新田ハジメ⑤ 3/3

 不老不死。それは読んで字のごとく、老いることも死ぬこともない、ということだ。漫画やアニメの世界ならまだしも、現実にその単語を聞くことになるとは思っていなかった。

 そしてその言葉を発した張本人は、のんきに頬杖をつきながら、長い髪の毛先をくるくるといじっていた。


「ねえ、聞こえてた?」


 黙りこくっている俺に、智里がしびれを切らしてもう一度話しかけた。


「聞こえてはいたけれど……。不老不死、だって? 興味あるかどうか以前の問題だ。考えたこともなかったよ」

「あら意外」


 智里の姿勢は一切変わらず、ちっとも意外そうではなかった。


「じゃあもしも可能だったらでいいや。どう?」

「……興味はある。ただ、怪しげな勧誘は勘弁願いたいね」

「ふふ、そういうと思った。わたしが言うのもなんだけど、怪しい話じゃないよ。ハジメくんの好きそうな、極めて理論的な話。……場所変えようか。混んできたし」


 智里はトレーを持って立ち上がった。智里の言う通り、学食にはますます人が増えてきてもはや空いている席を探す方が難しいほどだったので食べ終わった俺たちはすぐにでも移動する必要があった。

 あるいは智里も、これ以上猿共の近くに居たくなかっただけかもしれない。

 俺と智里は学食から少し歩いたところにあるベンチに座った。梅雨があけたばかりなのでまだ湿気た風が吹いていた。


「やっぱりクーラーって苦手だなあ。外の方がなんだか気持ち良くない?」


 上着を脱ぎ、手のひらを上に向けて——伸ばす。まったく同感だった。


「さあそんなことより! 話の続きをしよっか」

「ああ」

「じゃあ問題。わたしの研究分野は何でしょうか」

「まだそんな問答をするのか。そのくらい言ってもいいだろ」

「……まあ、たしかに。わたしもちょっと興奮しちゃってるのかな」

「それで、智里は何を研究しているんだ」


 千尋は右手の人差し指の先を自身の頭に向けた。


「脳だよ。脳科学。もっと言うと、記憶について」

「……なるほどな」

「さすがハジメくん。わたしの言う不老不死はお察しの通りだよ」


——記憶の移植。自分と全く同じ記憶を別の肉体に移し替えるだけで、人格は不滅のものとなる。


「理解はできるよ。でもな、やっぱり俺はそんなの興味ない。たとえ可能だとしても、それは人間が踏み込んでいい領域を超えてる」

「……ふうん」


 今度は心底意外そうな顔をする智里。その綺麗な目には小さな狂気が含まれており、思わず身震いしてしまった。


「まあいいや。じゃあ手伝うだけ。わたしの不老不死計画をね。それなら良いでしょ。ヒトの領域からはわたし一人が出ていくからさ」

「待てよ、俺はやらないと言ったつもりなんだぜ」

「いいや、ハジメくんはわたしに協力するよ」

「……なんでだよ」

「一つ。ハジメくんはこんな面白そうな提案に本当は心躍らせているから。そしてもう一つ。協力してくれないならわたしは金輪際ハジメくんと関わらないということをたった今知ったからです。これでダメなら引き下がるけどさ。……理解者を失って孤独に苦しめられるのはもう嫌でしょう?」


 智里の言うことは全てにおいて俺の本心を貫いていた。その聡明さに、その優秀さに、俺はただ屈するしかなかった。


「……一つだけきかせてくれ。どうして俺に目をつけたんだ」

「ん? うーん、そうだなあ。なんとなく……ううん。きっとそれがテキトウだったんだよ」


⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷


 智里は抜群に優秀だった。学部生でありながらその知識は既に教授を凌いでいたと思う。およそ俺が疑問に思うこと全てに解答を用意された。智里の話を聞けば聞くほど、夢物語だったはずの——不老不死計画が現実味を帯びていった。


 俺は智里の理論を技術的に可能なものにするため、工学を学んだ。学生の面倒をあまりみなくて済むため、文系の大学で講師として脳科学を教えながら、計画のために研究を重ねた。


 常に一緒にいても違和感がないように智里と結婚した。


 智里は理論を完成させ、「肉体」を用意した。そして俺が必要な装置の開発に成功した頃に、亡くなった。


「ハジメくんと出会えてよかった」


 智里は何度も俺にそう言った。


 二日か三日か。早ければ明日の内に、片がつくだろう。


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