case.16 Fire on the each other's side

 中学生の頃、家族で星を見に行ったことがあった。

 初夏のよく晴れた蒸し暑い夜、私は初めて実物の満天の星空というものを目にした。そこは有名な観測スポットであるらしく共に空を見上げている人も少なくなかったが、彼らの存在が気にならないくらいその景色は圧倒的だった。教科書や小説の中に出てきた星々が、今は私の頭上にいる。これまで別世界の物のように感じていた天体という存在は、ちゃんと同じ世界に属しているのだ。私はその輝きに目を奪われると同時に、それほど強大なものがすぐ近くに居るということにむしろ恐怖に近い感情すら抱いていた。

 祖母が星雲に関心があった影響か、父は夜空を埋め尽くす星について人並み以上に詳しかった。父は天の川を指差して、有名な織姫と彦星がどのようにすればどの辺りに見えるかを教えてくれた。きっとその場にいた人々の目当ても同じだったのだろう。見ればみんな、同じような方角を見上げて立っている。私も真似をするようにその二つの星、すなわちベガとアルタイルを見上げる。二人の間には屹然と天の川が流れ、その中を泳ぐようにして白鳥が隠れている。彼らは常にこの距離感を維持したまま、私たちの前に姿を現すのだ。全ての星が数千万から数億年、あるいはそれ以上の間、少しも距離を縮めることなくそれぞれの立ち位置を守り続けていた。一年に一度しか会えないという織姫と彦星でさえ絶対にその矩を越えない。二人は天の川という激流を挟んでしか対面しないのだ。

 むしろ、それくらいが案外ちょうど良いのかも。私はそこから微動だにしないまま、全天の星々と同じ世界の住人としてそんなことを思った。



「僕と君が手を組めば、ブラックサンズの奴らと対策本部の両方を出し抜ける。フーリエを助けて、三人でそれぞれ元居た世界に帰ろうよ!」


 フェーザの訴えがどれだけ現実的なものなのか、それはわからない。しかし、彼の予想は強ち大外れというわけでもないように思う。私には近々、験体の召喚作戦の詳細が知らされることになっているし、フェーザにはあれだけの(大の大人たちを警戒させるだけの)力がある。成功するかはともかく、一波乱を起こして動揺を誘うこと自体は容易にすら思えた。


「あなたの身体、自分のものじゃないのね」


 私は彼を指差して言った。


「ああ、奴らが適当に拵えたんだ」


「不便?」


「いや? 見た目は気に入らないけど、実生活で特に困ることはないな。何より、いざという時に代えが利く」


 そう、私は小さく口を動かした。便利なのね、ならああいう身体も悪くはないのかしら。私は自分が彼の身体を使っているところを想像した。不思議な感じはするけど、身なりさえ気を付ければ案外悪くないような気もする。もちろん特段良いと思うようなところもないのだけれど。


「残念だけど、あなたの仲間にはなれないわ」


 真っ白な身体に関する空想を適当に切り上げて、私はフェーザに返答した。数十秒は真剣に考えてみたのだが、私にはそれ以上に良い回答ができそうになかった。

 フェーザにとっては、その答えはいささか意外なものだったらしい。その言葉を聞いた途端、彼はちょっと驚いた顔をした。そして、その顔をすぐにいつもの余裕めいた笑みに切り替わると、私が忘れ物をしていないか確認するかのように尋ねる。


「どうしてだ? そんなに対策本部の人たちは信頼できるのかい?」


 脳内に、本部の人たちの顔が順番に思い浮かんだ。信頼できるかと言われるとわからないが、少なくとも彼らと話していて嫌な気持ちはあまりしない。それに、印南には(それが当然の責任なのだとしても)既にいろいろとお世話になっている。だが、私が答えを決めたのはそういう理由からではなかった。


「違う。そういうことじゃなくて、あなたの提案があまり魅力的には見えなかったの。どれだけあなたを信頼できるかわからないし、どれだけ作戦が成功するかわからない。わざわざ乗るほどの作戦ではない、って思ったのよ」


 私は別に、本部とフェーザを天秤にかけたわけではなかった。切原たちを判断材料にするには彼らのことをあまりにもよく知らなすぎる。それに、いざという時に人がどうするのかということはいつだってその人の自由であるべきだ。私には彼らが裏切るかどうかを決める権利はない。

 だから判断したのはフェーザの提案に乗るか乗らないかということだけだった。その二択で考えれば答えは案外すんなり決まった。フェーザの作戦は乗れないというほどではなかったが、それでやってみようと思えるほどには建設的じゃなかった、そういうことだ。


「君は僕と同じ立場だから、わかってもらえるんじゃないかと思ったんだけどな」


 私がした釈明はフェーザにショックを与えたらしかった。もちろんフェーザに起きていることは私にも起きうることなのだろう。だから彼は、ブラックサンズが信頼できないのと同様に本部も信頼できないんじゃないか、そういう問いかけをしたのだ。だが、そのことは私にはあまり重要には思えない。


「わかってる? このまま行けば君かフーリエのどちらかは死ぬことになる。囚われた彼女が無抵抗に殺されたとして、君は本当にそれで良いって言うのか?」


 私は懐にしまった写真の少女を思い浮かべた。フェーザの物言いに従えば、彼女を殺すのは私だ。しかし、私にはそのことを上手く想像することができなかった。私がフェーザの提案を蹴ったことと、フーリエと言う少女が死ぬことはどうしても別の問題としか思えなかった。その二つに、私が会議の時にフェーザを殺すと息巻いたことを加えて並べても良い。フェーザに言わせれば、あるいは本部の誰かに言わせたとしたって、その三つは連続した一つの出来事の流れなのだろう。だが私にとって、それら三つはそれぞれの事象でしかなかった。それは適当に取り出されたパズルのピースに過ぎなかった。確率として無いとは言い切れないが、基本的にはそれらが噛み合うはずもないのだ。

 フェーザは私の沈黙を是と受け取ったらしかった。私は一人の少女が殺されて良いなんて考えていない。単に、肯定も否定もできなかっただけだ。だから、その受け取り方は不服ではあったけれど、そんなことには微塵も気付いていない様子でフェーザが言った。


「君は僕たちにちっとも同情してはくれないんだね」


 恨みがましい視線は身体の全体に注がれているように感じられる。私はこういう視線をよく知っていた。この世界に来る前に、何度かこういう目を向けられて似たようなことを言われた記憶があった。だから大きなため息をついた後で、今までそうしてきたようにいつものように真摯に答えた。


「私にはどうしても人の事情って対岸の火事のように思えるのよ。ごめんなさい」


 その言葉を聞かされて、フェーザは憤慨したようだった。すぐに何かを言い返そうとしたが、しかし彼は別の何かに気が付いてそれを取り止めた。彼の視線は私の方には向いていたが、実際には私の先、大通りの辺りに注目しているように見えた。


「あれ、待たせちまったか?」


 振り返った私は、そこに切原のシルエットを認めた。彼は去った時に抱えていた紙袋を二つに増やして、私の方へと歩いてきていた。買い物を終えて戻ってきたのだ。

 直感的に危険を察して再度路地の奥を振り替えると、フェーザはもうそこには居なかった。きっと交差した路地からどこかへ逃げたのだろう。


「こんなところで何してんだ?」


 急に辺りを見回した私に、背後から切原が間の抜けた声をかける。

 さて、本当のことを言うべきか、ここであったことを隠しておくべきか。きっと今日あったことを伝えれば、また事態はややこしくなるに違いない。対策の検討を巡って切原のやることは増えるだろうし、私に対する周囲の視線がさらに奇異なものを見る目に変わるかもしれない。

 一度深くため息を吐く。まったく、そんなのは冗談だ。私には言わないという選択肢は端からなかった。全部くだらない妄想だが、それくらいはさせてほしい。なんせここ数日でいろいろなことがありすぎるのだ。

 意を決して、私は口を開いた。それはとてもなげやりな口調だった。


「ヘッドハンティングを断っていたの」

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