原田チサ③ 2/2
「あら、降ってきちゃったわね」
乾いた地面にぽつぽつと水玉が付いていく。わたしと母はお参りを済ませ、近くの喫茶店に向かって歩いていた。そこで先生と待ち合わせをしているのだ。正直なところ面倒くさかったが、それよりも母の提案に背いて帰ろうとする方がよっぽど厄介であるとわかっていたので素直に二人で喫茶店に向かった。
店に入ると、先生はもう既に何か注文しているようだった。入って右手側奥のテーブルにつき、カップを口に近づけていた。
「遅くなってごめんなさいね」
母が声をかけて先生はこちらに気が付く。
「いえ、そんなに待っていませんので。どうぞ」
「あら、ありがとうございます」
座るように促される。ウエイトレスに注文を尋ねられたので、わたしは黒糖ミルクティーを、母はアイスコーヒーを頼んだ。支払いは大人のどちらかがもってくれるだろうから、その点に関しては運が良いと言える。
それにしても、「この後よろしければ少しお茶でもどうですか?」なんていきなり言われたのに先生は少しも迷惑そうではなかった。今もにこやかに母と話している。普段の先生はもっと不愛想で失礼な雰囲気があった気がするのだけれど、そんな面はおくびにも出さない。これが社交辞令というものなのか。
「それにしても驚きました。まさか原田が……いえ、チサさんが一緒にいらっしゃるとは」
二人の話をききながら大人の付き合いの仕方に感心していると、先生は突然聞き逃すことのできないことを口にした。
——まさかチサさんが一緒にいらっしゃるとは?
わたしにとって「まさか」という言葉が向けられる対象は先生であった。それは、わたしにとって智里おばさんの墓参りに来るということが至極当然のことであり、むしろどうして先生がその場にいたのかという疑問を強く抱いていたからだ。
つまり、先生の発言は本来であるならばわたしが言うべきことであるはずだった。「まさか先生がこの場所にいるなんて」と。そして「どうして母と知り合いなんですか」と。そのように尋ねることこそが自然であるはずなのだ。
「ええ、そりゃあチサはわたしの娘ですもの」
「ですから、驚いているわけですよ」
「それを言うならこちらこそですわ。新田さん、大学教授でしたのね。しかもチサの通う大学の」
なおも親し気に話し続ける二人。わたしだけが会話に取り残されてしまっていた。
「そうですよね。でもチサさんが妻の……智里の姪であるということには不思議と納得できました」
「あらそうですか? この子、智里ちゃんのこと大好きだったから。何するにも智里ちゃんの真似ばっかりして」
「そうなんですね。どおりで——」
先生は言葉を途切れさせる。わたしが急に立ち上がったせいだろう。
昔からおばさんに「似てる」と言われることが嫌だった。わたしは自分の意思で何もかもやっているはずなのに、まるで頭をからっぽにしておばさんの後追いをしていると思われていると思うと言いようのない怒りが込み上げてきたものだった。音楽もゲームも映画も、わたしがそれを好きだから追いかけているのに、「本当は違うんじゃないか」ということを考えてしまう。自分がひどく空虚な、空っぽの人間であるように感じてしまうことをわたしは恐れた。その恐れが怒りに結びついていたのだとわかってからは、空っぽであることを受け入れることした。一度認めてしまえば、あとは楽なものだった。毎日毎日、変わらず過ごすことのなんと快適なことだろうか。
サチに関わろうと思ったのは少しの好奇心からだった。おばさんがやっていなさそうだったから、わたしだけしかやらなそうなことだから、わたしは先生に協力することにしたのだ。
「——どこかへ行くのか?」
先生はわたしに尋ねる。母はおろおろとしている。黒糖ミルクティーとアイスコーヒーを持って来てくれたウエイトレスは状況がよくわかっていないようで、立っているわたしをよそに「お待たせいたしました」と言ってコップをテーブルに置いた。
どうして立ち上がったのかは自分でもよくわからなかった。別にどこかへ行こうとしたわけでもない。——しかしわたしは立ち上がった。
奇妙な感覚であった。先ほどから続いていた先生と母の会話。その内容をふまえたからだろうか。おばさんの真似をしていると言われたわたしが感じたのは、怒りではなく不気味さだった。
「ちょっと……大学に。レ、レポート。まだ出してないの思い出しちゃって……」
とっさに嘘をついた。そのまま店を出ようとしたが、先生は何か感じ取ったろう。
「……そうか。サチによろしくな」
先生の言葉を背に受けながら店の外に出る。
——大学へ向かわなくては。
それは勘違いかもしれない。突飛な想像かもしれない。しかしわたしは疑問に思ってしまったのだ。以前本人から聞いたことであるのに、もう一度その疑問を抱いてしまった。
——どうして先生は「わたし」のデータを取ったのだろう?
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