実験体1号④ 1/2

 どんよりとした空模様の下、少し晴れやかな気分で研究室に戻った。まだ先生は帰ってきていないようだ。

 チサと話ができてよかった。多少は心を開いてくれていたらいいのだけれど。


 それにしても、チサがあの人形のことを知らないとなるとやはり先生が作ったものであると考えるのが自然だろう。

どうして人形を作ったのか。チサの身体であることの意味は何か。先生に訊きたいことは山ほどあるのだけれど、やはり気乗りはしなかった。

 チサのために探らなければと頭ではわかっているのだけれど、先生の秘密を暴いてしまったことで事態が深刻化してしまったという負い目があった。

 それでなくても、自分を作ってくれた、いわば父を問い詰めるということなのだ。

 できることならそんなことはしたくないと思うのが普通だろう。


「いやあ、ただいま。遅くなってごめんな」


 考えがまとまる前に先生は帰って来てしまった。動揺が伝わらないように、あくまでも自然に出迎える。


「おかえりなさい。結構待ったのよ」

「本当ごめん。そのかわりコンビニでご飯買ってきたからさ、今から食べよう。お腹空いてるだろ?」


 先生はそう言ってがさごそとカップラーメンを取り出し、ポッドでお湯を沸かし始めた。あたしが先生の秘密を知っていることは、どうやら気づかれていないようだ。


「そういえば、原田が来なかったか?」

「チサは……来たわ。びっくりしたのよ。今日は来ないって聞いていたから」


 チサと会ったことは伝えるべきではない。それでも今、先生に嘘をつくことができなかった。

 かすかな違和感に考えを巡らせる間もなく会話は進む。


「いやそのはずだったんだがな。出先でばったり原田に出くわしたと思ったら大学に行くって言ったもんだから。課題を思い出したって言っていたけど、そうか。研究室に来たんだな」

「そ、そうだったのね。でもまあ、あたしはチサに会えて嬉しかったし、問題ないわ」

「それなら良いんだ。ちなみにどうして原田はここに来たのか知らないか?」

「知らないわ。遊びに来ただけじゃないかしら」


 そういえば、チサは何をしにここに来たのだろう。質問されてはじめて、あたしはそのことを知らないということに気が付いた。

 チサは何かをしに研究室に来た。でも隠し部屋の中にいるあたしとあの人形を見つけたせいで頭の中がそれでいっぱいになってしまったのだろう。


 チサは先生と出くわした——そこで何かがあって、研究室に来た?


 わからない。具体的なことは何も。しかし先生が謎の鍵を握っているということだけは確実だ。

 探るべき……なのだろうか。

 そんな思いが頭をよぎる。先生がチサについてなにか重大な秘密を持っているということがわかってしまうのが嫌なのだ。そのせいでチサの心が傷ついていると信じたくない。


——あたしが先刻追いかけていなければ、少なくともチサをこれ以上厄介なことに巻き込まずに済んだのに。

 しかし迷いは捨てなければならない。既に自分は戻れない地点を超えてしまったのだ。


「先生」


 カップラーメンにお湯を注ぐ先生に呼びかける。「ん?」と振り向いた先生の顔を見ると、固めたはずの決意が簡単に揺らいでしまう。


「……先生は、あたしが何を考えているのかわかる?」

「そうだなあ……。まあ、大体は」

「あたしをつくった人でも完璧にはわからないのね」

「今のところはね。なんでそんなこと訊くんだ?」

「もう一つ。大体わかるっていうのはどういうことかしら。理由は……他人に何を考えているのか読まれていたら気持ち悪いからよ。先生もそうでしょう? そしてあたしにとって先生はあたしの考えを読むことができ得る人なのよ。だからはっきりさせておきたいの」


 先生は話をききながら、にたにたと奇妙な笑い顔を浮かべていた。「嘘だろ?」とか「予想以上だ」とかよくわからないことを呟く。

 ややあって落ち着きを取り戻した先生は、ぺりぺりとカップラーメンの蓋を開けた。蒸気と共に美味しそうな匂いが立ち上る。


「……君の性格は原田を参考にしてるからな。だから何を考えているのか、ある程度推測できるんだよ。一人でいると寂しい気持ちになることとか、好奇心が旺盛なところとか。……甘い物好きだし……そうだ、カップラーメンのこの味も好きだろ? まだ食べたことはないと思うけどな」


 先生は麺をすすりながら話す。麺を啜っている間は、やけに静まった部屋にズルズルと音が響いた。


「——俺に探りを入れようとまでするとは思っていなかったがね」

「……!」


 先生はゆっくりと腕を上げて、本棚を——否、その裏にある隠し部屋を指さした。


「入ったんだろう? そこに」


 泳がされていたのだと気が付いたときにはもう遅かった。探られているのはあたしの方だったのだ。


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