case.24 Bitter Candy
「こっちからなら中を覗ける」
やたらと装置の方を気にする私を察してか、切原が正面の窓を指差して言った。正直に言えば中の人間に興味があるわけではなかった。しかし折角なので窓が光を反射しない角度へと回り込む。屈むようにして、その内に設けられているはずの椅子を視界に収める。
そこに腰かけていたのは、まだ幼い少年の姿だった。特に理由もなく成人を想定していた私は、少なからずその姿に驚きを覚えた。それはどう見たって私よりは年下の男の子だ。背丈はおそらく小学生の高学年くらいじゃないだろうか。少年は黄色い長袖のTシャツと紺のズボンを身に付けていた。それは改まって指摘するほどでもない平凡な衣服で、その平凡さは彼がこの世界に不意に連れてこられたことを感じさせた。
「ずいぶん幼いのね」
「ちゃんと召喚に適正のある人間を探した結果だよ。位相値は年齢や性別、外見的特徴によっては決まらないからな」
切原は何かに言い訳するようにそう言った。私はしばらく考えて、それが、二人の験体が共に未成年であることへの言い訳であることを察した。彼は私の感想をその事実への皮肉と捉えたのだ。
「そういうつもりじゃなくて、ただの感想。それより、起こさないの?」
「ああ、目覚めるまではこのままで良いかな。どうせこの場は撤収するわけだから、この装置ごと輸送するよ」
そう言い残すと、彼はこの場を去った。少なくとも私は近くに居た方が良いだろうか。目が覚めた時に誰も傍に居なかったらこの少年は不安に思うかもしれない。そこまで考えて、私は思わず苦笑した。さっきまで実感が沸かないだのと言っていた癖に、実際に目にするとそんなことを忘れてこの子のことを気遣っているとは。こんな気持ちが生まれたのは、この子が自分よりも小さい子だったということもあるかもしれない。しかしそれ以上に、いざ実際の人間を目の前にしたら抽象的なことなど言う気が起きなかったのだ。
どこから吹き込んできたのか、風が私の前髪を揺らした。その出所を探すと、それは頭上の通気孔だった。心地良いとは言えない風を浴びながら、なんとなしに私は装置の隣に座り込んだ。
「切原さん!」
と、そうした空気の小康を破って、一人の隊員が転がり落ちるかのようにホームに駆け降りてきた。彼は緊急事態を全身で表現するかのように肩で息をしながらつかつかと切原へ近寄った。ただならぬものを感じて、切原が険しい表情を浮かべる。
「どうした…?」
「フェーザが…逃亡しました…!」
隊員がその言葉を吐いた瞬間、その場に一瞬で緊張が走った。ゴトンという音を立てた者も居た。おそらく驚きのあまり持っていた器具を手から滑らせたのだろう。
「馬鹿な…あいつは動ける状態じゃなかったはずだろう?」
「おそらく自分の身体と床ごと縄を爆破して地下へ逃亡したようで。軽傷ではないでしょうが行方の方はまだ…」
報告を受けて、切原の声が苦渋に歪む。逃げられたこと以上にそこまでしてフェーザが逃げたということに衝撃を受けているようだ。捕らえられたあの状態のままフェーザが縄を爆破する姿を想像してみる。あの特殊鋼の網を破るほどの威力で至近距離で爆発が起きたとしたらフェーザは軽傷どころでは済まない。それでもなおどこかへ逃亡したというのだから、その行為には想像もつかない執念が感じられる。
「米内、生体データの方はどうなっている」
切原が車両のハンドル付近でPCを操作していた米内に声をかけた。彼は実験が始まる前から今まで、平台だけの車両の前進と後進を適宜繰り返しながらそこに座って何か作業に打ち込んでいるようだった。今の問いから察するに、彼はフェーザから採集した生体情報の解析を行っていたのだ。
「まだ過去データとの照合はできていないが、もう少し待ってくれ。なんとか現在地の追跡は間に合わせる」
「了解した。…みんな、そういうことだ。フェーザは逃亡した。もし彼が完全に撤退を図っているのではないとしたら、この実験場の襲撃を目論むはずだ。各自、撤退準備を止めて臨戦態勢を取ってくれ。もしそうなら、この場で彼を迎え撃つ」
指示に受けて、緊迫感のある返事が散発的に続いた。切原はフェーザを迎え撃つという指示に、彼がここを狙うならば、という条件を付け加えた。しかしその条件に実質的な意味がないということは、この場の全員に明らかなことだった。私にだってわかる。フェーザは逃亡などはしない。彼は確実にここを狙ってくる。
案の定、数分後に米内が示した彼の現在地は、あの捕獲地点から少しずつだがこちらへと移動してきていた。時折何らかのカモフラージュのためか彼の現在地は広範囲へと拡散したが、すぐにその中から一点だけがこちらへと直進してきていた。
「たぶん、爆発を起こしながらこちらへと近付いてきているのだろう。爆発の元となる負領物質は彼に由来するからね、一時的にその物質の位置まで拾ってしまっているようだ」
米内がスクリーンを覗き込んだ私と切原にそう説明した。数十秒の内に、迎撃態勢が整えられた。その場に居た五人の武装した隊員が米内の位置データを基に、車両と反対側の線路脇のマンホールを取り囲み、銃を向ける。彼らは銃を構えたまま微動だにしない。緊張感を高めるのは、フェーザがこの場に姿を現したら最後、その瞬間に彼を仕留めなくてはいけないという事実だろう。もし逃がしたらここで戦うというのは得策じゃない。彼は爆発という広範囲にわたる攻撃手段を持っているし、この場には私を含めて験体が二人揃ってしまっている。もし万が一があったら、その時点でこれまでの作戦はすべて駄目になる。
募る緊迫感から逃れるように、私は再度スクリーンを見た。フェーザを示す赤点はもうすぐそこまで来ている。不意に、微かに地面が振動する。この馴染みのある感覚は間違いない、彼の爆発だ。その証拠を示すようにスクリーン上で複数の赤点が同時に広範囲に出現した。居場所を眩ませるためのカモフラージュだ。しかし、やがて少しずつ斑点は減少していく。そして、その内で一点だけ動く点がある。この点がフェーザだ。フェーザを示す点は少しずつ、しかし確かにこちらに接近してくる。そしてその目的地は切原の読み通り向かいの線路のマンホールのようだ。
あまりに重苦しい雰囲気に唾を飲み込む。これでもどこから敵が来るかがわかっている分だけまだ良い。もしそうじゃなくてここが暗闇だったりしたら、その状況だけで少しも身動きが取れなくなってしまいそうだ。
ふと、風の感触が再び頭を撫でた。見上げるとやはりそこには通気孔があった。しかしさっきのとは別のものだ。どうやらこのホームにはここと、それから召喚装置の上とで対になるように二つあるらしい。風の流れをぼんやりと想像していると、繰り返し味わった爆発による振動の感覚が自然と再生される。
それにしてもなぜフェーザはこんなに盛んに爆発を起こしているのだろう。爆発が撹乱になると思うからには、私たちがフェーザの居場所を探知していると知っているはずだ。だが、探知されているならば爆発はほんの一時のカモフラージュにしかならない。わざわざそんな悪あがきをしてまで自分の居場所を知らしめる必要があるだろうか。
私はもう一度、スクリーンに表示された赤い斑点を見つめた。多くの斑点が時間と共に姿を消していく中、なかなか消えない点がいくつかある。多くの点がホームと重なるように点在し、そして、その内の一つはーーーあの召喚装置上の通気孔と重なる位置にあった。
それに気が付いた瞬間、私は反射的に駆け出していた。カタカタと通気孔が震えた気がしたのは、きっと勘違いではない。
「ハル!?」
背後から切原が私を呼び止めた直後、ガコンと音を立てて通気孔が外れた。そして、そこから一人の人間がホームへ、それも召喚装置の真後ろへ飛び降りた。あの爆発は、カモフラージュではない。いわばカモフラージュのカモフラージュだ。私たちがフェーザだと思っていた動く斑点。あれこそがむしろ、フェーザが逐一顕在化させて動いているように見せかけていた黒い影だったのだ。
「くたばれ!」
落ちてきた人影は、血塗れのフェーザだった。彼は指で鉄砲の形を作って装置へと向ける。それはおふざけではない。むしろあの指は鉄砲以上の威力を持っている。完全に虚を突かれた隊員たちを尻目に彼の眼中には標的しか映っていなかった。逆に言えば、この場で唯一動いていた私にも、彼はまだ気がついていないということだ。私は装置を周り込むようにして彼に接近した。私には武器がない。当然、生身で戦う力もない。そしてフェーザに強い力がある以上、彼をこの場に長く留めること危険なことだ。
だから私は、走る勢いをそのままにフェーザに突進した。
視界の外からのタックルをもろに受けたフェーザは、ぶつかった私もろともホームの外へと飛んだ。ホームの外、すなわち、脱出用の車両の上へ。
「出して!」
フェーザに馬乗りになったまま私は米内に叫んだ。
「だ、だが」
「早く!」
急かされた米内がハンドル下のバーを強く引いた。車両は初めそれと気付かないくらいゆっくりと小刻みに震えた。しかしすぐに加速を始め、私たちの頭上が闇に覆われていく。これでいい、とりあえず私とあの少年が距離を取れば、もろともに爆破されるおそれはなくなるのだから。
米内と私と、フェーザの三人だけを乗せた列車がホームから遠ざかっていく。召喚装置や切原、隊員たちの姿は、やがて全く確認できなくなった。
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