case.14 An unexpected reunion
昨日、私が身体検査を受けている間、軸座転倒対策本部から情報が流出した。
それは、先日の験体に続いてもう一人の予備験体が近日中に召喚されるという情報だった。そしてなんとその実験には成功度を高めるために先日の験体、すなわち伊藤ハルも同席するというのだ。つまり世界軸修正の鍵を握る重要人物が、二人まとめてその場に現れるというのである。
「もちろん、情報漏洩は意図的だ。ただし、漏洩した内容自体は真実。敵さんもそれを信じるしかないようにその証拠を大量にばらまいておいた」
前を歩く切原が言った。彼の顔はどこか晴々としていた。それは、今までずっと背負っていた大きな岩が不意に砕けて無くなったかのような顔つきだった。それも無理のないことだろう。なにせ評議会以降、私がいろいろと検査を受けたり印南から説明を受けている間、この男は作戦本部長としてずっと計画立案をしていたのだから。それも彼にとっては寝耳に水の、急遽ぶち上げられたフェーザと戦うという作戦の計画立案を、だ。
「これで彼らも実験の日に襲撃の照準を合わせるしかなくなった。伊藤ハルともう一人の異世界者を確実に同時に始末するためにな。だから今のところは外に出ても安全、ってわけだ」
本部から歩いて五分ほどで、私たちはずいぶん道幅の広い交差点に出た。そこは、この都市ーー印南曰くフラクタルシティ、と言うらしいーーのちょうど中心地に当たるらしかった。たしかに人通りはかなり多く、気を付けなければすれ違う人と肩をぶつけかねないほどだ。とはいえ、そう説明されない限りそこが街の中心地だという感じはない。そこに立ち並ぶ建物は相変わらずビル群ばかりだ。むしろそういう意味では、依然夕方に見た摩天楼的な雰囲気の名残をくっきりと残している場所と言えた。ともすると東京の中心地を歩いているようにも感じるのだが、時折理解できないほどに個性的に歪んだビルや、平然と二足歩行するロボットが現れては、そうした錯覚を消し飛ばしていく。
私は切原の話に半分くらいは納得していたが、残る半分くらいそれでも疑問に思わずにいられない部分があった。
「でも、もし彼らが私ともう一人の異世界人を順番に殺そうとしたら? とりあえずまずは確実に私を殺そうって考えたとしたら、今日は全く安全ではなくない?」
私の質問はそれなりに的を射たものではあったはずだが、それによって切原が冷静さを欠くことはなかった。彼はすぐにはそれに答えなかったが、その逡巡は言うべきかどうか迷っているという節があった。その迷い方によって、どうもこの可能性は既に考慮されているというよりはそもそも考慮する必要のない選択肢らしい、ということを察することができた。少ししてから切原が口を開いたが、それは圧倒的に言葉足らずだった。
「フェーザが行使する強大な力は、『ブラックサンズ』の開発した兵器によって無理矢理に増幅されたものだ」
ブラックサンズ、という聞き慣れない言葉に、思考が一瞬行き詰まった。なんとか記憶を手繰り寄せて、たしかそれが軸の修正を邪魔しようとしてくる軍需企業、つまり敵組織の名前であったことを思い出す。
「それが?」
「負領者フェーザには回数制限がある、ってことさ」
ぶっきらぼうな問いかけに、切原は簡潔に答えた。その態度からは、ここではそれ以上は何も答えないという強い意志を感じさせた。実際、それに関する会話はそこで一度終わった。
それから私たちは二人で買い物をした。わざわざ危険を冒して街に出てまで何をするのかと思えば、気分転換がてら買い物をするのが目的だったらしい。手始めに通りに面した食料品店に入って、トマトと生魚と白ワインを買った。私も何か好きなものを買っていいと言われたのだが(もしかしてこれから料理でもする気なのか?)、最終的に食材のチョイスはすべて切原が決めた。それから今度は別のビルに入った。そこはファッション関連のテナントが多数入っており、当面生活をしていくのだから自分の好みにあった衣服を買うように勧められた。私は好意に甘えて、まずは優先度の高いシューズショップに行って黄色いスニーカーを買った。登校中に連れ去られた私は革靴しか持っていなかったので、何より動きやすい靴が欲しかったのだ。
いざ洋服を選ぼうという段になって、一度切原とは別れることになった。自分が居ると選びにくいだろうという理由だったが、おそらく本当のところは時間を持て余すからだろう。しばらくしたら迎えにくるからこの辺りに居るように、お金を渡してそれだけ言うと彼は最寄りのドアから立ち去った。私も一人の方が気楽だったので、別段そのことに不安を抱くこともなくお店へと足を踏み入れた。
しかし、洋服を選ぼうとして私は思わぬことに困らされた。洋服のセンスはそこまで乖離していなかったし、サイズもちゃんとわかる表記だった。だが、そもそも今こういう状況で、私はどういう服を選べば良いんだろう。そのことがわからなかったのだ。私は異世界に連れて来られた験体で、基本的にはあの本部という建物内で当面の見通しが立つ状況に居るが、フェーザとブラックサンズという奴らに命を狙われている。現状はどれか一つをとっても平凡な日常からはかけ離れていた。私はこうした場に則したファッションとは何かということについて、たったの一つも見当を付けることができなかった。まるで厳粛な式典に招待された時のように、場から浮いてしまわない最低限のドレスコードすらわからなかった。
迷った末に、私は白いブラウスと真っ黒なパンツを購入した。動きやすさという観点から見ても実に無難な選択だと思った。さっきの問題についてはしばらくこれで生活してみて、この環境に慣れてからまた考えることにしよう。
極端な迷いに直面した結果、予定していたよりもむしろ圧倒的に早く買い物が終わってしまった。店から出てみると、当然まだ切原の姿はなかった。彼はどこへ向かったのだろうか。ちょっとした興味から、私は彼が出ていった扉の前に立った。それは裏口と呼ぶべきもので、客が開けることをあまり想定しない手動の扉だった。
想定していた通りかなり重い扉を身体全体を使って外へと開く。中と比べてやや涼しい風が私の身体を刺した。扉の外は路地裏だった。車が通れるくらいの幅はあったが、向かいの建物は無機質な灰色の壁をむき出しにこちらに向けていた。人の気配は全く感じられなかった。右を見ると、かなり先の方にちょろちょろと人の往来が見える。おそらくこのビルに入ってきた通りはあっちの方だ。
ここに居ても仕方がなさそうだ、私は再度扉を開いて中に戻ろうとする。しかし、それを制するかのように、背後から私に声をかける者があった。
「待ちなよ」
異世界の、それもこんな人通りのない路地裏に関わらず、それは私の知る声色だった。心臓が急速に冷えて、固く締め上げられていくように感じた。なぜならそれは、今もっとも警戒していた相手の声だったからだ。
「ちょっとお話しないかい?」
「…フェーザ、また会えて嬉しいわ」
私は諦めて背後を振り返った。そこに立っていた男は、相変わらず血色の悪い肌色はそのままに、子どものような無邪気な笑顔でこちらを見つめていた。
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