まためんどくさそうな

食事処しょくじどころ『エントロピー』。


中央大陸の北西部に位置する小国、アントロネシア。いつでも乾いた風の吹いている市街地の大通りに、その店はある。


早朝は喫茶店、昼は軽食屋、夜は料理屋兼バーと日がな営業形態を変える、なんとも忙しい店である。定休日は週に一日、一般的な飲食店と同じく『火の曜日』となっている。カウンターは9席、ボックスは40席ほど。

大小宴会、いつでも承っております。


別にマージンを受け取っているわけではないが、世話になっている店なので一応宣伝しておく。


さて。今日も偉大な魔女である姉さんと偉大な弟子であるわたしは、カウンターに腰かけて優雅に珈琲を飲んでいた。


「あー、面白かった。やっぱり『ドラエモン』は何回読んでも笑えるねぇ」

正確にはもう一人、一応わたしの知人の末席に名を連ねている、レイナードなんちゃらという名前のちびがいる。本名は長ったらしいので、わたしはいつもこのちびのことをレイと呼んでいる。


読んでいた一冊の本を閉じ、レイは隣で同じく読書しているわたしを見た。

「ねえルナ、貸してた『ルローニ・ケンシン』、そろそろ返してくれない?」

わたしは何も答えない。

「最近また読み返したくなってきたんだよね。……ねえ、ルナってば?」

「話しかけるな。今とても良いところなんだ」

「あ、ごめん。……ルナはなに読んでるの?」

レイは首を曲げ、わたしが読んでいる本の背表紙を見た。

「ああ、『そして誰もいなくなった』。面白いよね、それ」


絶海の孤島に隔離された10人の男女が次々と、何者かに殺されてゆくというミステリである。もちろんこの中の誰かが犯人なわけで、偉大な読者であるわたしは今まさに事件の真相を推理中なのだ。愚かなちびに構っている場合ではない。

「どう? 犯人、分かった?」

「わたしの偉大な頭脳を舐めるなよ。既に容疑者は2人にまで絞り込めている」

今度は首を逆に曲げ、レイは肩越しに読んでいる本を覗きこむ。

「もう終盤で、8人目が殺されたとこじゃん。そりゃ誰でも残りの2人に絞れるよ」

「う、うるっさいなあ」

「で? ルナはこの二人のうち、どっちが怪しいと思う?」

「教えてやらない」

「判らないんでしょ」

「わたしの桃色の脳細胞は、すでに事件の真相をほぼ見抜いている。そうだな、あと一人死んだ時点で犯人を当ててやろう」

最後の一人しか残らないのだから、そいつが犯人に決まっている。間違える可能性はない。実に宇宙的妙案と言えるだろう。

「そっか。楽しみにしてるよ」

レイはにへらと笑った。


さて、諸君。わたしたちは別にダベりに来ているわけではない。今日も姉さんへ舞い込んできた依頼を受けるために『エントロピー』を訪れたのだが、ちょうどお昼の混み時で店主たるマクスウェル=アマクサ氏が多忙を極めており、落ち着いて話ができない状態なのだ。なのでわたしとレイは共通の趣味である読書にふけり、老マクスウェルの手が空くまで時間を潰していたというわけである。


隣の席を見る。『災星の魔女ディザスターウィッチ』――わたしの偉大なる姉さんは、一言も発さず、テーブルに腰かけて静かに目を瞑っていた。もちろん眠ってはいない。深い思索に耽っているのだ。


わたしは、姉さんが本を読んでいるのを見たことはほとんどない。といっても姉さんは読書嫌いというわけではなく、本人曰く『世に出版された書物の中で、特に優れたものの大方は既に読んでいるしほぼ暗記しているから、改めて読む価値のある本など書店では滅多に見つけられない』らしい。


並大抵の人間ならば嘘を吐くな偉そうにと言われそうなものだが、見た目より遥かに遥かに長い年月を生きてきた姉さんのことだから、恐らく事実だ。また、姉さんは『現実の世界が素敵すぎて、創作の世界に浸る暇がなかなか作れない』とも言う。賢人には賢人の悩みがあるらしい。


「……いやはや、お待たせ致しました」

お昼時のピークが過ぎて店内にもちらほらと空席が目立ち始めた頃、ようやくマクスウェルがカウンターにやってきた。ばちりと姉さんの黒瞳が開かれる。

「申し訳ございません。今日はこれほどお客様が来られるとは思っておりませんで」

「良かったじゃあないの。繁盛していて何よりだわ」

待たされた皮肉を言っているわけではない。姉さんはその気になれば何時間だろうが何日だろうが、深い思索の海に潜り続けることが出来る。そして企むのだ。


世界を楽しく彩る方法を。

人々を真っ黒に染め上げる真実を。

人喰い伯爵に自らの臓物を喰わせる嘘を。


「で、マクスウェル。今日の依頼は?」

「依頼者は、エドワード=J=エヴォルシア博士でございます」

「博士……」

わたしはレイと顔を見合わせる。聞いた事のない名前である。

「ギネルヴ共和国の生物学者ね」

姉さんは流石の記憶力を見せる。

「著名な人なのですか?」

「それほど名の知られた学者ではないわね。でも、幾つか論文を読んだ事があるの。二年前の科学誌に掲載された『次代エネルギー戦争におけるデンキウナギ養殖の可能性』という論文は、中々斬新な切り口から攻めていて愉しかったわ」

わたしの問いに、姉さんはすらすらと答えた。

「へえ」

わたしは研究とか評論の類にはあまり興味がないので、おそらくその人の著作を読んだことはないだろう。

「直に会ったことはないけれど、恐らく世間受けや名声なんかには興味のない、ひたすら我が道を突き進むタイプの人間よ。学者として正道か邪道かと考えれば、間違いなく後者でしょうね」

「そ、そうなのですか」

内心『まためんどくさそうな依頼人がきたなあ』と思いつつ、わたしは答えた。


「ではマクスウェル翁。その、邪道の生物学者さんからの依頼内容とは?」

「……はい……」

わたしが問い掛けると、なぜか一瞬、マクスウェルの視線が宙に泳いだ。


「今回の依頼内容は……『地獄悪鬼・チュパカブラの捕縛』、という事です」

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