった。わたしは神妙に頷く。

「では姉さんは、シンシア嬢の目は節穴ではないと仰るのですね」

「そうねぇ。あのは、ワタシ達二人の血が繋がっていないと言い当てたし、感性は悪くない筈よ」


そういえば諸君にはまだ言ってなかったと思うが、わたしと姉さんは、実の姉妹ではない。


今や遥か遠い、二年前の夜である。わたしが八歳になってすぐの頃だった。姉さんに舞い込んだ小さな依頼を切っ掛けに、わたしは姉さんと出会ったのだ。

その事件について詳細を語っていると日が暮れてしまうので割愛するが、その時わたしが見せた圧倒的な天賦てんぷの才に、姉さんは一目で魅了されたという。

わたしもまた『魔女』の偉大さに魅了され、彼女の弟子となる事を決意した。

そして、あの夜。わたしたち二人は『姉妹』の盟約を交わしたのだ。


以来、わたしは日々膨大な数の読書に耽って知識を蓄え、朝晩5回ずつの腹筋運動によって鋼の肉体を構築し、おやつ時には適度な量のお菓子を食べ、お風呂に入った後は夜更かしなどせず健康的に眠る等々して、一流の魔女となるべく華やかに邁進まいしんしているというわけである。


「ではルナ。他に、あの二人に関して推測した事は? 性格、身体的特徴、趣味嗜好。何でもいいから言って御覧なさい」

さて諸君。魔女の妹として、わたしの鋭すぎる観察眼を披露するときが来たようだ。


「そうですね。ええと……リカルド氏はです。姉さんと握手する時に左手を差し出しましたから。対してシンシア嬢は右手を出してきたので、でしょう。また、不良であるシンシア嬢にはの悪癖があるようです。この部屋に入った時、微かに煙草の香りがしました。大してリカルド氏はであると思われます。大企業の副社長ですからね、世間体があるでしょう。あとは……リカルド氏は何やら上品そうな風なので、趣味も芸術鑑賞とか読書とか、何かまあそれっぽい。シンシア嬢は言動からしていかにも荒くれているので、博打や闘技観戦などといったをお持ちかと推測しました」


「あら……」

わたしがすらすらと答えてみせると、姉さんの綺麗な黒瞳が瞬いた。


なあに諸君、驚くほどの事ではない。『魔女』とは世界を愉しむもの。愉しむためにはまず、世界をらなければならない。鋭い観察眼と精緻な論理構築能力は、魔女の必須技能なのである。

「流石ね、ルナ。けれど、少し惜しいわ」

「むむっ。見落としがありましたか」

無論、今のわたしはまだ『魔女』見習いの段階である。まだ姉さんほど正確に世界を把握できるわけはない。だから少しばかりの瑕疵があったところで落ち込んだりなどしない。

「そうねえ。ワタシの見たところでは」

絶対零度の清音で、姉さんはわたしの推察に対する答え合わせを始める。


「リカルドはよ。扉やソファを指す時は全て右手だったわ。最初の握手はワタシが先に左手を出したからそれに応じただけ。逆にシンシアは。アナタを小馬鹿にして指差したのは左手だったでしょう? ワタシと握手する時は、を出したのよ。煙草の匂いがしたのはリカルド氏の衣服から。そこのテーブルの灰皿にはの吸殻は何本もあるけど他の銘柄のは一本もないから、シンシアが喫煙者とは考えづらい。リカルドの指には幾つも拳ダコが在った。を嗜んでいるわ。恐らくカラテかバリツ。数歩先への重心を意識した歩き方を見るに、フェンシングやブレイブソードもやっているかもしれない。これはまだ類推の域を出ないけれど、まあ目の前で不意に物を落とすフリでもしてみれば反射でワカる。さて、シンシアは左利きなのに。恐らく最初の握手で父親に左手を出したのを目ざとく見て、ワタシが自分と同じ左利きだと思ったのね。五百年ほど前に著されたある宗教書に、『魔の者と決して利き腕同士で接してはならない。本音が筒抜けになってしまう』という警告が記されているのよ。眉唾でも一応は従ってみたんでしょう。そして彼女はワタシと握手するとき『』と呟いていたわね。ヒイラギというのは、昔この地方に群生していたモクセイ科のぎざぎざした植物。今は絶版となったある民俗学書によると、その枝葉には魔を退ける効果があったと言われ、その名を唱えるだけでも退たり得るとされていた。……ひとまず、こんなところね。以上の事から判るのは、シンシアはああ見えてな趣味を持っている。そして尚且つ、ワタシたちは彼女になかなかという事よ」


「……………………なるへそ」

どうやら全部まちがってたくさい。

「わたしが第二案として考えていた回答と、一言一句同じです」

わたしは内心の動揺を隠しながら頷いた。

ここでめげないのが、わたしである。


「あと、もう一つ。とても大事なことがあるわ」

そう言いながら、姉さんは唇の端を吊り上げて、わらった。


「どうやらあの親子には、があるみたいね」


「……魂に、差異?」

わたしは姉さんの言葉を反復する。

「それは……どういう意味でしょう?」

「あの二人の間には、決して埋まらない溝があるということよ」

「埋まらない溝? ……仲が、悪いということですか? 確かにリカルド氏はお転婆娘の扱いに困っているようですが、それほど険悪な親子仲にも見えませんでしたよ」

「そういうことではないわ。親子仲なんて、いつでも壊せるしいつでも修復出来るでしょう。もっと深い部分の差異よ。が真逆なの。ではルナ、アナタに宿題を出しましょうか。あの二人の、を考えなさい」

リカルド=ウロボロスとシンシア=ウロボロスの、正反対な部分?


親と子。男と女。壮年と少女。紳士とじゃじゃ馬。右利きと左利き。喫煙者と禁煙者。運動家と学者肌。


――ありすぎて、逆に困るんだけど。

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