case.29 Duetude

 私の言葉を聞いて、フェーザが飛び上がった。そのまま背後に下がり私たちから距離を取る。ここはシティからは少し距離のある運河だ。彼は運河へと流れ込む水道を逆行して、暗闇の中からこちらを睨み付けた。


「僕を欺こうって腹かい、随分演技が上手くなったじゃないか!」


 今にも噛みつかんばかりの勢いでフェーザが息巻く。しかし、彼の顔にはたしかに動揺がある。私たちの言葉を心のどこかで否定しきれない彼が居るのだ。


「本当よ、フェーザ。フーリエという少女は初めからこの世界には存在しなかったのよ」


「そんなわけがない! 僕はたしかに、あの暗闇の中で少女の意識に会っている!」


 彼はなおも否定を重ねる。しかし、彼がいくら否定を重ねたところで、それが少女の実在を確信するところまでは決して至らない。なぜなら、彼の体験こそがむしろ少女の実在を前提としてしまっているからだ。私は彼を刺激しないように、アランが私たちに伝えてきた『事の顛末』という奴を噛み砕いてフェーザに説明する。


「考えてみて。奴らはあなたの意識だけをこちらに連れてきて暗闇に放り込んだ。それならその意識が、ある方向性を持つように働きかけることもできるとは思わない?」


「う、嘘だ。証拠はあるのか!」


「あなたが信じるかはわからないけれど、あなたが管理されていたであろう意識の培養炉と、そこに特定の電気信号を流す機械は発見されている。それに何より」


 私はフェーザと、それから私とを落ち着かせるために一旦息をついた。私がまくし立てることによって彼が平静を失うのは本意ではない。そして、十分な間を取ってから、私たちが見逃していたブラックサンズの実態を彼へと突きつける。


「戦闘行為をあなたに頼り切っているような組織が、異世界人を一人多めに囲っておく余裕があると思う?」


 以前『評議会』にてアランと交渉した時のことを思い出す。あのとき切原は余計な異世界人を召喚するコストについて言及し、それは会議内でもかなりの同意を得ていた。もちろん、米内曰く私とフェーザを召喚するコストはかなり異なる。それでも、ブラックサンズが戦場に投じた負領者はフェーザ一人だった。それはとりもなおさず、彼らの資金力の限界を示している。

 彼らのやったことは簡単だ。まずはフェーザを拉致し、暗闇の中の彼にもう一人少女が居るという意識を植え付ける。そして肉体を与えた後で、その少女を監禁したこと、そして、元の世界に返してほしければ験体の命を奪えと命令するのだ。たったそれだけのことで彼らは最小限のリソースで強力な兵器を手に入れることになる。自分で言っていても虫酸が走る話だと思う。ブラックサンズは初めから使い潰すつもりでフェーザを利用したのだから。

 フェーザは私の言葉を聞いて、さっきみたいに言い返したりはしなかった。それはおそらく彼にとってもその言葉が説得力のあるものだったからだ。彼はもはや、状況的に私の言うことが正しいらしいということを察しつつある。しかし、それに反対する意識も、彼の中には強烈にあるのだ。もちろん私には何も言えない。それ以上のことを決めるのはフェーザの領分である。


「もういい、そんなことは聞きたくない」


 やがて、フェーザは押し出すように言った。それははっきりと拒絶の言葉だった。残念ね、そう返そうとして、しかしそれは叶わない。


「危ねえ!」


 横にいた切原が、私を後ろへと強く引っ張った。仰向けに倒れた私の頭部を彼が腕でガードする。頭上で大きな音が弾けた。爆発だ。彼が暗い所にいたから、私の目には黒い塊が映らなかったのだ。

 私たちが起き上がるのとほとんど同じくらいのタイミングで、水道からフェーザが飛び出してきた。


「僕はお前を殺す。真偽を確かめるのは、その後で良い」


 彼は両の足を開いてピタッと着地し、私を睨み付けながら言った。やはりどう状況が転んだところでこうなってしまうようだ。多少の落胆を覚えながら、電灯の下に照らされた彼の姿を改めて視認する。誰がどう見たって酷い姿だ。生傷や痣は身体中に広がり、流血の一部は時間が経って黒ずんでいるものだから、初めに会った時の不気味な色白さは完全に失われている。以前から傷の目立っていた左腕はもはやただ垂れ下がっているだけ、足もよく見れば震えるのを必死に堪えて何とか立っているという始末だ。切原がもはや動けないとか、虫の息だとか言った理由がよくわかる。彼はずっと前から、私への執念だけで立ち続けているのだ。


「あなたは下がってて」


 私は切原を押し退けて、彼の前に一人立ちふさがった。そして、腰に装着した拳銃を抜く。彼が私への執念をまだ持っていると言うならば、それを断ち切って彼と話をしなければならない。私はそのためにここへ来たのだから。

 私たちは睨み合ったまま、西部のガンマンさながらに静止した。二人はともに何かのきっかけを待っていた。それはあたかも水面下で、どちらが先に自分に有利な時間を手繰り寄せることができるかを競い合っているようだった。やがて、フェーザが先にその時を見付けた。彼は右腕を不意に私に向かって突き出して拳大の黒い塊を射出した。それは本来私を殺すには不十分な大きさだったが、今の彼にはそれが限界なようだった。黒い塊を見定めて、私もまた手に持った拳銃を真っ直ぐ彼へと向けた。そして、しっかりと狙いを定めて引き金を引いた。

 銃弾は予想通りの軌道を飛んだ。対してフェーザが放った黒い塊はよれよれの球が重力に負けるように、腿の辺りへと着弾しようとしていた。瞬間的に私はそれを回避することはできないと悟った。もっとも、初めから避ける気なんてなかった。これくらいは覚悟しないと、ちゃんと狙い通りに撃てる気がしなかったからだ。

 ところが、不意に黒い塊がその場で爆発する。それによって発生した爆風に私が驚いている内に、一方の放たれた銃弾はフェーザの腹部を的確に捉えた。

 うっ、と小さい呻き声を上げてフェーザが仰向けに倒れた。私は少し視線を上げて辺りを見回す。予想通り、運河の向こうの影で何やら動く影があった。それはよく見ると、あのトカゲ男のシルエットだった。あの男が黒い塊を狙撃したのだ。


「何者だ?」


 咄嗟に銃を構えた切原を私は手で制した。遠くのトカゲ男は銃を肩にかけると私に向かって指を一本立て、すぐにその場から立ち去った。貸し一つ、というわけだ。


「厄介な恩を売られたわね」


 当たりどころが悪ければ、さっきの黒い塊で私の脚はどちらか一本吹き飛んでいたかもしれない。それを助けられたのだから、あのトカゲ男に対して私が負った借りもその程度大きいということだ。以前地下で彼とした約束を思い出して苦笑する。まったく、大層なことを言うもんじゃない。

 トカゲ男への返済は後で考えることにして、私は倒れたフェーザの元へと向かう。彼は撃たれた腹部に手をやりながら、空に向かって大きく一度吐血した。近付いてその表情を覗き込むと、そこにはさっきまでの激しい憎悪や今まで見てきたような余裕めいた笑みはない。彼は本来の年相応の少年の顔で、痛みに顔を歪めながら吐き捨てる。


「クソッ、死にたくねえ。何でだ? 何で僕は孤独に死ななくちゃいけない? こんなことってあるかよ」


 フェーザの目の端から涙が零れる。彼の口元には湿ったままの血が浮かんでいる。これだけの出血があればもう意識も朦朧としているはずだ。それでも、鼻を赤くして、声を震わせながら、彼はなおも話すのを止めない。


「元居た世界には帰れず、唯一この世界で信じた人も実在しなかった。ねえ、僕はどうすれば良かったんだ? どうすれば僕は君のようにできたんだ?」


彼の質問に私は答えることができない。そんなことは私にはわからないことだ。確かに私は彼から見たら上手くやったのかもしれないし、もしかしたらそもそも私と彼の立場は反対だったかもしれない。だが、私は彼ではないし、彼は私ではない。私と彼は互換できる人間じゃない。だから二人の間に、そもそもそういう問いを立てること自体が不毛だ。

 一瞬口を開きかけて、しかしやはりそれを取り止める。彼に何か言葉をかけてあげたいという気持ちはたしかにあった。だが、そんなことを言って何になるというのだろうか。それはいなくなる者への慰めにしかならないし、そんな押し付けがましいことはなにより私が容認できない。

 結局いつまでも言葉をかわさないまま、私とフェーザは見つめあった。そして、フェーザが諦めるように先に視線を外した時、私の頭に何かが降ってきた感触があった。空を見上げる。降ってきたものを確かめて、どうりで寒いわけだと思った。それはとんでもなく季節外れの雪だったのだ。


「もう四月なのに…珍しい」


 思わず困惑して呟いた言葉に、なぜだかフェーザが反応した。彼は一瞬強く目を見開いてから不思議と柔らかな笑みを作った。


「君の世界ではこの時期の雪は珍しいのかい…?」


 それは今までの彼らしい、こちらをからかうような言い方だった。


「…ええ」


 彼の言いたいことを察した私は、少し眉を下げながら口元に微笑みを作る。


「なんだ、僕の世界と同じだ」


 フェーザは真理を言い当てたかのように満足気にそう言った。そして、それだけ言うと彼は黙って目を閉じた。そして二度と開くことはなかった。こうして私を宿敵とか同類とか呼んだ男は、静かにこの世界から去っていった。

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