原田チサ

 先生からサチの世話を頼まれてしまった。とりあえず昼時だったこともあり、学食に案内すると、あまりのメニューの多さにサチは愕然としていた。


「チサ、お、おすすめはどれ?」

「おすすめ? うーんそうだなあ……、からあげ丼、とか」


 おすすめするような商品が他に思いつかなかったので、自分の食べたかったものをそのまま提案する。サチはからあげ丼を頼み、わたしが同じものを頼むと嬉しそうに頷いた。

受け取ったからあげ丼を食べている横で、サチは「すっごくおいしい!」とずっと興奮していた。

 ……やはり厄介なことに首をつっこんでしまったのかもしれないと、今さらながら思う。


⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷


 先生と初めて会ったのは二年前、脳科学の講義の後に直接呼び止められたことがきっかけだった。


「君はこの講義をしっかりときいてくれているよね」


 先生は課題を提出したばかりのわたしに対して出し抜けにそんなことを確認した。


「はあ、ありがとうございます」

「でも基本的には……、不真面目だ」

「……馬鹿にしてるんですか」


 なんだこの先生は。というのが第一印象だ。多分このやり取りをすれば、わたしでなくとも大抵の人がこの人は何を目的にしてこんなことを言っているのだろう、と訝しむことだろう。先生に限らず理系の人間が考えていることはさっぱり理解できない。先生が担当しているこの脳科学の講義だって、ちょっとした興味で選択したはいいもの正直なところちっとも要領を得てない。「こんなの理解できる人の気が知れないよねー」という友人の意見に全面的に賛成である。

 つまるところ、わたしは先生の意図をはかりかねて困惑してしまったのだ。そうでなければ

 

 「君に頼みたいことがある。一緒に俺の研究室まで来てくれ」


という先生の言葉に、「はあ」としか返さず、てこてこついて行くこともなかっただろう。サチを最初に見たのはこのときだった。


「……拉致?」

「違う。あれは人間じゃない」

「人間じゃないってあれどうみたって女の子ですよね?」

「AIってわかるか? わかるよな。人工知能。あれはそれを入れるための、まあ、ハコみたいなものだ」

「って言われても……」


 人間じゃない、なんて信じられないくらい彼女は普通の女の子の見た目をしていた。頭より下は毛布で覆われていたけれど、背格好はわたしと同じくらいだ。黒髪でまつげは長く、なんというか……


「すっごい美人」

「そりゃそうだろ、美人を目指してつくったんだ」

「なんですかそれ……」


 ちょっと引いてしまったわたしをよそに、先生は何やら準備を始めた。その手にはやけにごつごつした、頭に被る形状のモノ。無数のコードがコンピュータとそれを繋いでいた。


「さて、これを被ってくれ」

「……一応訊いておきますけど、何のためにですか」

「そりゃあ、女性の人格を研究するためだよ」


 先生は普段周りには絶対に見せないような笑みを浮かべていた。なんとなく薄気味悪い感じがする。


「それをしてわたしになにかメリットがあるんですか」


 動揺を隠すため、それと先生の真意を探るためにわたしは質問した。


「もちろんあるとも。それも二つな」


 ないわけがないだろう、という顔をしながら先生は指を二本立てる。


「二つ?」

「ああ。一つはAIの受肉という先端の研究に携われることだ」


 もちろんそれはあるのだと思う。人間にしか見えないモノが人間のように行動するなんてきいたこともないし、この研究は世界でも最先端のものであろう。そしてそうしたものに携わることができるということは幸せなことであるとされるのが普通だろう。


「……もう一つは?」

「君の生活、日常に刺激が生まれることだよ」


 不敵に微笑む先生に、「敵わない」と思ってしまった。見抜いていたのだ。わたしが人生というものに飽いていることを。

 秘密組織も黒魔術も、英雄や超常現象や勇者に魔王、そんなものは存在しないし、よしんば存在したとしてもわたしはそれに対して何ができるわけでもないのだろう。普通で、凡庸で、怪獣アニメの第一話でパニックになりながら逃げ惑う市民Aのわたしは、目の前の「普通じゃない」ことに心を躍らせてしまっている。

 ……それに、ここまで関わってしまってはもう引き下がることなどできるはずもない。


「最後に一つだけ。どうしてわたしに声をかけたんですか?」

「うん? んー、そうだなあ」


 先生はじっとこちらを見据えた。


「テキトウだよ。原田チサくん」


⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷


「チサ、なにか考え事?」

 食べ終わったサチに声をかけられ、不意を突かれたわたしは思わず「うひゃあ!」と素っ頓狂な声を出してしまった。「わ、へんな声ー!」と大笑いするサチの姿はまるで大昔からの友人のようであった。

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