case.28 Hitting on a sour note
久しぶりに出た地上は、もうすっかり夜の帳が降りてしまっていた。身を切るような風が吹いて、私は思わず自分の身体を抱き締める。もう四月のはずなのに今日はまるで冬のような寒さだ。見上げればぶ厚い雲が空を流れ、その向こうにあるはずの星をまるきり隠してしまっている。昼前に地下に潜ってからというもの、どっちが地上でどっちが地下かよくわからない状況ばかりだ。贅沢なことは言わないから、せめて太陽の光を久しぶりに浴びさせてほしい。
辺りは木が数本生えているだけの草原だった。息を大きく吸い込むまでもなく、湿った草の香りが鼻をつく。アランに派遣された部隊の先導の元、あの線路から数十分歩いて都市の外に作られたマンホール同然の抜け穴から上ってきたのだ。
「よぉ」
地下の穴から這い出て周りをキョロキョロしていると、横に止められていた黒いバンのドアが開いた。運転席に座る切原がいかにも渋い様子で私に声をかけた。決まりの悪そうにもじゃもじゃの頭をかいて、乗れ、という風に手で合図する。
「無事でよかった」
後部座席に乗り込んだ私に、言葉とは裏腹の事務的な口調でそう告げる。これほどまでに不機嫌さを前面に出した切原を見るのは初めてだったので、なんだか新鮮な気持ちがする。そうこうしている内にエンジンがかかった。まさか二人だけで走り出すとは思っていなかった私は、車外の、ここまで私を連れてきてくれたアランの私兵たちの様子を伺った。彼らはそれがさも当然だという風に、車を見送るでもなく出てきた穴の周りで何か作業をしていた。もしかしたら他の誰かに地下施設へ続く抜け道が見付からないよう、隠蔽しているのかもしれない。こんな街から離れた草原の中に入り口があるなんて誰も想像すらしないとは思うのだが。
「彼ら、アランの兵隊さんたちから事情は聞いたわ」
走り出した車の中で、前に座る切原に向かって私は言った。彼がそのことで腹を立てていることは明白だったが、どうせ私たちにそれを避けて通ることはできないのだ。だったらこれからすることについてよく考えるためにも、切原と認識を擦り合わせておくべきだろう。
「…そうか」
「でも、聞いたのは結果だけ。その過程についてはよくわからなかった」
「…アランは、本部に送った解析済みのフェーザの生体データをどこからか入手した。そして、そのデータを基にブラックサンズの拠点を突き止めると、私兵を利用してそこを強襲した。拠点にはほとんど人が居なかったそうだから、制圧は簡単だった。あとはおそらく、聞いての通りだ」
切原は事の次第を筋道立てて、非常に丁寧に順序よく話した。そうすることで彼自身も起きたことを改めて整理しているようかのようだった。話の内容は、聞かされた『事の顛末』なるものから推測したこととそんなに相違はなかった。私たちが地下でフェーザとやり合っている間に頭越しにアランに動かれていた、それだけの話だ。
切原は具体的に何について不機嫌なのだろうか。アランへの情報流出、あるいは強引な拠点制圧だろうか。もちろん、それも少なからずあるだろう。だがそれでもそれらは、目的としては切原の思い描いていた展望とそう遠くはなかったはずだ。たぶん、そうしたこと以上に切原が許せないでいるのは、『事の顛末』の方であるに違いない。たしかにこれは、あまりに後味が悪い。
「本当は、君をフェーザの元へと連れていくことにも納得しきれていない部分がある」
ハンドルを握る切原が言った。彼の顔はここからでは見えない。一体どういう感情でその言葉が発されたのか、私にはよくわからない。こんなことなら反対の座席に座ればよかった、そう思わないでもない。
私たちの車は、水路を流されていったフェーザの現在地を目指していた。彼と決着を付けるなら、その場に同席したい。そう志願したのは私だった。アランはフェーザがもはや瀕死の状態にあり、それから予備験体が居るということから、それを簡単に許可した。だから、怪我を負った米内を置いて私は一人で切原に合流したのだ。
「フェーザはもう虫の息だ。わざわざ君が行かずとも、もう直に彼は死ぬ」
「それでも私は、彼ともう一度会って話がしたいの。会って、それで私たちの関係がどうやって終わるのか、それをしっかりと自分の目で見届けたい」
思い返してみると、これまで彼と私は必ず決別という形で別れてきた。それには立場や大事にしたいものの違いなどいろいろな理由があったのだとは思う。だけど単に違うというのなら、私と彼だけじゃなくてあらゆる人同士が違うはずなのだ。私と彼だけがそう終わらなければならないという理由はそこにはない。それに今ならば、私たちはそういう込み入った事情を抜きにして会うことが出来るようにも思う。別に、最終的にやっぱり敵対するしかないならばそれでも良い。だが今ならば、私は彼と別の関係を結ぶことが出来る気がしていた。関係が変われば、もちろん相手の見え方だって変わる。私はただ、今と違う関係の中でのフェーザに興味があるだけなのだ。
私の言葉を聞いて、切原はじっと黙り込んだ。それが同意の意味なのかそれとも思考中ということなのかは、やはり判別することはできない。わからないから、どちらに決めるでもなく私も黙った。やがて、最終的に切原が言った。
「フェーザは俺たちのもとを逃げた段階で、既に動いちゃいけないくらいには重傷だった」
「え?」
「それに、爆弾も撃ちすぎだ。あれだけ自分の身体を復号化して撃ったら、あいつの肉体はもうガタガタだよ」
私は少し、切原の言ったことの意味を考えた。そして、この男がまたしてもお節介を焼いたということを理解する。
「ありがとう」
こういう気遣いに余計な言葉は要らない。話を広げる必要がないからだ。シンプルに一語だけ、その代わり相手に聞こえるようにしっかりと伝える。それで十分だろう。
フェーザが死ぬのはお前のせいじゃない、彼が言いたかったのはそういうことだ。
●
『よかった、私以外にも誰か居るのね!』
『怖いけど一人じゃなくてよかったわ』
『きっと二人で元の世界に帰ろう。そして、向こうでこの時のことを笑い合うの。それは絶対に楽しいわ』
フーリエの声がする。それは陰鬱な暗闇の世界と表裏一体の温かな記憶。だが、これは夢だ。なぜならフーリエは、今は手の届かない所へ監禁されているからだ。
「フーリエ、フーリエ…僕は…」
フェーザは自分の身体をさらう冷たい水の感触で目を覚ました。どうやらまたあの時の夢を見ていたらしい。彼は自分がまたうなされるように彼女の名を呼んでいたことに気が付いて、自虐的な笑みをこぼした。まったく、現実はもっと最低だというのに夢見心地とはいい気なものだ。
だが、顔を上げて自分の現在地を確認しようとした途端、彼はまだ自分が夢を見ているのではないかという錯覚に襲われた。なぜなら眼前には、自分の宿敵と見なす少女と、その仲間の男が立っていたからだ。
「フェーザ、落ち着いて、私の話をよく聞いて」
少女は、フェーザが目を覚ましたのを確認し、優しく語りかけるようにそう言った。
「ブラックサンズの拠点に、監禁されている少女は居なかった。どころか、負領物質の痕跡すら見付からなかった」
正直なところ、彼女が何を語っているのかについて、起き抜けの頭ではよく理解ができなかった。しかし、徐々に視界の焦点が合い、自分の置かれている状況への理解が進むにつれて、その発言の意味もまた彼の頭に着実に入ってくるようになった。
負領物質の痕跡がなかった、そう少女は言った。それが意味することはといえば、フェーザの思い付く限りでは一つしかない。
「おそらく、いえ、確実に...フーリエは実在しない」
彼の脳内で何かが軋む音がした。それはよく聞くと、夢の中の少女の話す声だった。
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