実験体1号④ 2/2


 やってしまった、と思った。一体いつから先生は気が付いていたのだろう。いや。そんなことはもはや問題ではない。


「まあ、そんなに固くなるなよ」


 先生の言葉が耳を通り抜ける。——見透かされてるのだ。あたしの困惑や緊張といった感情が。

 怯んでいてはだめだ。なんとか自分を奮い立たせる。チサのために、できることはやらないといけない……。

チサについて、先生はどこまで知っているのだろう。


「……どこまで知っているか。それが問題だよな。少なくとも部屋の存在を知ったことまでは把握されている。そこから先——そこに有るものを見てしまったことがバレていたら。そうだよなあ。それはかなりマズい状況だ」


 先生の声は少し上ずっている。興奮してまくしたてる姿に気おされたが、それ以上に自分の考えを寸分たがわず当てられたことで「敵わない」というイメージが植え付けられてしまった。


「でも俺の言い方から、俺はお前がアレを見た確証を持っていないと考えるよな」


 先刻から何も話すことができていなかった。先生はさらに続ける。


「俺が怖いか? サチ」


 先生はそれ以上あたしを問い詰めることをせず、代わりにそう問いかけた。突拍子もない質問をされたことで、あたしの思考がそこに集中する。そしてある一つの奇妙なことに気が付いた。

 別に先生が怖いとか、恐ろしいとか、そういった感情を抱いていないのだ。ただ一つ、


「……気味が悪いわ」


 ぽつりと口をついて出た言葉を聞いた先生は満足そうに頷く。


「そうか……ふふっ、ああいや、すまん。あんまり上手くいくものだからなんだか拍子抜けしてしまってね」

「どうしてそんなことを訊くのかもわからないわ」

「ふふふっ……ああ、そうだろうな。……そうだな、それを説明する前にお前という存在について教えてやろう」

「……どういうことよ」

「まあそう慌てるなよ。俺だってこんなに早く次の段階に進めるだなんて思ってなかったんだからな。わかるか? 予想を裏切られるということについて俺は苛ついているんだ。高揚感もあるがね。学者の性……いや、ジレンマというやつか。しかしそれにしてもつくづく原田は素晴らしい人間だと思うよ」

「どうしてチサの名前が出てくるの。チサが何か関係してるっていうことかしら」

「チサ……チサか。ふふっ……ふふふっ……。なあ、サチよ。お前はどうしてそんなにもチサのためにはたらこうとしてるんだ? お前らの付き合いなんてたった一日二日なのに、お前はどうしてこんな気味の悪い男に、自分の危険を顧みることなく探りを入れようとしたんだ? お前にとってチサという人間はどういう存在なんだ?」


 矢継ぎ早に繰り出される質問はどれもあたしにとって当たり前であることだった。チサが大切なのは当たり前。先生のことも嫌いではないけれど、でもやっぱりあたしはチサと仲良くなりたいし、チサのために動きたい。

 チサのために。

 チサの……ために。

 昨日はじめて話したばかりの……チサ……のため……。


 チ……サ……の…………。


 …………。


 ……………………。


「強制停止成功——どうやら気がついたみたいだな」


 本来ならば目の覚めた者に使われるその言葉は、研究室の無機質な地面に崩れ落ちるあたしに対して向けられたのだった。

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