case.7 Closed Set

「あなたは何者?」


「僕は負領者ふりょうしゃフェーザ、そう呼ばれている」


 フリョウシャ…? 私は聞き覚えのない単語に首をかしげた。目前の白すぎる男は、私が言葉の意味を理解しかねているのを見て、嬉しそうに笑った。


「君には関係のない話だったよね、でも、それは僕も同じだ。僕らは同類、巻き込まれたもの同士なんだよ」


 フェーザ、そう名乗った彼は、すらすらと読み上げるように言葉を並べた。それは私に対して発された台詞ですらなかった。自作の詩を読み上げて、それを自分で聞いて悦に入るような、そんな自己満足にあふれた謳歌的な言い方だった。


「ともかく、君が事情を知らないとしても、それは弁明にはならないってことさ」


「弁明…?」


「君が僕に殺されないためのね」


 彼は右手を前へと突き出した。ちらりと、彼の纏ったぼろ切れの裾から光るものが見えた。それは腕輪と呼ぶには奇妙にゴツゴツとしている、何かの機械のように見えた。

 ブツブツブツ、と例の接続の悪い音が左側から聞こえた。見れば、土の上で5cmほどの小さな黒い塊が、モヤモヤとその危うげな輪郭を揺らめかせている。どうやらさっきから続くこの奇妙な現象は、このフェーザという男が引き起こしたものらしい。そのことを察した途端、その塊が小さく爆ぜた。


「きゃっ」


 微かな風を伴って、耳の横で手のひらを打ち合わせたような爆発音が鳴った。もはや足元の影は跡形もなく消え去っていた。私の驚く様を見て、ははっとフェーザが笑う。

 これまでも私の理解の範疇を超える出来事はたくさんあった。しかしそうした未知が、私に直感的に危機とわかる、しかも直接的に迫ってくる形で現れたのは初めてのことだった。私は、今自分が命の危機にあるのだ、ということを合理的に悟った。しかし、不思議と足は震えていなかったし、恐怖に泣き叫ぶようなこともなかった。私はただ、呆然とフェーザの方を見つめているだけだった。彼が言うその殺害とやらが、私に対して実行されるのをただ待っているだけだった。

 事態を飲み込めずにいる内に、今度はさっきよりも低く鈍い大きな機械音が背後で起きた。振り向けば、三台あったスクーターは前と後ろの一部を残してほとんど確認できなくなってしまっていた。つまりは、スクーターを覆ってしまうほどの暗闇が、そこに突如として出現していたのだ。

 そのことに気付いた瞬間、私は前方へ向かって足元の地面を強く蹴っていた。それは私の脳内で、先ほど傍に出現した暗闇のことが思い出されていたからだった。もし今背後にある暗闇も同じ種類のものであるならば、先の暗闇同様にまた爆発するに違いない。

 その予感は的中した。今度はバチンと、直接耳を殴打されるような鋭い音が響いた。


「痛ッ…!」


 まさに飛んだところを背後から爆風に吹かれた私は、ほとんどまともに受け身も取れないまま、前方の地面、すなわちフェーザの足元へ無様に転がる羽目になった。


「良い勘してるね」


 膝を抱える私をフェーザが見下ろす。どこか楽しそうに見えるのは、弱者を思いのままに操って遊ぶ、強者の余裕の現れだろう。しかしもちろん、彼もいつまでも遊んでいてはくれない。当初から言っていた通り、彼の目的は私を殺すことのはずだ。

 フェーザが、私の顔前に右の手のひらを突き出した。しかし、彼の指を視認できたのはほんの一瞬だった。すぐに、私の視界の中心に球状の暗闇が現れる。その暗闇は異音を立てながらみるみる内に大きくなり、私の視界のほとんどを覆ってしまった。この暗闇が私の目や、鼻や、前髪の先端の一部にでも接した瞬間、おそらくフェーザはこの暗闇を爆破するだろう。それで、私の頭は吹っ飛ばされるに違いない。


「じゃあね」


 フェーザの声は少し遠かった。爆発を避けるために数歩下がったのだろう。姿の見えない相手のことを、私は驚くほど冷静に洞察することができた。しかし当の自分はというと今度こそ足がすくんでしまって、その場から逃げ去ることができない。耳を塞ぎたくなるくらい、バチバチと接続の悪い雑音は大きくなっていた。もはやあと何mmで肌に触れるのかわからないほどに影は目前に迫っていて、私は思わずそのザマに微笑した。


「右手を伸ばせ!」


 絶望しかけていた私に、人を乱暴に叩き起こすような声が聞こえた。暗闇の向こう側から届いたそれは、たしかに切原の声だった。私は反射的に肩を動かした。残された僅かな希望を探るように、自分の右手を右斜め上方へと突き出す。影に覆われた視界の端を、向こう側から光が貫いた。それと同時に、雑音の狭間からバイクのエンジン音が聞こえてきた。


「畜生!」


 フェーザの呻き声がした。向こうで何が起きているのかはわからなかったが、私はただ来るべき衝撃に備えた。端の方にちらついていた光が最大級に近付いたその時、側で置き去りにされた風が吹き、私の伸ばした腕を誰かの手が掴んだ。

 それはやはり私の世界では見慣れない、タイヤのないスクーターを乗りこなした切原の手だった。

 私がスクーターによって背後へと引っ張られた束の間、目前の暗闇が爆発した。その爆発はまたしても私の耳を強く叩く、空気をつんざく音を生じさせた。しかし実際には、私の身体のどこにも痛みは生じなかった。強いて言えば、切原に掴まれた右腕が一瞬強く痛んだ後で、感覚を失ったくらいだった。


「そいつを! そいつを俺に殺させろぉ!!」


 爆発の奥から、フェーザの叫び声が聞こえた。しかし、その声もだんだんと遠ざかっていく。

 気が付けばスクーターは、何とか左手で後部座席へとしがみついた私を引きずりながら暗闇の通路を使って小部屋を抜け出していた。私は成す術なく引っ張られながら、この外れた右肩をはめ直すのはどれくらい痛いものなのだろうか、なんてことを考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る