犯人
夜も一層に更けた頃。もはや街は寝静まり、魔物が跋扈するに相応しい暗黒の時間。
黒一色に染まった部屋に、一つの人影が入ってきた。
圧倒的な暗闇の中で、その背格好は判断できない。ドアの開閉音すら立てないよう慎重に、ゆっくり扉を開き侵入してくる。
デスクや椅子、それらに雑多と詰まれた書類や備品に触ってしまわないよう、静かに通路の奥へと歩を進める。お目当ては、部屋の奥にどっしりと鎮座している大金庫。
辿り着いた闇夜の闖入者は、金庫の前にしゃがみ込み、やはり少しの物音も立てないよう静かにダイヤルを回す。その動作は非常に緩慢であったが、ダイヤルの番号や回し方に苦心する様子はない。じきにかちりと音がして、大金庫の扉が開かれる。
その人物は金庫から一つの糊付けされた封筒を取り出した。ゆっくりと立ち上がり、恐る恐るといった手つきで開封し、中の便箋を取り出し、書かれた内容を読もうとした、その時――
ばちんと音を立て、部屋の電燈が点いた。
「……ッ!?」
声にならない悲鳴をあげ、闖入者は一瞬で明るくなった部屋を見回した。
捕食される寸前の小動物のような瞳が、最初から室内に潜んでいた面々に向けられる。
姉さん、わたし、レイ、そして自らの義父と、実の娘の順に。
「……親父」
最初に口を開いたのは、シンシア=ウロボロスだった。
「マジかよ……」
リカルド=ウロボロスは、封筒を持って立ち尽くしたまま動かない。
「やはり罠にかかりましたね、副社長」
姉さんは無表情で言った。
「来ると思っていましたわ」
「な、何です。何の話です」
リカルドは狼狽した声を上げる。
「みんな、一体ここで何を……」
わけが分からないといった風だ。風というか実際、分かっていないのだろう。
「待っていたのですよ。アナタが、情報漏洩の犯人がその金庫を開けに来るのを」
「わ、わたしが犯人だって?」
リカルドはしらばっくれる。
「何を馬鹿げた事を。私は副社長ですよ。どうして自分の会社を売るような真似を」
「お前の会社ではない」
バラムが冷たく言い放つ。
「ウロボロスダインは儂のものよ」
「と、義父さんまで何を」
「余計な言い訳をしても仕方ありません、副社長」
姉さんも冷たく言った。
「時間の無駄です」
「嘘だ。そんなわけあるか。冤罪(えんざい)だ」
リカルドは、なおも食い下がる。
「証拠は、証拠はあるのか!」
出た。
出たよ諸君。
追い詰められた犯人、お約束反論の金字塔、『証拠はあるのか』!
証拠があるのかってのはつまり、証拠があれば犯行を認めざるを得ないという、真犯人だけが持つ負い目の裏返しの言葉である。本当に冤罪だったら、自分がやったと思しき物的証拠を幾ら出されたところで犯行を認められるわきゃあないのである。わたしは今まで、この愚かな言葉を吐いた人間が無実であった例を寡聞にして聞かない。
「自分でも分かっているのでしょう? そのメモを夜中に隠れ忍んで読みにきたのが証拠です。事前にどういう誘導尋問なのか、どんな返事をしてはいけないか予習しにきたのでしょう?」
「こ、これは。違う。ただその、どういった内容なのか、好奇心で、つい、その」
ぐだぐだである。ビジネスマンとしては一流なのだろうが、決して俳優にはなれまい。
「社長にも事前に読むなと釘を刺した、会社の経営を左右する犯罪者への決定打を好奇心で? もう少し巧い言い訳を考えておくべきでしたね。けれど結局は時間の無駄です。魔女の瞳は、既に何もかも見透かしているのです。もちろん副社長である筈のアナタが会社を売る動機も」
「馬鹿な。そんなわけがない。そこまで分かるわけが……」
リカルドは呻く。もう自白と同じだ。
「愉しい事を教えましょう。そのメモには、犯人を指摘する誘導尋問などは書いておりません」
さらりと姉さんは言った。
「誰がどんな人間でどんな発言をしてどんな流れになるかも分からない場で、そこまで万能の作用を為す言葉など流石に魔女でも即座には思いつきません。けれど事前にたっぷりと脅しをかけておいたので、どれだけ疑わしくてもアナタは信じざるを得なかったでしょうが」
なるほど。だから姉さんはフェンシングの真似事をしたり、シンシアの隠し事を暴いたりして必要以上に自分の能力を見せつけていたのだ。いつも『簡単に自らの手の内を明かすな』とわたしに教えている姉さんにしては過剰なアピールだと思った。
「代わりと言ってはなんですが、そのメモには犯人、つまりアナタの動機を一筆しておきました。もう部屋も明るいことですし、遠慮は要りませんのでどうぞ御覧ください」
リカルドは言われた通り、ゆるゆると便箋に目を落とす。
「そんな……」
数秒後、途端に絶望的な表情になる。
「なぜ分かったんだ」
もはや反論する気も失せたらしい。がくりと項垂れ、開いた便箋をわたしたちに向ける。
そこには。
『貴方が仲間外れだから』と書かれていた。
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