新田ハジメ③
やはりサチに留守を任せるべきではなかっただろうか。そう思うのは「何か」のアクシデントのためにサチを失うことを恐れているからだと頭ではわかっている。長い間積み上げてきた中でようやく見えた兆し、吉兆を逃すわけにはいかないのだ。サチを処分するとなれば、目的の達成がまた遅くなってしまう。しかし留守も任せられないようではどのみち失敗であったと言わざるを得ないだろう。
——これはテストなんだ。サチが人間と同等の能力をもっているかどうかの。
そう自分に言い聞かせながら歩いていると、いつの間にか目的地の近くに到着していた。坂を下り、きれいに塗装された道を抜けて受付へ向かう。受付には一人の女性が座っている。会釈をすると「いつもありがとうございます」と言って、にっこり笑みを浮かべた。
「お花を」
「はい、いつものでよろしいですか?」
「はい。よろしくお願いします」
花を注文し、金を払う。こちらが金を用意する間に、彼女はかごから花を二束用意した。
「どうも」
「ありがとうございました。お気をつけて」
受付を通り抜けると、そこには自然公園をそのまま小さくしたような、のどかな風景がひろがっている。しかし公園と決定的に違うのは、整然と並べられた墓石だろう。
メモリーガーデンと銘打ったその空間は、まさに人々がその記憶と向き合う園であった。
階段を降りて右へ。桶をとってそこに水を入れる。一番奥の黒い墓石の手前の墓石の前では、灰色のスウェットを着たお婆さんが線香をあげて祈っていた。
「あらあ、新田さん。こんにちはあ。今日は久しぶりねえ」
「こんにちは吉田さん」
「熱心ねえ、あなた。感心しちゃうわあ。まだ若いのに毎週欠かさずお参りにくるなんて」
「とんでもないですよ。吉田さんこそ体調には気をつけてくださいね」
お婆さんは「ク」と「ケ」の中間くらいの声で笑う。
「どうせ老い先短いんだ。少しでも長く爺さんと話してたいのさ」
お婆さんはそう言ってトコトコと去ってしまった。彼女はきっと明日も来るのだろう。
「さて、始めるか……」
まずは前回供えた花と線香を回収してゴミ箱に捨てる。桶にためた水でタオルを濡らし、そのタオルで墓石を丁寧に磨いていく。最後に先ほど購入した花を生け、全ての作業を終わらせる。墓石は太陽に照らされて眩しく光り輝いた。
——ごめんな、しばらく来れなくて。
心の中で彼女に詫びる。あの日から墓参りには欠かさず来ていたのだが、研究の最終段階だったこともあり、今日は久しぶりとなってしまった。
——今日、不安を押し殺してでも来たかったんだ。……君の……命日だからさ。
目を閉じ、両手を合わせる。立ち上る線香の煙。その匂いは、彼女が故人であることをいつも俺に実感させる。
涙は出ない。今さら感傷に浸ることもない。
丁度十年前の今日に妻は、智里は死んだのだ。
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