case.2 Two Fugitives




「いやいや、本当はこんなつもりじゃなかったんだ。思ったよりやっこさん達の動きが早くてね」

 非難の気配を感じてか、フルフェイスの男がそんな弁明をする。しかし当然だが、事情を知らない私にそんな言い訳が響くことはない。

「あなたは一体誰なの?」

「俺は切原きりはら礼士れいじ。今は君のSPくらいに思っておいてくれ」

 切原、そう名乗った男の名は当然だが少しも聞き覚えのないものだった。

「何で私はここに?」

「いろいろと込み入った事情があってな。本当は一からちゃんと説明をしたいんだが、見ての通り状況が切迫している。とりあえず、俺は君の味方だ。これだけは信じてくれ」

「顔も見えない相手を信用しろっていうの?」

 そんなの無理だ、ほとんど反射的にそう思う。切原の顔面は分厚いヘルメットに覆われ、こちらからはその視線すら窺うことができない。視線が合わないという事実は、それだけで人の心証を少なからず悪くするものだ。

 かといって無論、この状況を打開する選択肢が他に、少なくとも私に何かあるというわけではない。だから正直言って、これは単なる感想でしかない。そしていくら何か言おうと、当面はここで大人しくしているしかないのだ。私の言葉はこの慌ただしい現状においては、実際何の意味も持たない。

 が、しかし切原にとってはそうでもなかったらしい。

「なるほど、無理もないな」

 彼が一瞬、ハンドルから手を離した。何をする気なのだろうかと警戒する私を尻目に、素早くフルフェイスに両手をかける。慣れた所作でヘルメットから頭部を抜き出すと、中から現れたのは、目付きの悪い若い男だった。

「これでいいか?」

 現れた彼の風貌を描写するならば、概してテキトーな感じというところだろうか。特別決まっている訳でもないゆるいパーマに、剃り忘れられたように点在する髭。緊張感のない話し方もあいまって一見すると非常にラフな印象を受けるのだ。しかし、それでイメージを決定してしまうには、人に向ける眼光が鋭すぎた。睨むとまではいかないまでも疑うような目線。全体的に少なくとも優男とは言えない。別に不快に思ったり、不安を感じさせるような人間だというのではない。しかし一方で、お世辞にも信用しようという気を持たせるような顔付きではなかった。

 しばらくただ観察していたからだろうか。私が彼のその行為に呆気に取られているように見えたらしい。男がにやりと片側の口角を吊り上げた。その的外れなしたり顔に腹を立てながらも、しかし、当面は信頼してやってもいいかもしれないと思い直す。

 ずっと視線が合わなかったのは、もちろんヘルメットのせいもある。しかしそれ以上に、彼が前方とサイドミラーに集中していたからだ。後ろからの襲撃にそれだけ気を払っているのだから、すぐさま私に危害を加えるということもないだろう。そういうことにしてやろうと思ったのだ。

「逆効果だったんじゃない?」

 私は彼に皮肉付きの笑みを向けた。一瞬虚を突かれてから、切原も困ったように笑った。

「それじゃ、まずはこの追いかけっこを終わらせないとな」

 彼がアクセルをこれまで以上に強く踏み込んだ。残念ながら、客観的に見てその行動にあまり意味があるとは思えない。周りには他の車両もある。小回りが利くとはいえ、こちらの方はそれらの障害物を回避しながら進んでいかなければならないのだ。そうなればいずれにせよ、減速は必至だった。

 案の定、追いかけるワンボックスも加速した。プレッシャーをかけてくるつもりだ。ひょっとすると、私たちを捕まえるのが向こうの目的ではないのかもしれない。切原が判断を誤って、結果的に私たちの進行が止まればそれでいいのかもしれない。

 状況はジリ貧だ。切原もそのことはわかっている。その上での、だからこその前のめりという選択だろう。状況を打開するためのやけっぱち、とはいえ今、それ以外に方法があるというわけではない。一か八か、加速をかけてこの窮状を抜け出すしかないのだ。

 逃亡と追跡、両者の速度が高まるにつれて否が応にも緊張感が高まった。そして、その空気が最高潮に達したかに思われた、その時だった。


 キュルキュル、という空気を切り裂く音が聞こえた刹那、背中で爆発が起きた。


 低く鈍い、こもったような音が弾けた。突如、風が背後から強く吹き抜ける。慌てて切原はブレーキに足をかけた。何事かと後ろを振り返れば、白いワンボックスの姿は確認できなかった。いや、正確に言えば背後一帯の様子が確認できなかった。おそらく爆発で発生したと思われる黒煙に包まれて、一切の状況が視認できなくなっていたからだ。

 一体誰が、何をしたのか。その答えは、案外早く明らかになった。

「そいつは俺の標的だあ!」

 黒煙から飛び出したのは、一両の真っ赤なオートバイだった。それに乗る男の顔は人間のものではない。それはまるで、

「トカゲ…?」

 トカゲ男はこちらを目掛けて一直線に走ってくる。その男は黒革のグローブをこちらへと伸ばした。みるみる内に男と私との距離が縮まる。

「クソッ!」

 切原が再度アクセルを力強く踏み込む。それと同時に爆発の煙の中から、追走していたワンボックスが再び姿を現した。車の乗り手は再び拳銃を取り出し、今度はトカゲ男のバイクを撃つ。そしてその銃弾は、赤いオートバイの後輪を捉えた。

「っ、まだ生きてやがったか!」

 トカゲ男が捨て台詞と共に激しくスリップし、後退して行く。彼の手は、私の背中の数十センチ後方をからぶった。

 見ればトカゲ男の闖入のせいで、私たちとワンボックスの間には相当な距離が開いていた。

「しっかり掴まっておけ!」

 切原がそう叫ぶと共に、ハンドルを左へ切り、大きく加速する。みるみる内に、視界から追走車の姿が消えていく。私たちを乗せたオートバイはそのまま一度も速度を緩めることなく走り続けた。最終的に辛くもカーチェイスから逃げ仰せたということを実感したのは、三つ目の赤信号を無視せずに停止した時だった。

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