case.12 Price Tag on Life

 慣れないことをしたもので、変な言い方になった。こういう時の定型句ってどういうものだっけ。

 そんな間の抜けたことを考えていたのは、私の行動に声を上げる者が一人も居なかったからだ。無理もないことだとは思う。この世界について右も左も分からない験体が、突如として拳銃というわかりやすい武力を行使したのだ。そんなこと、誰も予想していなかっただろう。切原以外の人間はそもそも私がこんなものを持っていることすら知らないし、切原だってまさか本当に自分に向けてくるとは思ってもみなかったはずだ。何にせよ、返しそびれていてよかった。これが今、私の手元にある唯一のものなのだから。


『なんの、つもりだ』


 ゆっくりと感情の乏しい電子音声みたいな声でアランが言った。ようやくわずかにだがこの男の感情が乱れたらしい。


「験体の大量生産を止めてほしい、それだけのことよ」


「おいおい、馬鹿な真似は止せ」


 私の要求に対して、銃口の先で切原が笑い混じりに言った。笑ってはいるが、こちらに対して何か動きがあるわけではない。出来ることなら冗談で済ませたいが、私の行動が全くのハッタリだとも思っていない、そんなところだろうか。もちろん私は彼が変な素振りを見せてきたら躊躇いなく撃つつもりだった。


「たしかに俺は世界間移動に必要な研究を独占してはいる。だがそれでも、本部は俺の代わりを見付けられないわけじゃない。人質としての価値はないぞ」


「黙って。手を挙げなさい」


 銃を上に振って促すと、切原はまず左手を挙げた。続けて右手をポケットから抜き出して、ゆっくりと持ち上げる。わずかに、人差し指にはめられた指輪がきらりと光った。

 切原が今言ったようなことは、正直初めから期待してはいなかった。もしかしたら、という考えもないではなかったが、先程までの会議の雰囲気からして、人材としての彼にそこまでの重要性を見出だすことは難しい、というのはわかっていたことだ。それに、人質を使った取り決めなんて、この先反故にされない保証はない。


「別に私は、脅迫しているんじゃないの。だから、この男の命を取引材料にするつもりはないわ」


「じゃあ、何を…? 君は何を取引材料にすると言うんだい?」


 背後に居た米内が私の言葉に反応した。一応、彼に隙を突かれることがないように、私は一歩右へと足を踏み出した。だが、その必要はなかったかもしれない。なぜなら、米内自身が拳銃に気圧されたかのように壁際へと後退していたからだ。

 私は再びアランの方を見た。私は、アランに対して切原が交渉のネタになると思ったのではなかった。そうではなくて、ある事実によってアランに話を持ちかけようとしているのだった。


「それは、負領者よ」


 発せられた単語を聞いて、椅子たちが一様にざわつき始めた。その様を見て私は、自分の考えが間違っていないことを確信する。そもそも考えてみれば、アランが計画の方針変更を持ち出したのは負領者の存在が原因だった。どうやら負領者というのは、彼らにとってとんでもなく大きな脅威らしいのだ。ならば、と私は思う。私はその負領者に対して、ある特別な関係を有している。


「負領者、フェーザと名乗ったあの男は、私に向かって『君を殺したかったんだ』と言ったわ。そして今、どうやらとんでもなく危険らしいあの男は、私のことを認識している」


 殺意の対象がどんな姿をしているのか、彼は既に知っている。今やフェーザにとって伊藤ハルという人間は、他の誰よりも際立った人間として存在しているはずだ。それならば、私には少なからず利用価値がある。


「だからもし、もしフェーザの脅威を理由に験体を大量生産すると言うならば」


「…まさか、ハル」


 話している途中で、切原が何かを悟ったように私の名を呼んだ。たぶん、その読みは当たっている。黙って、そう言ったんだけどな。彼を撃ち抜きたい気持ちをぐっと堪えて、私は続きを口にした。


「私が囮になって彼を殺すわ」


 もし自分の胸の鼓動に欺かれてないのであれば、椅子からのざわめきは私の一声によって一層大きくなっていた。無論、それを狙って直接的な言葉を使ったのだ。これは、想定通りの反応ではある。

 私には自分の言ったことが可能かどうか、ということは一切わからない。それでも、自分が彼に強く認識されているという事実は、彼と対峙する上で他の人より圧倒的に優位な条件を提供してくれているように思えた。


「そんなことをして、君になんの得がある!」


 米内が驚きに満ちた表情で言う。

この疑問は当然のものだろう。なぜならこれは、私にはちゃんと答えることができない疑問なのだから。フェーザを殺したところで、少なくとも私には利益が無い。それでも、だからといってこの提案そのものに意味がないわけではない。


「もし験体が大量生産されれば、私の警備に割ける人材は験体の数だけ減らされることになる。でももし今、その人材すべてを使ってフェーザを排除できたとしたらどう? 私の死亡リスクはこの先もずっと低いままになる」


 私は極めて流暢に聞こえるように、淀みなくその行為の意味を説明する。

 もちろんフェーザとの対峙によって、死亡リスクはむしろ一時的に急上昇するだろう。もしかしたらそのパーセンテージは、験体の大量生産によって上昇する私の死亡率よりも遥かに高い数値になるかもしれない。だがその一方で、私の計画が成功してフェーザが排除できたならば、その時のリターンは限りなく大きい。重鎮の方々からしてみれば、それ以降の危険度はグッと下がるに違いない。

 実を言えばこの計算も抜け目なく正確だというわけではない。これはあくまで理想的な展開で事が進んだ場合の話だし、随所は論理的であるかのように装われただけのハリボテなのだ。例えば、フェーザを先に討つことと、験体を大量生産することで実質的にフェーザを無効化することに、実は本質的に差はない。それは私の観点からしたってそうだ。もしかしたら験体が大量生産されてなお、私は生き残るかもしれない。そう考えると、この提案は無闇に私の死亡リスクを高めることにしかならない。

 それらを勘案した上で、それでもフェーザとの対決という選択には、道を自分で決められるというメリットがあった。一人で敵の脅威に怯えるよりは、複数人で敵に向かって行くという方がわずかでも長期的な死亡確率を下げるはずだ。だから私は、この提案をする意味があると思う。

 不意に浮上した案を検討するためか、部屋はいつの間にか静まり返っていた。みんな、最初に態度を表明するのを避けているようでもあった。むしろ自分が銃口を突きつけられているかのような緊張感の中、永遠ともつかないような時間が流れた後で、その沈黙を破ったのはやはりアランだった。


『…フェーザはお前個人を狙っているわけではない。異世界人全てを狙っている以上、その計画は験体を大量生産してからでも遅くはあるまい』


 彼の言うことは、私の提案の論理的な穴を正確に突いている。本当にリスクヘッジということを考えるならば、験体の予備を確保しておくべきなのだ。より攻勢に出るために警護の人員を削減するとしても、それは変わらないだろう。私がそれを考慮に入れなかったのは、私の安全という個人的な事情のために過ぎない。これに対して私が言えることはそう多くない。


「大量生産だって、私が殺されてからでも遅くはないはずよ。ねえ、私はお願いをしているのよ。大量生産は、せめてフェーザか私のどちらかが死ぬまで待って。あなた方に利益はないかもしれないけど、損失だってないはずよ」


 だから、もし私が銃を持ち出したことに場の注意を引く以上の意味を持たせるならば、切原の存在が論理的な小さな穴を埋めることを期待して、ということになる。私の言っていることはもしかしたら駄々に近いのかもしれない。それでも、絶対に聞けないような無理な駄々ではないはずだ。

 私の思いを汲んでかどうかは定かではないが、今度は、両手を挙げたままで切原が口を開いた。


「たしかに、こいつの言うことにも一理ある。験体の生産にも莫大なコストがかかる。もし異世界人を大量に召喚してからフェーザが死んじまったら、その予算はダブることになるぞ」


『確かに…逆に万が一フェーザを始末できるなら、験体召喚の予算が浮くことにはなるな』


 切原の勘定を受けて、七つの椅子の一人、ヘンリーがそう言った。験体のコストというのは、少なからず重鎮たちの内で判断材料になるものらしかった。


「さて、どうしたものかしら」


 風向きが多少良くなったところで、結論を急くように切原に再度銃口を近付ける。もちろんこの行為には、またしても口を開いた切原に対する制裁の意図もわずかにだが含まれていた。どさくさに紛れて一発撃ってみようかしら。そんな良からぬ考えが思わず浮かんで、なんとかそれを頭からかき消す。

 アランの椅子の上に設けられたランプを見つめて、十数秒が過ぎた。やがてそのランプが、音声にわずかに先行して赤く光った。


『予備験体は召喚する…だが、一人だけだ。それ以降は、作戦の経過によって判断することにしよう』


「…わかったわ」


 私は同意を示すように、静かに銃を下ろす。急に肩の力が抜けていく。

 出された結論は、折衷案だ。験体は私を含めて二人。今のところ、フェーザを排除さえすればそれ以上増えることはない。その程度ならば、私の警備の質も大きく下がりはしないだろう。完全に思惑通りではないが、こちらの狙いに近い成果は達成されている。

話し合いが静まったのを見て、リチャードから久しぶりに声が発せられた。


『それでは、会議を終了する』


 消え行く椅子のホログラムを眺めながらぐりんぐりんと肩を回す。やれやれ、思わぬ頑張りにずいぶん肩が凝ってしまったらしい。当てもなくぼうっとする私に、切原が振り返った。ひょっとすると一発くらい殴られるか、そう身構えた私の予想を裏切り、彼は拳銃を握る私の右手を持ち上げた。


「向こうから見える映像が粗くて助かったな、このままじゃ撃てない」


 彼がいたずらっぽく笑いながら、銃の側部を指差した。

 思わずため息が漏れた。そんなもん、私が知るわけがない。そもそも切原はこの指摘でどこを指差しているのだろうか。彼の笑みに行き場のないムカつきを覚えた私は、とりあえず彼のすねの辺りを軽く蹴りつけた。

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