case.4 Crazy, Stupid, Rough

「こっちとあっちは、そもそも世界の位相が違う。だから、構成要素も辿る歴史も全くの別物だ。もちろん言葉や文化に関して、似通っているところもたくさんある。ここは1マイクロ分しかずれていないんだからね」


「1マイクロ?」


「僕たちの世界間距離の例えさ」


 世界軸やプラスワンだとか、そういった米内よないの話を信用する理由は私には実際一つとしてない。それでも異世界へ来てしまった、ということを信じるには、これまでの経験だけで十分にお釣りが来てしまう。明らかに、ここは私の知っている世界ではないのだから。


「まあ、理解はしたわ」


 私は結晶から抜き出された曖昧な白黒模様を見つめた。この男のいうことが正しいならば、きっとこの粗いもやもやが、私が元々居た世界のすべてだ。家族や近しい友人、そしてその他私の日常のすべてがここではこのようにしか知りえない。そう思うと私はずいぶんと遠いところに来てしまったらしい。


「それで、どうして私はここにいるの?」


 それでも、さっきまでの震えはもう収まっていた。私はあっちに居るのではなくてここに居る。もうそのことを受け入れるしかなかったからだ。


「それは、ひどく身勝手な話なんだが、この世界の問題なんだ」


 米内が、今度は別のウィンドウを装置上に展開した。それは一枚の写真だった。

 写真中央には、荘厳ささえ感じさせる巨大な柱状のモニュメントが直立している。そして、モニュメントの半分より上部は、それが何か特別な意味を示すかのように、二又に分かれていた。何より目を引いたのは、その柱の左半分がひどく黒ずんでしまっているということだ。


「これは、当世界の基準線に立てられた記念碑だ。この塔は本来、毎時ごとに世界の中心を白く照らすように設計されている…はずだった」


 米内の口調はわずかに躊躇いを含んでいた。それはまるで、認めたくない事実をゆっくりと読み上げさせられているかのような躊躇いだった。


「五年ほど前から、徐々にこの塔は狂い始めた。最初は、白く照らす位置が数センチずれるだけだった。だが、時が経つに連れて、そのズレはどんどん大きくなっていった。今じゃあこのザマさ。半分以上が真っ黒に染まってしまっている」


 彼は両手を開き、お手上げと言うように横に振った。しかし、私にはそれが何を意味しているのか、すぐには理解できなかった。


「どういうこと? これが何だっていうの?」


「これは、モニュメントであると同時に、世界の中心を正しく図る実用的な塔でもあるのさ。だから、そいつが少しずつズレているんだとしたらどういうことになると思う?」


 私は、彼の発言をゆっくりと咀嚼した。そして、彼の言わんとしている事実にたどり着く。


「この世界が、ズレている…?」


「そういうことだ」


  クイズの正解を告げるかのように明るく返事をした米内からは、全くもって事の重大さは感じられない。しかし、彼が一言話すごとに重くなっていった空気や、背後に居る切原の一切変化しない表情が代わりに、それが何やら大変なことなのだ、という実感を私にもたらしていた。


「君をこの世界へ呼んだのはまさにそのためさ、ズレたのなら、逆方向へと戻せばいい。プラスワンの君を使って、この世界を本来の位置へ動かす」


 それはあまりにも大雑把すぎる話だった。原理も方法もわからない私からすれば、この説明がどれほど的を射た表現なのか、本当のところはわからない。けれどもたぶん、いや絶対にそんなに簡単な話ではない。証拠は後ろの男だ。米内の言葉を聞いてから、右手で口元を抑えている。音は立てていないが、何をしているかはすぐにわかった。笑いをこらえているのだ。


「もしそれで説明している気なのだとしたら、この世界における研究員って案外軽い職業ね」


 不信を包み隠さず米内へとぶつける。もちろんこれは背中越しの切原に対する文句でもある。笑っているのなら、彼が代わりに説明してくれればいいのだ。米内は私の不満にかえって満足したようで(ずいぶんと性格の悪い男だ)、形ばかりの謝意を示した。


「悪かった、何が聞きたい?」


「まず、世界がズレていると何がいけないのか、それから、どうやって私を使うつもりなのか、何より、それが終わったら私はちゃんと帰れるのか。私が知りたいのはそれだけよ」


 ある意味で観念した私は、彼らにとことん付き合ってやるつもりで、聞きたいことをまとめて挙げることにした。こうすれば、説明を求めているレベルの最低ラインは伝わるはずだ。彼らがどのように回り道をしようとも、最終的にはこれらに対する回答が何らかの形で与えられる。そう考えてのことだった。

 しかし、事はとことん、私の望むようには進まないらしかった。

 ギュルン、ギュルン、と突如、けたたましい電子音が鳴り響いた。それはとても人を不安にさせる音で、こことは違う世界から来た私ですら、これは警報音なのではないかと予測できたくらいのものだった。


「っと、どうやら時間切れらしい。続きは後だ」


 はたして、私の推測は当たっていた。寄りかかっていた壁から身を起こした切原が、私たちに起立を促す。


「何事?」


「追いかけっこの再開だよ」


 彼は机の下に手を入れ、そこから何かを外した。そして、それを投げて寄越してくる。

 反射的に受け取った私は、その何かを視認して、うんざりした気持ちになった。それは黒く危うげに光った一丁のピストルだったからだ。

 私がちゃんと銃を手にしたのを確認して、切原は部屋の戸を慎重に開いた。扉を開け放つと視線はそのままに、ついてこい、というハンドサインを送ってくる。私はその背中に文句をぶつけずにはいられない。


「こんなもの、使い方すらわからないわ」


「目標に向けて引鉄をひくだけだ」


「…わかったわ」


 ふざけた返答だ。しかし、ここでそれ以上のレクチャーを期待できないのも確かである。さすがに切原も私がこいつを使いこなせるなんて期待はしてないだろうし、使う機会のないことを祈るしかないようだ。

 しかし、そのよう考えて、銃を所在無げに腿の横に下ろしたところで、慌てた様子で切原がこちらを振り返ってきた。彼は私の様子を見て、今度は安堵したように息を吐く。


「なに?」


「嫌に物分かりが良いから、俺を撃つ気かと思ったよ」


 それで良いならそうする所だわ、そう出かけた言葉をぎりぎりのところで飲み込んだ。さすがにそんなことは微塵も考えてはいなかった。


「あんたが私のことをどう思っているのか、なんとなくわかった」


 代わりに吐いた言葉は、むしろ自分に対する泣き言のように響くのだった。

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