case.26 The Lady in Question

「代わりの車両はまだか!?」


「すいませんっ、モノは用意できているのですが、搬入に時間がかかっておりまして…」


 隊員たちの慌ただしいやり取りを聞きながら、切原は顎の下で手を組んだ。この状況を打開する作戦を何か考えるためだ。

 伊藤ハル、米内は緊急脱出用の列車に乗ったまま連絡途絶。しかもそこには特A級の危険人物フェーザが同乗している。位置情報は地下探知システムのおかげでおおよそ掴めてはいるものの、そもそもの安否が危ぶまれている状態だ。また、よしんば救出車両が用意できたとしても現場に急行してどのように救出作戦を行うかは検討が必要だ。これだけ暗い地下では走行する車両に近寄ることがまず難しい上に、フェーザが居るとなれば妨害は避けられない。状況は極めて悪いと言って良かった。

 今朝の陽動作戦からフェーザの捕獲、そして異世界者召喚に至るまでここまでの全ての作戦立案はすべて切原が担ってきた。その道筋には落ち度はなかったはずだし、実行する中での失敗もなかった。それがどうしてこんなことになっているのか、それを考えても仕方がないとはいえ、どうしても切原はそう思わずにはいられなかった。

 と、そこで彼は自分の様子をうかがう低い視線の存在に気が付く。彼はその視線の主を心配させまいとあえて不器用な笑みを作る。

「安心しろ、ボウズ。お前のことは俺たちが絶対に守る」

 視線の主は二人目の異世界者である少年だった。少年はその言葉を聞いて、じっと切原を見つめた後で意を決したように口を開いた。

「ヒロキ、俺の名前は小林ヒロキだ」

 切原は一瞬ポカンと口を開けた。それが少しも彼の想定していない返事だったからだ。しかし少年の、いやヒロキの言い分には確かに筋が通っている。彼は、ハハッと笑ってヒロキの頭にぶっきらぼうに手を置いた。

「悪かったな、ヒロキ」

 彼らは、俺が守らなくてはならない。手の中に確かな人間の感触を覚えながら、切原は自分の中でその決意を強くする。ハルとヒロキはこっちの都合でこの世界に連れてこられたに過ぎない。だから本質的に、この世界で起きることに彼らの責任はない。もし何かが起きるならそれは直接、召喚実験を取り仕切った俺の責任だ。そのことはこの実験をすると決めてから繰り返し切原が念じてきたことだ。

 彼は机に向き直って、もう一度現状を再構成する。無論、状況は何も変わっていない。しかし彼には果たさなければならない責任と守るべき約束があった。だからこそ、自分にできることが他にないか、何度でも思考を重ね続けるのだ。

 ペンを取って地下水路の地図をもう一度なぞる。ふと、机に置かれていたPCが本部からの通信を伝えた。相手は留守中の本部を任せていた印南だった。大方、帰還時刻の確認だろう、そう思った切原はすぐに切るつもりで通信を許可する。


「もしもし、悪いが今はちょっと忙し」


 ところが、その言葉は最後まで続かなかった。切原は、遮るように印南が発した人名を聞いて、この通信がそう簡単には終われないものだということを悟った。それは同時に、事態が別の方向へと動き出したということをも意味していた。


『アランからよ』


 それは『評議員』の一人、アランからの通信だった。


 ●


 目をつぶると、涼しい風と水の流れる音のおかげで川辺に居るような気持ちがした。目の前に置かれた非常用のランタン型ライトも、瞼の裏を赤く染める分にはキャンプの光景にも思えなくはない。文句があるとすれば、座り心地か。ざらざらとした金属の感触が、どうしても自分が宙ずりの線路上に留まっていることを思い出させてくる。


「傷は大丈夫?」


 視界の先には、柵にぐったりと寄りかかったままの米内が居た。フェーザの至近距離からの爆発は米内の腹部を直撃していた。彼は積み込まれていた三角巾を何重にも当て、できるだけ動かないようにじっとこらえている。


「ああ、なんとか止血はできた。だがこの調子ではしばらく助けを待つしか無さそうだね。銃も無くなってしまったし」


 私を心配させまいとしてか、彼はできるだけ普段通りを心がけて話しているようだった。だがそれにしては声色が一本調子過ぎた。

 私はもう一度立ち上がって辺りを見回した。フェーザと取っ組み合っている間は全く気が付かなかったのだが、後部設備にはいろいろと非常用の物資が入った箱が取り付けられていた。ライトや三角巾はそこから取り出したわけだが、それ以上に役に立ちそうなものはやはり見付からない。米内の拳銃はどうも急ブレーキをかけた際に落ちてしまったらしい。


「まあ、しばらくすればフェーザの位置情報は川に乗って移動するはずだ。そうでなくとも僕らが同じ場所に留まっているのを見れば、何かを察してくれるに違いない。切原ならすぐに気が付くさ」


 米内が楽観的な見通しを語る。


「ずいぶん切原を信頼しているのね」


 これは決して嫌みではなく率直に思ったことだ。彼らと知り合ってまだ日の浅い私だが、今のように節々から垣間見える二人の信頼関係は相当強固なものに見える。いや、二人というよりは、厳密には印南を加えて三人のだろうか。米内は私の言葉を受けて、肯定するでも否定するでもなく、穏やかに笑った。


「君もじゃないのか?」


 思わぬ不意打ちを食らって、返答に困る。以前フェーザに追われていた時にも考えたことだが、私は基本的に切原のことを信頼しているというわけではなかった。だがもし、今この状況で、切原がここに助けにくると信じられるか、そう問われたらどうだろうか。あるいは、彼にそう言われたとしたら、私はそれを信じてここで待つだろうか。


「…そうかもしれないわね」


 迷った末の回答に、今度は米内が鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。しかし、そんなに驚くことでもないとは思う。今、私に与えられている選択肢はそう多くはない。その中に切原を信じるという選択肢があるのならば、私はこれまでの付き合いからそれを選べるような気がしたというだけだ。


「…僕らは大学の同期なんだよ」


 やや逡巡してから、米内がゆっくりと口を開いた。それはおそらく彼らが信頼し合っているという指摘への返事だ。


「その頃はみんな世界軸研究に興味があってね。四人でよく粗削りな議論をかわして先生たちに笑われたものさ」


 彼の口の端には笑みが浮かんでいた。彼にとってその日々は本当に幸福なものだったに違いない。対して私は、その話の内の一点に注意を誘われる。それが何を差しているのか即座にはわからなかったからだ。


「…四人?」


「そう、僕たちの仲間にはもう一人、東儀という天才が居たんだよ。五年前に世界軸のズレを発表したのも彼女だ。本当に頭の切れるすっきりした奴だった。だけど、今は居ない。彼女は世界間移動の実験中の事故で、この世界から消えてしまった」


「消えた?」


「驚くほどにきれいさっぱりね。どこに行ってしまったのかはわからない。そんなわけだから法的には死んだことになった。ただ、切原だけがたぶん、まだ別の世界に彼女が居ると信じている」 


 ふうっと、話はこれで終わりだというように米内が深く息を吐いた。私には消えたということの具体的な意味とか、切原が信じているとはどういうことかとか、いろいろなことがまだわからなかった。しかし、そうした質問は少なくとも今は一切受け付けてはいないようだった。私は代わりに、その彼女がどんな人だったのかを聞こうと思った。それくらいなら教えてくれると思ったからだ。だが、それもまた別の事情から叶わなかった。


「こんな好機が転がり落ちてるとは、トカゲも歩けば幸運に当たるってか」


 実験場側の線路の先から馴染みのない声が聞こえてきた。その声の主はザクザクと軽妙な足取りでこちらに近付いてくる。ランプの光が彼の素顔を照らしたとき、私はおもわず驚きのあまり声を上げそうになった。

 それは、いつぞやのカーチェイスの時に現れた、トカゲ頭の男だった。

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