実験体1号
「なんでもないよ」と笑うチサがなんだかよそよそしく感じるのは気のせいではないだろう。ついさっき生まれたばかりのあたしでもわかるくらい、チサの声はぶっきらぼうであった。
「チサ、あたしのこときらい?」
「なんでよ。そんなことないって」
スマホを弄りながら答えるチサ。俯いているため表情はよくわからない。しかしその答えにあたしは安堵した。嫌われているのでなければまあ別になんでも良いだろう。
チサと、それに、先生。あたしは生まれる前から二人のことを知っていた。
はじめて驚いたのはちょうどチサのことを知った頃だった。そのときからあたしはあらゆるモノを区別するようになった。たいていは好きなモノと、嫌いなモノ。それから苦手なモノとかおぞましいモノとか、逆に愛らしいモノや素敵なモノ。様々な情報を段々と区別できるようになった。嬉しいとか悲しいとか、さっきまで感じてた不安な気持ちとかそういったモノもこの頃から抱き始めた。
チサのことは好き。先生は……、変だけどまあ好きだ。
あたしはチサのことを知っていたし先生のことを知っていたけれど、それ以外の人については何も知らなかったのではじめ世界にはあたしたちしかいないのではないかと思っていたのだけれど、チサによって学食に連れてこられたことですぐにその考えが改められた。
「さ、ご飯も食べたことだし、どうしようか」
しばらくしてスマホをいじり続けていたチサだったが、さすがに退屈になったのだろう。伸びをしながら尋ねる。
「どうって?」
「暇だし、なんかしよーよ。わたし、あんたの面倒は見るけど退屈したくないの」
そんなこと言われても、と困ってしまう。
「やりたいこととか、なんかないの? なんでもいいからさ」
やりたいこと、と言われてピンときた。
「あたし、タピオカミルクティーが飲みたい」
「お、いいじゃん。わたしも好きだよ、タピオカ」
どうやらチサも乗り気のようだ。
電車に乗って数十分ほどで、渋谷に到着した。まだ五時前だというのに駅には人がごったがえしており、改札を抜けるのも一苦労だ。さっきまで「世界にはあたしたちしか——」なんて考えていた自分の愚かさを痛感した。
「わっ」
人の波にのまれ、流される。チサを見失ってしまうと焦ったその時、
ガシッ
チサに手を取られ、そのまま引っ張られた。
「ありがとう、チサ」
「別に……。はぐれるわけにもいかないでしょ」
チサは握る力を強める。あたしはそれに応えるように手を握り返した。
階段をおりてチサの案内通りに歩いていると、「たぴカフェ」という名前のこじんまりとした店に辿り着いた。
「おいしいよ、ここ」
この店がおすすめらしいということは知っていたけれど、あたしは「そうなんだ!」と感心するふりをした。けれど、「知ってた?」とチサに訊かれたあたしはつい「うん!」と元気よく返事をしてしまった。
「やっぱりね」
「でもでも、来るのははじめてだから!」
あたしは必死で弁明したが、別にチサは怒っている風でもなかった。
「こっちは散々頭の中覗かれてますから」
何を注文しようか迷うあたしをおいて、チサが先に注文カウンターに向かう。
「いらっしゃい、ご注文は……。黒糖タピのMサイズかな?」
「うん、よろしく」
どうやらいつもそれを頼んでいるらしく、およそあたしの知る限り最速で注文を済ませたチサは「次はあんたの番だよ」と目配せしてサチに注文カウンターを指さした。
「お、おなじもので!」
よくわからないけれど、チサと同じものを注文してしまった。
「何、緊張したの?」
注文を終えたあたしに尋ねるチサ。
「ええ、とっても」
はー、と息を漏らしながら言うあたしに対して、ほんの少しチサの頬が緩んだような気がした。
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