case.30 A possible Link
その後のことをいくつか語らねばならない。
フェーザを失ったブラックサンズは拠点を制圧されたこともあって、瞬く間に壊滅状態になった。有力者との繋がりが政治的に解決され、徐々にではあるが工作員も逮捕されつつあるようだ。組織自体がどのような最後を迎えるかはわからないが、これまでのように軸座修正に対する妨害を目論むことはできなくなりそうだ。
事件の収束を受けて、対策本部内の空気も少し緩み始めた。治療を受けていた米内も無事に回復し、切原たちは『評議会』への報告も含めた事後処理に追われている。もっとも本人は会議でアランの介入について問いただしてやると息巻いているみたいだが。
私はと言えば、印南の経過観察を受けつつわりかし落ち着いた日々を過ごしている。世界軸修正のXデーまではあと二週間ほどあるのだ。今からせかせかしていてもしょうがない。変わったことはと言えば、以前からお願いしていた武術の鍛練をさせてもらえるようになったことだろうか。今は派遣されてきた軍隊出身のムキムキの女の人のもとで基礎体力を付けている。
それからもう一つ、例の共同スペースに住人が増えたことも忘れてはならない。102号室にもう一人の異世界者、小林ヒロキが入居したからだ。彼はまだ10歳の子どもなのだが同年代の子と比較してわりとしっかりしており、突然の環境の変化に戸惑いながらもこの世界に適応し始めている。とはいえさすがに全部一人でやるというのは無理があるので、私が食事や洗濯などできる範囲で生活の面倒を見ることになった。まあ同じ世界から急に連れてこられたということもあって、私たちの関係は比較的良好だとは思う。
あの雪が降った日から、もう三日が経っていた。私は空を見上げる。あの時、空を覆っていた雲はすっかり晴れ、少しずつ温かい日々が増え始めている。ともするとあれは本当に一時の幻だったのではないかと錯覚してしまうほどだ。今は夜で、雲がなければそこには星が見える。何か知っている星座がないか探してみるが、全く同じ形のものはこの世界ではなかなか見付からないみたいだ。
「ここに居たのか」
屋上の扉を開いて、切原が入ってきた。当面の危険が去ったということで、屋上にも今日から入れるようになっていた。切原はきっと夕飯を作るために私を探しに来たのだろう。
「会議はどうだった?」
「さっぱりだな。奴ら、負領者が去ったってことにしか興味がないらしい。全く、異世界人だってただの人間だっての」
どうやら準備は不発に終わったらしい。不意に以前米内の言っていた実験中に消えてしまった彼らの仲間のことを思い出した。それが彼の憤りに関係していると考えるのは今のところ邪推でしかないだろう。そうではなくて、ただ単に人間一人一人に移入し過ぎるというだけなのかもしれない。
切原も私に並んで鉄柵に腕を乗せ、空を見上げた。私たちはしばらく無言で星を眺める。彼もまたこの忙しい日々のなかで去っていた出来事を思い出しているのだろう。
「フェーザは、別にフーリエを否定しなくても良かったんじゃねえのかな」
不意に切原がそうつぶやいた。何を言い出したのかよくわからず、その言葉の続きをじっと待つ。
「確かにフーリエは物質的には実在しない幻想だったかもしれない。だけど、俺たちだって多かれ少なかれ他人に幻想を抱いている。お互いが仲間だとか同じだとか勝手に想定して期待したりするのと、フーリエを実在すると考えるのはそんなに違うものか。そういうのが生きていくために必要なんだったら、別にわざわざ否定する必要はないんじゃねえのかな」
私は黙って彼の言ったことを検討してみた。言っていることは一応筋が通っているように思う。確かに彼の言う通り、一人一人違う人間である私たちにそういう均一化が強いられる場面はある。そういう意味では、全ての集団は押し並べて何かしらの幻想を抱いているなんて、そんな極論が言えるかもしれない。だが、私はそれでもその提案に積極的に乗ろうという気持ちにはなれなかった。そういう意見があるとして、それを自分の意見にしようとは思わなかったのだ。
「まぁ、そんなこと言っても仕方ねえか」
やがて、切原がそんなことを嘯いた。その言外にお前には、という言葉が隠れているような気がして、心の中でそうではないと反論する気持ちが芽生えた。私にわからないのは、そうまでして他者を、集団を必要とする意味なのだ。もちろんそれらが一切要らないなんてことは言わない。だが、幻想を押し付けてまで集団を成立させることに何の意味がある? そんなもの無くたって、いやむしろ無い方が私は他人を尊重できるように思うのだ。
結局私は、それを口に出すことはしなかった。なぜなら、それこそ言っても仕方の無いことだからだ。切原の意見に私が反論するところはない。そして、私の意見を切原に押し付ける必要も同じようにない。
「フェーザにお墓を立ててやれないかしら」
代わりに、少し前から思っていたことが私の口をついて出た。それはほとんど場を埋めるために出た言葉だったが、いつかは言おうと思っていたことだ。思いがけない提案に切原がわずかに戸惑う。しかし、私が真面目に言っていることを悟るとしばらく何事かを考え出す。
「もしかしたら名前も刻めないかもしれないが、構わないか」
「ええ、十分よ」
名前なんてどうだって構わない。ただ、それが墓であれば彼を偲ぶには十分だ。
ふと頭の中で、さっきの問いをフェーザの最期へと重ねてみたらどうなるだろうか、そんな疑問が浮かんだ。彼は死ぬ前に私との共通点を見付けて安らいだように見えた。はたしてあれは、彼が私に幻想を抱いたということだったのだろうか、それとも単に私との繋がりを得て満足したというだけだったのか。
私はその思考を強制的に切り上げる。これ以上を考えるのは止めにしよう。それは最終的には私には決められないことだ。再び上へと視線を戻して星座を探す。規模的に天の川くらいなら見つかりそうなものだが、空のどこを探してもあの白銀の大河は見当たらなかった。それが季節の問題ではないとしたら、もしかしたらこの世界は天の川の中、昔に見た無数の星群の内の一つなのかもしれない。そんな夢想的なことを思い浮かべて、しかし、それでも構わないと思った。あの密集しているように見える星々ですら、その一つ一つは寄り添い合いながら距離を保っているのだから。
アトキシック・ガール むい @muisse
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