新田ハジメ②

 講義はとっくに終わっているだろうに、原田は一向に研究室に姿を現さない。連絡用のメールアドレス宛には一件、「タピってきます」とのことだ。

 サチも戻っていないことを考えると、おそらく二人ででかけているのだろう。

 勝手なことをするものだ。そう思いつつもやはり口元がほころんでしまう。

 原田は本当によく似ている。デスクの上に置いてある写真立てを手に取ると、その中の女性はいつものように微笑んでくれた。

 外をみると、夕焼けが落ちかけていた。あまりゆっくりしてもいられない。サチが動作している以上、今日からは忙しくなるのだ。私は写真立てを戻し、サチが戻ってくるための準備をはじめようとした。


 ぐうううう……ぎゅるる……


「……腹へったな」


 そういえば夕飯がまだであったことを今さら思い出し、急いで財布を持って学食に向かった。


 大学の学食は確か八時には閉まってしまう。今は七時半、ぎりぎりだがなんとかなりそうだ。

 昼間に大量の学生が利用するため、学食は広い作りになっている。入ってすぐに食券機があり、そこで買った食券をカウンターに持っていく。

 カウンターは料理の種類ごとに場所が決めてあるため、自分の食べるメニューによって向かう先が異なる。

 普段は人で溢れているが、さすがにこの時間に利用する人は少ないようだ。

サークルや部活関係で遅くまで活動している学生がちらほらいてそれぞれ駄弁っているものの、喧騒というほどではない。これなら今日も落ち着いて食事をすることができそうだ。

 

 食べ終わってから研究室に戻り、今度こそ準備をはじめる。準備、といってもやることは会得したデータの整理だ。

 既にコンピュータ内部に入っている原田チサのデータ——五感に刺激を与えたときの感触やストレスに対する脳の働きをまとめたものと、サチから新たにリアルタイムで送られてくるデータを照合する。

 それを基に、もしも原田のデータとサチのデータに矛盾があった場合、その誤差を修正する。

 プログラムを書き換えることによってサチはより人間に近づいていくのだ。


 作業自体はそれほど時間がかかるものでもない。

 最後の確認を終えて一息つき、時計を見ると時計の針は十時を告げていた。二人はずいぶんと長いこと出かけているようだ。

 さすがに心配になり、サチに連絡をする。コンピュータ内部にある「サチの意識」に向けてメッセージを送信する。

 サチの方ではタイムラグなくそれを受け取ることができ、送りたい内容を「送ろう」と思ったらこちらに送信され、文章化される仕組みだ。


 ……それなのに、返信にはやや時間がかかった。もしかしてエラーが起きたのかと不安になったがそういう訳でもないらしく、程なくして返信が届いた。


「チサの家に泊まってはだめですか?」


 なんと、そんなに仲良くなってしまったのか。

 予想していなかったので少し戸惑う。

 二人が打ち解けてくれたのは喜ばしいことだけれど、あまり長い間俺の元を離れるのはやはり少し不安だ。

 なにせいつ不具合が起こるかわからない。


「それは困る。やりたいこともあるし戻ってきなさい」

「わかりました、先生」


 今度はすぐに返信された。まあ、断られるはずもないので確認しなくてもよかったのだけれど。


「……戻ってきたらもうひと踏ん張りだな」


 伸びをして一息つき、目を閉じる。

 サチが変なことを覚えて来ないように祈るばかりだ。


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