実験体1号③ 2/2
「……とりあえず、整理させてもらってもいい?」
チサは腕を組み、立ったままそう切り出した。あたしとは一定の距離を保とうとしているようで、近づこうとすると「そのままでいいから」と止められてしまった。昨日までのチサの面影はない。ただただあたしを疑っているような口調と行動にはさすがにショックをうけてしまう。
「アレ、何?」
少し考えてチサはそう尋ねた。シンプルで、かつ核心をついている。
「アレっていうのは……」
「わかりきってるでしょ。あの悪趣味な人形のことよ」
チサは本棚を指さした。元の位置に戻された本棚の裏側には隠し部屋へとつながる扉がある。そしてその中には、チサの身体を模した人形が置いてあった。いや、模倣どころじゃない。質感や感触はまさにチサのそれであり、「チサが眠っている」と言われたらそのまま信じ込んでしまいそうだった。
チサはやはりあたしに近づこうとしない。警戒しているのだ。あたしが先刻していたように、「自分だけが人形の存在を知らなかったら——」という最悪のケースを想定している。しかし実際のところそんな事実は無い。あたしも、そして反応を見るにチサも、あの人形に心当たりは無いのだ。
さらに状況を悪化させている原因は、人形の発見のされ方にある。あたしはチサに対し「人形を隠す」ような行動をしてしまったのだ。「隠す」という行為は見つかったら都合が悪いためにするものだ。するとチサにとって、人形を「チサに見つかるとマズい」から隠したあたしは疑うべき対象に他ならない。あたしが本当のところ何も知らなかったと説明することは思いの外難しそうであった。
「……なんでよ」
「え?」
チサの声は震えていた。少し息は乱れており、歯を食いしばりながら俯いている。
「どうして——あんたは泣いてるのよ!」
「泣く……あたしが? え?」
ポタリ、と足元に水滴が落ちる。そのときはじめて涙が頬をつたっていることに気が付いた。
「え? え? どうして?」
「ッ…………! 答えて! あんたはあの人形のことを前から知っていたんでしょ。それを知ったあたしはこれからどうなるわけ?」
狼狽するチサ。どうしてあたしは涙を流しているのだろう。そんなことよりも大切なことがあるのに。チサに、わかってもらわないと。あたしが味方だって。わかってもらわないといけないのに。
「チ、チサ。おち……っおちつい……て」
うまく声が出せない。呼吸が上手くできない。言葉よりも嗚咽の方が多くなってしまう。
「意味わかんない……! なんで? なんでなの?」
「ごめんなさっ……チサ……。怒らないっ……で」
「何、わたしに疑われたらとにかく泣いて誤魔化すようにプログラムされてるわけ?」
「ちがっ……」
「じゃあ泣き止みなさいよ! そして説明しなさい! あの人形はなんなの? どういう目的で作ったのよ!」
もはや二人とも状況が呑み込めていなかった。昨日まではただただ心地よかったチサの言動や態度が今はただただ恐ろしかった。直接自分に向けられた敵意は十分に恐怖の対象たりえたのだ。
「……わかった。もういい。わたしは帰る。もう二度とここへは来ないから。……先生にそう言っといて」
チサは背を向けて、研究室から出て行ってしまった。
あたしは追いかけるべきなのだろうか。追いかけて、上手くチサを説得できるのだろうか。
——違う。できるかできないかじゃない。やらないと。今、チサを追いかけて誤解を解かないと。
涙を拭いてドアを出る。さっきまでとめどなく流れ続けていたのに、驚くほどぴたりと止まった。チサに誤解されたままでいる方がよっぽど嫌だ。それに比べたら、すこし敵意を向けられることなんて気にもならなかった。
チサは家に帰ると言っていた。今から駅まで走ればまだ間にあうはずだ。
——プログラムされてるわけ?
チサの言葉が頭をかすめた。しかしそんなことよりも、チサにどうやって納得してもらうかということに集中しなければならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます