人間賛歌

「ルナ。まだ船には時間があるし、少しお茶でもしましょうか」


森を抜けて港町に入り、大通りを歩いていると、姉さんが言った。

その視線の先に目を向けると、こじんまりとしたお洒落なカフェがある。


「伯爵に頂いた御馳走も、それは大変に美味しかったけれど。やっぱり男と女の違いかしら、さっきのは油と肉が多すぎたわ。淑女レディの舌には重かったから、口直しをしないとね」


「……いえ……」

わたしは首を横に振る。


ふわりと、良い匂いが鼻をくすぐった。

カフェのテラス席では、若い女性たちが午後のティータイムを楽しんでいる。

ナイフでかりかりのトーストに塗っているのは――木苺のジャム?


「今日は……もう何も食べたくありません」

「あら、珍しい。『甘い物は別腹』とやらはどこに行ったの?」

「……今日はもう……本当に」

伯爵のお腹から大量のジャムが漏れ出す光景は、完全にわたしの目に焼きついてしまっていた。


「ふうん」

わたしの気持ちを知ってか知らずか――いや、知ってるに決まってんだこの人――姉さんはわざとらしく青空を見上げた。

「愉しいわね。良い事をした後は爽やかな気分になれるわ」

「……そうですね」


確かに、善行だったのだろう。

このアスクレウス領の人々はもう屠殺されなくて済むし、食の求道者グスタフ伯爵はとうとう生涯最高の美味に巡り会えたし、門番のイケメン兵士はやっと悪夢のような業務から解放されたし、姉さんはまた面白い経験が出来た。

わたし一人を除いて、不幸になった者は誰も居ない。皆が得をしたと言える。

わたしに苺ジャムのトラウマが出来るぐらいで――あと、鳥が一羽ソテーにされたぐらいで人々が幸せになれるのなら、それはまあ、い事なのかなあと思う。


「それにしても……怖い鳥ですね」

ぽつりと呟くと、姉さんは不思議そうな目でわたしを見た。

「何が?」

「その、アホウドリです。意味もなく共食いするなんて……」

「ああ」

得心したようにわたしから視線を逸らし、姉さんは何でもないことのように言った。


「ルナ。


「あ、そうだったんです……ねぇ!?」

往来の真ん中で大声を上げてしまい、辺りの人々の視線が集中する。

「あ……あう」

えへへと笑って愛想を振りまき、何とか周囲を誤魔化す。

人々の関心が向けられなくなるまで待った後、わたしは再び姉さんを見上げた。

「ね、姉さん、デタラメって、何が」

阿呆鳥アホウドリの話でしょう? あの子たち、本当は共食いなんてしないのよ」

え、なに姉さん。じゃあ阿呆鳥って一体、

「大人しい、只の鳥よ。逆に大人しすぎて、。だから阿呆鳥だなんて呼ばれて乱獲され、今や絶滅の危機に瀕している可哀想な鳥類」

「ねねね姉さんっ」


あ、あなた、じゃあアレですか。

全部ウソで、全部ハッタリで、あんな作り話で、人を、


「ねえルナ。ワタシはね、人を幸せにする嘘は幾らでも吐いて良いと思うの」


――言い返せない。


確かに伯爵は幸せになった。傍目には決してそう見えなくても、本人が幸せだと言っていたのだから、これはもう今さら世界中の誰にも、神様にだって否定できる事ではない。他者へ強引に幸福を押し付けて弄ぶ姉さんは、どんな善人よりも神聖で、どんな罪人よりも邪悪だ。


「けど、姉さん。それならどうして伯爵は、阿呆鳥をあんなに美味しいって」

「単によ。世にも希少な鳥であるのは嘘ではないわ。色んなものを食べ飽きた美食家ほど、新しい味に出会えた感動は大きいから。それと、もう一つはこれ」

姉さんは一つの小瓶を取り出した。中には白い粉が詰まっている。

阿呆鳥の肝臓に振り掛け、姉さんが『魔法の粉』と称したものだ。


「『美味の素キーオブザグッドテイスト』と言ってね。昆布や茸や黍や魚粉を混ぜてグルタミン酸ナトリウムを凝縮した……要は、俗に『旨味』と呼ばれる成分の塊。これを掛ければ、世の大抵のものは美味しくなるの。但しさっきも言った通り、違法なやつよ。から密輸するしかない禁物。これ一瓶で家が一軒建つわ」

「へ、へえ……」


「それはねぇ。捕食者が来ても警戒心を抱かずに捕まるがままだなんて、まあ生物としては致命的に未熟だし、阿呆と言われても仕方がないわ。……でもね」


姉さんは――この星で最も恐ろしい災星の魔女は、と首を曲げてわらった。


「美食の為に共食いをするほど本当に阿呆あほうな生き物は、この世で人間だけよ」

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